2-1 「まるで新婚生活の様ではないか」
「では、今日はこれまで!」
「ありがとうございました!」
稽古が終われば門下生たちは汗を流すために近くの銭湯へ向かう。ツネとワシはといえば、あ奴らが銭湯から帰ってくる前に手際よく夕飯の支度を済ませてしまうのが日課だ。
ワシはまだ試衛館の門弟の中でも若輩者だから、こういった雑用をこなすのは当然として、ツネは住み込みの内弟子とは違って、ちゃんと月謝を払っている。それ故、このような事はしなくていいと言うのだが「好きでやっているので、お気遣いなく」と返って来る。まったくもって出来た嫁だ。
前世では天然理心流を継いだ後に、ツネとはお見合い結婚した。だから、本来であればこのように家事をこなすのは数年後の出来事のはずなのだ。ツネには感謝しかない。
「お勝さん、今日は何が食べたいですか?」
「そうじゃなぁ……煮魚など、どうか?」
「いいですね。私、買ってきます」
ツネは手ごろな鍋を手に、表通りの煮売り屋へとパタパタ駆けていった。戻ってくる合間に、ワシは窯で飯を炊く。稽古で腹を空かせておるから、どいつもこいつも底なしの大食らいだ。一升釜(十合炊ける。お茶碗二十二杯分)では足りないくらいだ。
まず、米を研いだらそのまま水に浸しておく。今は夏の終わり、もうしばらくすれば新米が出回るようになるが、それまで乾燥しきった米を炊くしかない。だから浸す時間も気持ち長めにする。
(実家ではワシが米を炊く係であったな……)
おなごらしい気立てなどほとんど持ち合わせていないが、米炊きの腕前だけは自身がある。
米を浸している間に、風呂の準備もする。井戸から水を何度も汲み上げ、鉄砲風呂へと張っていく。
重労働じゃが、これも鍛錬の一環と考えれば苦にはならない。剣を振うだけが修行ではないのだ。
この試衛館には贅沢にも内風呂がある。師匠が道場を開く時、門下生のためにとわざわざ用意したものであるが、これまでほとんど使われず仕舞だった。なぜなら銭湯に行けば時間をかけて湯を用意する必要もないからだ。
しかし、おなごの体になってしまったワシにはありがたいものであった。なにせ銭湯は混浴。浴室は簡易的な板塀で区切られているとはいえ、男湯と女湯の気配はすぐ隣だ。見ようと思えばいくらでも見えてしまう。
男だった頃ならば、自分の裸を見られることなど気にもせず堂々としておったが、おなごの体になってしまった今は、どうにも男達からの視線というものが気になって仕方ない。第一、顔見知りである兄弟子たちに女として見られるのが、どれだけおぞましいか!ワシの男の部分が一切、受け付けないのだ。
風呂釜に火を入れたところで、ツネが嬉しそうな様子で帰ってきた。
「お勝さん、お店の人が若奥さんにはいつも贔屓にしてもらってるからと、おまけしてくれたんですよ」
見せてくれた鍋の中には、夕鰺とおまけに貰ったという、黒々と艶のある佃煮が添えられていた。
「おっ、佃煮か。これは飯がすすみそうだ」
「佃煮は明日のお昼に、おにぎりにして出しますね」
「ワシなら夕飯に食うてしまうところじゃが、さすが若奥さんは機転が利くのう」
「もう、若奥さんだなんて、フフ」
ツネは余程、若奥さんと呼ばれたことが嬉しかったのだろう、上機嫌だ。
前世でもツネは道場の女将として門弟たちの世話をよく焼いてくれていた。その事に自負があったようで、ワシが米炊きぐらいしてやろうと手を出そうものなら、『あなた様は、そのような事せずとも、ドンと構えていてくれればいいのです』と、言われる始末。
今こうして一緒に家事を手伝えるのは、ワシがおなごであるからであろう。こういう生活も悪くはない。
夕鰺を取り分ける姿を眺めていたら、ふと視線に気づいたツネと目が合った。
「こうしていると、まるで新婚生活の様ではないか」
ツネからは返事が返ってこず、フイッと視線を外された。どうやら照れてしまったらしい。
その反応があまりに可愛らしくて、こちらまで少し気恥ずかしくなった。紛らわせるため、米炊きに取り掛かる。
今、この道場にはツネとワシ二人きりだ。本来であれば師匠の奥方が家の一切を取り仕切るところであろうが、女将さんはほとんど道場には顔を出さない。養子に入ったワシとはどうにも反りが合わず、顔を合わせば小言を言ってくる。一緒に居たくないのであろう。
なので詳しい事は知らぬが、仮屋が近所の牛込にあり、芸者である奥方は手習いにそこで三味線を教える事もあるらしい。師匠は稽古が終わるとふらりと、その奥方の元へ通っている。ちなみに師匠は九度目の再婚だと兄弟子から聞いた。
よって、この近藤家の母屋は自由に使わせてもらっておる。
(門下生の居ない一時くらい、ツネと戯れ合っても構わんじゃろ)
照れたツネは黙々と夕飯の支度を進めている。その背中を愛おしく眺めつつ、ワシは声をかけた。
「おいツネ、そろそろ風呂が沸く頃だ。先に入ってはどうじゃ?」
「え?……いえ、私は夕飯の準備をしておりますから、お勝さんの方こそ皆さんが帰ってくる前に入ってください」
ツネの実家にも内風呂はあるようで、そのため銭湯にはいかず、夕飯の後はそのまま帰っていく。さすが沢山の禄を拝領している武家は庶民と違って銭湯を利用しないのだ。
「では、一緒に入るか?」
「……」
ツネは顔を真っ赤に染め上げたまま、黙ってしまった。
(あまり、からかうものではないな)
「ハハッ!冗談冗談! では、ひと風呂、浴びてくるとしよう」
ワシは、からからと笑いながら風呂へと向かった。
ー補足ー
・夕鰺
元禄期の食文化書『本朝食鑑』には、夏の鯵は「煮て食べるのもまた佳なり(非常に良い)」と記されている。日中に江戸近海で獲れた新鮮な鯵が、夕方までに小売りの魚屋によって江戸の町へ運び込まれたため、「夕鯵」と呼ばれて夏の晩ごはんの主役として広く親しまれた。夏は魚が傷みやすい為、煮魚にして売られることも多かった。
・煮売屋
江戸時代に存在した煮魚・煮豆・煮染など煮物を売る店。天秤棒を担いで売り歩く振売りや、屋台・店舗を構える形式など様々。
・銭湯
江戸時代、銭湯は混浴が当たり前だった。幕府は風紀が乱れるとして、度々男女で分ける様にお触れを出したが、長年の慣習を変えるのは難しく、幕末頃でも浴室を板塀などで簡易的に分けるのみだった。完全に浴室が分かれるのは明治に入ってから。
・内風呂
内風呂を持てるのは裕福な家や身分の高い家のみ。関西では浴槽を直接釜炊きする五右衛門風呂、関東では浴槽内に鉄の筒を通し釜の熱を伝える鉄砲風呂が普及していった。
・近藤周助の妻である「ふで(筆)」は、周助にとって9番目の妻(江戸・牛込の芸者出身と伝わる人物)
ふでは気風のいい江戸の芸者出身ということもあってか、田舎から出てきた若き日の近藤勇に対して非常に厳しくあったたと言われている。
のちに勇がつねを妻に迎える際にも、「あんな醜婦(器量がない)でなければ嫁も貰えないのか」などと、小言を言って結婚を反対したという。
試衛館があった場所は、「市ヶ谷甲良屋敷(現在の東京都新宿区市谷柳町)」当時の牛込とは目と鼻の先の距離。ふでは試衛館にはあまりいなかった可能性があり、実際に試衛館で弟子たちの世話はほとんどしていなかったらしい。




