2-12 「総司には指一本触れさせぬ!」
部屋に戻った総司は余程疲れたのか、まだ昼間だというのに眠りに眠った。夕飯の支度が整い、呼びに行ってみたものの、依然として寝息を立てて眠り続けたままだ。
源さんは「日野から試衛館まで、子供の足には流石にきつかったのでしょう。急に気が緩んで疲れが出たのかもしれませんね」と微笑み、林太郎も「子供は寝て育つものですから」と、心配はいらないと言っていた。
二人は翌日の朝に帰って行ったが、寝ているのならと総司に声をかける事はしなかった。総司は朝餉にも起き出してこず、心配になり様子を見に行くと小さな体を丸めて咳き込んでおり、節々の痛みを訴えた。額に手を当てると熱く、顔色も悪い。
ツネは疲れからくるただの風邪だろうと、おかゆを作り与えていたが、ワシは咳き込む総司を見て、結核を患ったあの頃の姿を思い出し気が気ではなかった。
「なあツネ、総司は大丈夫かのう?」
「そんなに心配なさらずとも、風邪くらい寝ていれば治りますよ」
「本当に風邪であろうか……やはり医者に見せた方がよいのではないか?」
「どうなさったのです?イサミさんらしくもない……そんなにあの子の事が気になるのですか?」
「当たり前であろう。大事な弟弟子なのだから」
「……そうですか……そんなに」
「やはりワシが側で診ていてやったほうが、」
「ダメです!部屋には入らないでください!」
ツネが珍しく強い調子でワシを制した。
「風邪がうつってしまっては大変ですから!お世話は私に任せ、イサミさんは稽古に戻ってください」
散々気を揉んだがツネの言う通り総司は一日安静にしていると、次の日にはケロリと起き上がりすっかり回復したようであった。
安堵するとともに、ワシの抱いていた疑念は確信に変わっていた。前世の記憶を辿れば、確かに総司は時折り風邪をひいて寝込むことがあった。当時のワシは気にも留めていなかったが、あ奴はおそらく呼吸を忘れるほど没頭をすることで体に負担がかかり、その弱っている所に風邪のような病が入り込んでいるに違いない。
(今回は風邪で済んだが……)
もし、体が弱っている所に結核の病が入りこんだらどうなる?……ワシは決断しなければならない。総司から、何よりも愉しみであり生き甲斐にしている剣を取り上げる事を。
「総司、話がある」
「はい、なんでしょう?」
「お主、もう剣の稽古はやめよ。」
「なぜです!?」
「今回の事で分かったであろう?お前は剣を握ると呼吸を忘れるほど没頭する。それがどれほど体の負担になっている事か……いずれ命を落とすやもしれん」
「……ッ!」
総司は一瞬間を置いたが、その瞳に強い光を宿し、ワシの目をまっすぐ見据えてハッキリと言い切った。
「しかし、私は武士の子です。剣を捨てるなど、出来ません!」
(子供ながらに腹が座っておる)
まだ九歳の幼子だというのに、その胆力と眼光の鋭さは一人前の武士そのものであった。
こう答えることは百も承知だ。だからワシは逃げずに総司の視線を真正面から受け止め告げた。
「ならば、ワシの言う事を守るというのなら、剣を握るのも認めてやる」
「本当ですか!?」
「ああ。いいか?総司。天然理心流は一にも二にも気組みだ。腹の底からの気合を声に乗せて放つのだ。さすれば、自ずと呼吸は続く」
天然理心流において気組みは相手を威圧する為のものだけではない。腹から声を出せば息を吐くことになる。それは次の息を吸うことに繋がる。
つまり気組みとは、命のやり取りという極限状態において乱れがちな呼吸を、強制的に整える効果があるのだ。息が整えば、意識も整う。そこが修羅場であっても意識を保ち冷静な判断を下せば活路は開ける。
――あの「池田屋」へ、わずか十名の隊士で踏み込んだ時の記憶が鮮明に蘇る。
京の屋敷は間口が狭く、奥に長い。旅籠である池田屋も一階は中庭を挟んで奥に長かった。そこを一気に駆け抜け、奥の階段を抑えた。志士たちは二回に集まっているはず。刀を抜いて二階へ駆けあがり、ワシと総司の二人で先陣を切った。
階段を上がった先で、異変にいち早く気付いた志士が廊下で切りかかってきたが、総司が巧みに捌き、ワシが切り伏せた。
勢いのまま部屋に踏み込むと、そこに立ち塞がったのは尊皇攘夷の志士二十名あまり。お互い怒声を浴びせあう中、鋭く一閃が煌めく。狭い屋内での戦いに、総司の突きによる攻撃は有効であった。
しかし、その激しい混戦の真っただ中に、総司は突如として意識を失い、崩れ落ちたのだ。背中を預けていた総司の離脱。絶体絶命の窮地に立たされたワシは取り囲む志士たちをけん制する為、渾身の気合を放ち続けた。
『総司には指一本触れさせぬ!』
その気迫が志士たちの動きを止め、別動隊で動いていたトシが駆けつけるまでの時間を稼いだのだった。
「気組みは必ずやお前の助けとなってくれよう。お主はもう天然理心流の剣士なのだ。その事、忘れるでないぞ」
「ハイ!」
それからの総司は稽古でもよく声を出すようになった。
ー補足ー
池田屋事件において沖田総司が倒れたことは、共に池田屋に突入した永倉新八の回想録『新選組始末記』に記されています。そこには総司が「昏倒」したとだけ記されており、この時はまだ結核による吐血や症状が現れていなかったとするのが、今の通説の様です。
昏倒した理由は何だったのか?一説には熱中症だったのではないかと言われています。
池田屋事件が起きたのが1864年7月8日、亥の刻(午後十時頃)。京都は盆地で夏は蒸し暑く、新選組は装備を固めた上から、その象徴であるだんだら模様の羽織を着ており、かつ、室内に二十~三十名の男たちがひしめき合っていた為、総司は熱中症になったというのです。
筆者である私はここに別の解釈を提唱します。
京都盆地は昼間に熱がこもりやすい構造なのは確かですが、夜になると周囲の山々(比叡山や愛宕山など)で冷やされた空気が、山風(山おろし)となって盆地の底へ吹き降りてきます。そして、現代の様にコンクリートが日中の熱を蓄える事もありませんので、熱帯夜はほとんど無かったと考えられます。
更に、時期は7月の初め頃であり、池田屋に突入したのが午後十時頃。幕末の頃は、現代より幾分気候は冷涼であると考えられ、仮に日中30℃に達していたとしても夜間は20℃前後まで下がっていたのではないかと思われます。
防具に身を包み法被を着こんでいても、動けなくなる程の暑さではなかったと考えます。
では、沖田総司はなぜ倒れたのか?
総司は元から病弱な体質ではなく、長身で日焼けをした、たくましい体つきだったといいます。隊士の証言によると、激しい打ち込み稽古をするので、周りから相手するのを嫌がられたようです。結核にかかるまで病気とは無縁でした。
熱中症や病気以外の原因があったのか?
私は、沖田総司がゾーン(フロー状態)に入っていたのではないかと推察します。作中では「覚醒」と書きましたが、ゾーンとは運動による酸欠や肉体の苦痛を超越して、神経系が極限まで研ぎ澄まされる状態の事です。現代のトップアスリートでも体現している選手はいるといいます。
高強度の運動による無酸素状態が脳の余計な思考を強制停止させ、ゾーンに入りやすくする強力なトリガーになるのです。
ゾーンに入ると、脳内で強力な化学物質、(アドレナリンなど)が大量に分泌されます。この作用により恐怖や苦痛が消え、体が勝手に動くような全能感が生まれます。
つまり、強い運動→無酸素状態→脳の酸欠→アドレナリン等の分泌→苦痛を忘れた全能感→限界を超え昏倒
沖田総司は池田屋でこのゾーンに入ったが為に、昏倒したのではないでしょうか?
また、沖田総司は立ち合いの時、笑みを浮かべていたという証言もあります。それは狂気というより、脳内化学物質による快楽を味わっていたのかもしれません。
このゾーン状態は体にかなりの負担がかかるようで、免疫力が下がります。現代のトップアスリートが健康な体を持ちながらも、免疫力が低く、風邪にかかりやすいというのは知られた事実です。
もしかしたら、沖田総司も免疫力が下がっていた所に結核菌が入り込んだのかもしれません。




