1-2 「もう、らめぇ……ひゃん!」
ワシは猛烈に後悔した。斬首の瞬間に『おなごにしてくれ』などと願ったが為に、かような姿になってしまったに違いない。
「違うんじゃ!あれは言葉のアヤで、」
どう言い訳しようと神も仏も応えてはくれない。この世の神仏というものは、ひとたび生を授かれば後は放任、人を直接助けてはくれないのだ。そういうものらしい。思えば、これまでも死ぬ度に「次こそは」と神仏にすがったが結局のところ己の手で運命を切り開くしかなかった。
「やるしかない……」
おなごの体で。
「しかし、どうしたものか」
頭を抱えていても仕方がない。とりあえず道着に着替え、ツネの待つ道場へと向かった。
「やっと、おいででですか」
ツネは既に稽古を始めていたらしく、素振りの手を止め手拭いで汗を拭いた。
「うむ……すまぬ、待たせたな」
いざ自分がおなごだと自覚すると、どうしようもなく気恥ずかしい。ツネの顔を見続けることも出来ず、目を逸らしてしまった。ツネも先ほどの事を気にしているのか、様子がおかしいのが伝わってくる。やけに丁寧すぎるくらい手拭いで顔を拭き続けていた。気まずい……
「そ、それで、今日の稽古は何をいたしましょう?」
「あ、あぁ、そうじゃな……今日の稽古は木刀で素振りをしてみるか」
ツネの目が少し輝き始めた。まだこの頃は竹刀だけの素振りをしていたはずだ。木刀を握れるのが嬉しいのであろう。
「まずは、正面前後の素振りからじゃ。剣筋が乱れぬよう気をつけながら、切っ先は喉の位置でピタリと止めるように」
手本を見せると、ツネも真剣な面持ちで木刀を構えた。しかし、気負っているのか、早くも肩に力が入り過ぎている。そのまま振り下ろした切っ先は、木刀自体の重さに負けて下がり気味だ。
「力み過ぎてはいかん。振り下ろす時は刀の重さに逆らわず、打ち込みの瞬間に握りを絞り、手首を効かせて鋭く!」
ビュッ!
ワシが示した手本は、鋭い風切り音をたてて空を裂いた。
うちの道場で使う木刀は260匁(975グラム)刀と同じくらいの目方で、握りは太くしてある。ツネはまだ慣れぬ重い木刀に翻弄され、回数を重ねるうちに体の芯がブレてきた。
「背筋を伸ばせぇ―!はい!いーち」
「ハイっ!」
「はい!にー」
「ハイっ!」
一緒に声を上げ素振りを繰り返すうち、ワシの体にとんでもない違和感が走り始めた
(な、なんじゃ?コレはっ!)
固い道着の布地が胸にこすれて、木刀を振るたびに妙な刺激が体を突き抜ける!
「ひゃ!いっ……」
「イサミさん?どうしたんですか?急に声が裏返って……」
「いや、少しばかり胸の具合が悪うて……」
道着の合わせ目を開いて胸を確認する。小さな突起がヒリヒリと赤くはれていた。
「い、イサミさん⁉サラシを巻いていないじゃないですか!それでは痛いハズですよ。手当てをしますから部屋に戻りましょう」
「いや、これしきのこと大事には……」
「ダメです!私が早く道着に着替えるよう急かしたばっかりに……申し訳ありません」
半ば強引に母屋へ連れ戻され、ワシは床に座らされた。
道場に常備されている石田散薬を熱燗に溶き、喉に流し込む。擦り傷や打撲に効くとして門下生の間でも好評な薬ではあるが、奴らは酒が飲みたくて、直ぐに打撲しただの理由を拵えては飲んでいるに違いない。下戸のワシには避けたい物であった。今も喉が焼けるようで、耳がカッカと熱くなる。
「イサミさん、上を脱いでください」
ツネは過剰にもワシの胸に軟膏まで塗り始めた。
「これしきの事で大げさな……んっ……」
「ダメです……イサミさんは少し粗暴なところがありますよね。まるで男の様に振る舞って」
ツネの指が丹念にワシの胸をほぐしていく……
(くそっ、おなごの体というものは、こうも敏感にできているのか!)
指先が触れるたび、言い知れない熱が頭のてっぺんまで昇っていく。
口を真一文字に結んで耐えるワシにツネが言う。
「……かわいい」
(かわいいじゃと⁉このワシが?)
男の中の男と呼ばれた新選組局長のワシを捕まえて可愛いなどと、たとえ隊士であってもかような事を口走ったなら即刻その場で切り伏せていよう。
だが、飲んだ石田散薬のせいで頭がぼーっとし、ろれつも回らない。
「もう、らめぇ……ひゃん!」
胸には軟膏の上から湿布が張られた。
「……これで大丈夫」
何故か酒を飲んでおらぬツネまで、その顔は真っ赤だ。
ー補足ー
・松井 つね
天保八年 (1837年)松井家の長女として生まれる。(近藤勇より3つ年下)
松井家は御三卿・清水徳川家の家臣。父である松井八十五郎は清水家の奥詰や近習番を務めた人物。
万延元年(1860年)近藤勇と結婚。当時24歳
文久二年(1862年)勇との間に一女「たま」が生まれる。
明治二十五年(1892年)没。




