1-1 「あんだってんだ、こりゃあ!」
「勇さーんっ!」
聞き馴染みある声の気がした。しかし、ワシと関りがあると知られれば相手に迷惑が及ぶやもしれん。縄に縛られたワシは前だけ見据え、ゴザの敷かれたその場に座した。
「新選組局長 近藤勇!何か言い残すこたぁ、なかか!」
見分役の薩摩藩士を睨み、ワシは落ち着き払って言った。
「ただ死をもって君恩に報いん」
「チッ!最後まで謝るつもりは、ないか!」
苦々しく吐き捨てた藩士が顎をしゃくると、グッと目隠しをされた。後ろから肩を押され頭を下げさせられる。
(口惜しや)
散るときは侍らしく『君恩に報いる』などと虚勢を張ったが、やはり悔しさがこみ上げる。ワシは幕府の為、ひいては朝廷の為、文字通り粉骨砕身戦ったのに最後は武士として切腹も認められず、こうして斬首刑と相成った。
(ワシの人生は何だったのだ)
「近藤さん!アンタは紛れもなく侍!男の中の男じゃ!」
誰かが最後の慰めに声を張り上げてくれた。
(男の中の男か・・・)
農民上がりであるワシは強い男、真の侍であろうとがむしゃらに生きてきた。だが、もう疲れた。本当に疲れ果てた。
(あと何度、この不毛な人生を繰り返せばいいのだ……もういっそのこと次はおなごにでも生まれ変わってくれんかのぉ)
周りがざわつき始めた。その時が来たらしい。
ザンッ!
痛みを感じる間もなく、ワシは絶命した……のであろう、この体は。
また前回同様に走馬灯が流れる。
(やはり、今回も成仏させてはくれんのか。この世に神仏などおらぬ。いや、この世そのものが地獄なのかもな)
ワシは死ぬ度に時間をまき戻すかの如く、何度も何度も同じ生を繰り返しておる。これまで、、、
芹沢鴨に暗殺された。
池田屋で浪士たちに打ち取られた。
伊藤 甲子太郎を誅するつもりが返り討ちにあった。
篠原 泰之進に狙撃され死んだ。
それらの死を乗り越え、今回は徳川方が反転攻勢するはずの伏見の戦いで我らは負け、
敗残兵となった。その末に掴まってしまったのだ。
走馬灯はこれまでの苦々しい出来事を映し出した後、今は慰めるように懐かしい試衛館の道場が映し出されている。
(あの頃は良かった……)
ただ、仲間と竹刀を交え、切磋琢磨して腕を磨くだけの日々。来るべき激動の未来など、誰も知る由もなかった。
(できる事なら、あの頃に戻りたい……)
激しい光が視界を埋め尽くし、すべてが真っ白に染まっていく。
「イサミさん、、、イサミさん、、、起きてください」
ワシはゆっくりと目を開けた。
のぞき込んでくる顔が一つ。その顔を見た途端、懐かしさに胸が締め付けられ目頭が熱くなった。すこし眉を吊り上げてこちらを見下ろすのはワシの妻、ツネだ。
京都の治安を守る新選組を結成してから、多摩に残してきたツネとはまともに会う事も無かった。
(ばかたれ、男が妻の前で泣けるか!)
目を閉じて涙が引くのを待っていると、二度寝していると勘違いしたのか、今度は体をゆすってくる。
「イサミさん、今日は稽古をつけてくれる日でしょう?」
「……稽古?」
再び目を開けてよく見れば、ツネはしっかり道着姿でおるではないか。
「なんじゃ?お前、道着など着おって」
「だから、今日は剣術の稽古の日だと言っているではありませぬか。寝ぼけていらっしゃるのですか?」
体を起こし、まじまじとツネの顔を見つめた。あまりに若々しい。もしやと思い、震える声で尋ねる。
「ツネ!今はいつだ⁉」
ツネは眉をひそめ、道着の袖を軽く握りながら答えた。
「はあ? 本当にボケているのですか?今日は十月九日ですが……」
「そうではない!ええい!……そうだ!お主、いま何歳だ?」
「なんなんです?いきなり……十三ですが」
ツネは三つ年下、という事はワシはいま十六歳――
(ワシが師匠の養子となった頃か!確か己酉(1849年)であったか?)
十五歳で天然理心流に入門したワシは翌年、師匠である近藤周助の養子となりこの試衛館で生活するようになった。よもや本当にあの頃の試衛館に戻れるとは!神か仏か知らぬが、ワシの願いを聞き届けてくれたらしい。
感極まってワシは目の前のツネに抱きついた
「すまなんだ……本当に、すまなんだ」
「ちょっ!?イサミさん?そんな、泣いて謝るほどの事では、」
男泣きしたワシは、涙にぬれた顔をばかることなくツネを見据えて叫んだ。
「すまなんだっ、ワシはこれからお前の為だけに生きる!そう誓う!」
「なっ!?何を言い出すんですか!寝ぼけてないで、早く着替えて道場に来てください」
ツネは耳まで真っ赤にして、逃げるように部屋を出て行った。元々、恥ずかしがり屋で気丈なおなごなのだ。
(しかし己酉じゃと、まだ結婚前であったか……いきなり抱きついたのは流石に驚かせてしまったのぉ)
今までなら死ぬ直前や、長くても数日前に戻るだけであったのに、今回は十数年も巻き戻った事になる。
懐かしさにこれまでの苦しみも忘れ、浮かれながら道着に着替えようと浴衣の帯を解いた。が!ワシはそこでようやく、猛烈な違和感に固まった。
「あんだってんだ、こりゃあ!」
あるはずのモノがなく、ないハズのふくらみがある……ワシはおなごに生まれ変わっていたのだ。
ー補足ー
・近藤勇
天保五年(1834年)武蔵国 多摩郡 上石原村(現在の調布市)に生まれる。
嘉永元年(1848年)近藤周助の天然理心流に入門。
嘉永二年(1849年)周助の養子となる。
文久元年(1861年)天然理心流の4代目宗家を襲名。名を近藤勇と改める。
文久三年(1863年)新選組の前身である浪士隊として京へ上る。
慶応三年(1867年)大政奉還がなされ混乱の中、戊辰戦争へ突入。
新選組は船で江戸へ戻り、再起を図るも失敗。近藤勇は流山(現在の千葉県 流山市)にて捉えられる。
慶応四年(1868年) 四月 二十五日 板橋宿(現在の東京都 北区 滝野川付近、JR板橋駅 東口周辺)で処刑された。




