第8話 隠し事
俺は出社した。
結局、今の会社をやめても生活に困るし、次の職場でも同じことになる。私は魔法少女なんですと、最初から説明するのも億劫だ。そうであれば、このままこの職場に残って、周囲に理解してもらえばいいと思った。
幸い、部長も同じ魔法少女で、部長が俺の味方なだけあって、周りからは明らかな拒絶まではなかった。
「おはようございます」
とは言っても、距離は置かれていた。
最低限の挨拶や業務上の言葉を交わしたりはするものの、誰も俺と目を合わせようとしない。
「ちょっと見て、あれ。課長のワイシャツ。あれ、何が透けて見えてるの?」
「まさか、今日はスポブラ……?」
「昨日は猫のキャラクターが書いてて、たぶん子供用のシャツだったよ」
「……課長、壊れちゃったのかなぁ」
そんなコソコソ話が耳に入っても、俺は構わない。まったく心に響かなかった。
これは魔力を高めるために必要なのであって、仕事みたいなものだ。アンダーアーマーと言うべきか。
何より、俺には仲間がいる。ここでの人間関係はどうでもよくなった。
――苗字は小鳥遊。下の名前は舞。
俺が応援し続けてきたキャラクターと同性同名。年齢まで同じ。塾帰りという設定も良い。
昨日のやり取りを思い出して、思わず口元が緩んだ。
「私、まだ敵を倒したことなくって。というか、怖くて、1人ではとても立ち向かえる気がしません……」
肩を落とす彼女。
俺は、自分の経験を正直に話そうと思った。
「無理もないよ。奴らは悪魔だからね。下手に戦えば、やられるのはこっちだ」
会社のエントランスで、敵の一撃に見事やられたときを思い出す。失いかけたのは自分の命だけじゃない。職も、友人も、取引先も、全て失いかけた。
「どうして田中さんは、あんな風に戦えるんですか? 怖くないんですか?」
「そうだね。最初は怖かったし、敵に殺されかけたりもした。でも、やっぱり諦められなかったんだ。それは誰かの為とかじゃなく、自分の夢を」
人には、それでも戦わないといけない時がある。今の俺がそうだった。
彼女にそんな重い運命を背負ってほしくはないが、それを知ることで、何かのきっかけになればいいと思った。
「自分の夢、ですか……。私、よく分からず契約してしまって、魔法少女って可愛いぐらいにしか思っていなかったんです。だから、まぁいいかって。でも、現実そうなってみて、自分の浅はかさを思い知らされました。田中さんは、立派だと思います」
立派……。
そういえば、課長になってから褒められたことはなかったかもしれない。
彼女の言葉が、心に沁みた。
しかし、一応は大人として「そんなことないよ」と謙遜しておいた。
「僕なんて、酔った勢いで契約したんだよ。そんなのでもやっていけてるんだから、落ち込む必要なんてないさ」
「そうなんですか!」
「君と同じさ。魔法少女って可愛いってくらいにしか思ってなかった。こんなに辛いものだと、思っていなかったよ」
目を丸くする彼女に、俺は微笑みかける。
二重のお目めが大きくて可愛い。
「でも、考えたんだ。考えて、見つけ。戦う理由や目標をね。それで、ここまで来れたんだ。小鳥遊さんも、今からゆっくり見つけたらいいんじゃないかな」
「ありがとうございます! なんだか勇気づけられました! さすが先輩魔法少女ですね!」
先輩魔法少女……。
なんと心地の良い単語なのか。
もう一度、言ってほしい。
「私も、考えてみることにします! ……あっ、そうだ! 私達、連絡先交換しませんか? 今度、一緒に戦ってほしいです!」
彼女の提案に、動揺した。
異性と連絡先を交換するなんて、いつ以来だろうか。
確か、高校の頃だった。クラスのグループメッセージに入った際に、気になる子もそのグループにいたので、アカウントを追加して連絡先に登録したのが最後か。
「いいよ。何かあったらいつでも呼んで」
「え? でも、田中さんには仕事が……」
「そんなことはいいんだ。仕事は俺がやらなくても誰かがやる。でも、魔法少女は僕らにしかできない。だから、いいんだ」
俺の善意を、彼女はそれ以上は拒まなかった。遠慮のしすぎも良くないと、先に折れてくれたようだ。
「ありがとうございます! お言葉に甘えます!」
「うん、じゃあそういうことで」
「はい!」
元気よく去っていく彼女の背中を、俺は微笑ましく見送った。その直後、後ろから声がかけられた。
警察だった。
「君、公衆トイレの前でなにしてたの? 女の子とはどういう関係?」
「つい先ほど知り合いました」
「へぇー、えらく年が離れてるように見えたけど、どう知り合ったの?」
「それはですね――」
楽しい思い出ついでに嫌な記憶まで出てきた直後、「田中君。少しいいかい?」と部長が俺を別室に呼んだ。
周囲は俺を見ないまま、しかし聞き耳を立てている。
「わかりました」
魔法少女になってから、部長は俺をよく呼びつけるようになった。傍目から見れば、エントランスで醜態を披露して以降、部長が俺を心配し、小まめにワン・オー・ワン・ミーティングをしている風に見えるかもしれない。誰も魔法少女同士の打ち合わせだと思うまい。
いつもは現れた悪魔をどう倒すか、魔法少女としてどう振る舞っていくべきか。そんな話だった。が、今日の部長はやや様子が違った。
「座ってくれ」
「……はい」
いつも通りを装って、次に発した部長の言葉は、平静を失っていた。目を血走らせて、俺の肩を掴んだ。
「田中君! 他に魔法少女を見つけたんだってね! なんで教えてくれなかったの!!」
「なぜそれを……」
部長の肩から、猫の姿をした淫獣が顔を出した。
貴様か……。いったいどこで見ていた。
「仲間がいたら共有する約束だったよね! ねぇ!!」
隠そうと思ったわけではない。
ただ、俺は危惧した。もし、女の子の魔法少女が現れたら、女装プレイ趣味の部長はどうなるかと。汚れを知らない純粋な子にとって、それはあまりに悪影響ではないかと思った。
「いや、まだ会社に来たばかりなので……」
「嘘っ! 連絡先交換してるんだから、出社前でも教えられたよね!」
部長の取り乱しようを見て、俺の抱いていた懸念は正解だったかもしれないと思わせた。
「勘弁してください。昨日は援助交際でもしているのかと思われて、また警察の取り調べに連れて行かれていたんです。疲れてたんです」
これも嘘ではなかった。彼女が去った直後、俺は聞き取りどころか、荷物の取り調べまでされた。任意とは言え、応じないと家に帰してもらえないうえに、さらに疑いをかけられる。
もっとも、応じたら応じたで、スマホはアニメのキャラクターの写真ばかり。身につけていた女の子用の予備の下着など、より疑念を深めるものばかりが出てきて、余計に話がややこしくなったが。
「あぁ、なるほど……。相手は女子中学生だったから、警察にそう疑われてもおかしくないか」
俺は内心で驚いた。
部長は、俺が見つけた魔法少女が女子中学生だとまで知っていて、ここまで食い下がってきたのだ。どうやら、部長のストライクゾーンは中学生まであるらしい。
そういえば、部長は他の魔法少女に少女として扱われたいって、だから契約したみたいなこと、言ってたっけ……。
「いいよね、中学生の魔法少女。本物じゃないか」
俺は彼女――現実の小鳥遊舞ちゃんの、屈託のない笑顔を思い出した。
彼女は、魔法少女の俺に、憶せず話しかけてきてくれた。
俺を立派だと言ってくれた。
先輩魔法少女って言ってくれた。
連絡先を交換してくれた。
友達のように、身を寄せて話してくれた。
あんな良い子を、あの天使を、この変態と会わせたくない。理屈じゃなく、俺の感情がそう言っている。
「で、連絡先は? 交換してないの?」
仕事を詰めるときの眼光で、部長は俺の目を見る。
「そうですね。警察が来たので、そのまま別れました」
部長がカマをかけている可能性も否定できない。そこまで様子を見られていて、顚末だけ知られていないなんてことがあるのかと思った。
しかし、それがわずかな可能性であったとしても、乗らないわけにはいかない。俺は賭けに出た。
「魔法少女同士は惹かれ合うようですから、近いうちにまた会うのではないでしょうか」
少しの沈黙の後、部長の表情が緩んだ。
賭けには勝ったようだ。
「それもそうだね。次の機会を待つとしようか」
本意ではなさそうだが、部長はそれ以上追求してこなかった。
泳がされているのではないかと不安が残る。それと同時に、あの子を守ることができたという安堵感もあった。
「ただ、田中君。我々は仲間だ。隠し事はなしだよ」
「えぇ、分かってますよ」
上司と部下という社内の地位関係のせいか、魔法少女としての実力の差のせいか、部長の言葉に、俺は頷くしかできなかった。
こんなに頑張ったのに、こんなに努力して強くなったのに、それでも部長に勝てない。
実力においても、気持ちにおいても……。
「宇宙を救う為ですから、皆で頑張りましょう」
そう言うのが、やっとだった。
その後、俺は部長室から解放され、仕事に戻った。かなり時間が経過していると思ったが、時計を見ると、たった10分ほどしか過ぎていなかった。
緊張のせいか、俺の背中は汗で濡れていて、額は脂ぎっていた。ピンクのハンカチで、顔を拭く。
部長の肩に乗っている淫獣が、俺の方を見ていた。見た目が動物なだけあって、相変わらず表情が読めない。
何見てんだよ? お前が舞ちゃんのことを部長に教えたから、俺がこんな目にあってるんだぞ? てか、部長に何を吹き込んだ。あんな部長は見たことがない。
いったい、何を企んでやがる。
こいつらはアニメとは違う生き物だ。アニメみたいに魔法少女を助けるとは限らない。
固定観念に支配されていては、何か間違いを犯すのではないかと、そう思った。
「じゃあ、田中君。頼みましたよ」
「は、はい」
俺の席を通り過ぎ際、いつもの仕事口調で部長が声をかけてくる。
その言葉が仕事に向けられたものではないと、社内で俺だけが理解した。




