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冷徹CEOは路地裏のΩに番の印を刻む〜効率主義のスパダリが小さな古書店と俺を溺愛して離しません〜  作者: 水凪しおん


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第5話「効率と余白」

 灰色の雲が低く垂れ込め、街全体が重苦しい空気に包まれていたある日の午後。

 九条が小鳥遊書房の入る路地へと足を踏み入れると、店の前に見慣れない黒塗りの車が止まっているのが見えた。

 嫌な予感が背筋を駆け抜け、九条は歩幅を広げて急ぐ。

 店の扉の前に、質の悪いスーツを着た数人の男たちが立ちはだかっていた。

 男たちは薄汚れた靴で店の木枠を蹴り、威圧的な態度で中をのぞき込んでいる。


「いつまでも強情を張っていると、痛い目を見るのはお前だぞ」


 品のない笑い声が路地に響き渡る。

 九条の顔から表情が消え、瞳の奥に冷たい光が宿った。

 足音を忍ばせることもなく、男たちの背後に歩み寄る。


「そこをどけ」


 低く、地を這うような声だった。

 振り返った男たちは、九条の姿とそこから発せられるαとしての強烈な威圧感に気圧され、思わず数歩後ずさった。

 九条は男たちを一瞥することすらなく、彼らの間をすり抜けて店の扉を開けた。

 店内に入ると、文がカウンターの奥で小さく肩を震わせている。

 古い本を両手で強く抱きしめているのが見えた。

 文の顔は血の気を失って青ざめている。

 恐怖を押し殺すように、ひどく浅い息を繰り返していた。


「文さん、大丈夫ですか」


 九条が駆け寄ると、文は弾かれたように顔を上げ、九条の姿を認めてようやくこわばっていた表情を少しだけ緩めた。

 男たちは九条の鋭い視線に恐れをなした。

 彼らは忌々しげに舌打ちをしながら路地の奥へと姿を消していく。

 九条はすぐに状況を察した。

 ここ数日、九条の会社でもこの周辺エリアの再開発に関する情報が耳に入っていた。

 計画を進めているのは、九条の最大のライバル企業であり、利益のためなら手段を選ばない男、億田円が率いる組織だ。

 古い建物を強引に買い上げ、立ち退きを迫る手口は、億田の常套手段だった。


「ひどい目に遭いましたね。怪我はないですか」

「はい……。でも、あの人たち、ここを売り渡せと毎日のように来て……。店の看板を汚されたり、本を乱暴に扱われたり……」


 文の震える声を聞きながら、九条の胸の奥で怒りが静かに燃え上がった。

 文の大切な場所が、暴力的な力によって踏みにじられようとしている。

 九条は文を安心させるように、静かで力強い声で語りかけた。


「安心してください。私がすべて解決します。すでに私の会社で、このエリアの再開発計画のデータは分析済みです」


 九条はスーツの内ポケットから薄い端末を取り出し、画面に表示されたグラフや地図をカウンターの上に置いた。


「この建物は老朽化が進んでおり、立地としても人の流れから外れています。億田の手に落ちる前に、私が資金を出し、もっと人通りの多い安全な場所へ店を移転させましょう。在庫管理もすべて最新のシステムでデジタル化し、万丈目さんのカフェと併設すれば、集客力も上がり、はるかに効率よく利益を生み出せる。そうすれば、もう誰にも脅かされることはありません」


 九条は自信に満ちていた。

 莫大な資金力とIT技術を用いた「戦略的リファクタリング」。

 これが、九条が文を守るための最も確実で最適な方法だと信じて疑わなかった。

 しかし、端末の画面を見つめる文の表情は、九条の予想に反して冷たくこわばっていった。

 文はゆっくりと端末から視線を外した。

 九条の目を真っ直ぐに見つめ返した。


「九条さん、それは……違います」

「違う? 何が違うというんです。このままでは、店を奪い取られてしまうんですよ」

「場所を変えて、デジタルで管理して、効率よく利益を上げる……。それは、もう『小鳥遊書房』ではありません」


 文はカウンターの古い木目に指を這わせ、愛おしむようになぞった。


「この床のきしむ音も、日当たりの悪いこの薄暗さも、ただそこにあるだけの時間も。すべてが、この店の意味なんです。数字や効率で切り捨てられる余白の部分にこそ、私が大切にしているものがあります。それを別の場所に持って行って新しくしても、何の意味もありません」


 九条は言葉を失った。

 彼にとって、古い建物や非効率な管理はリスクでしかない。

 それを排除することが相手を救うことだと信じていたのに、文の言葉は九条の根本的な価値観を否定するものだった。


「ですが、守るためには変わる必要がある。現実を見なければ……」

「変わらないために、守りたいんです」


 文の言葉が、冷たい刃のように九条の胸に突き刺さる。

 二人の視線が交差し、重苦しい沈黙が店内に落ちた。

 九条は良かれと思って提案したことが、かえって文の最も大切な領域を踏みにじってしまったことにようやく気がついた。

 しかし、どう言葉をかければいいのかわからない。

 九条は端末を静かにしまい込み、目を伏せた。


「……すまない。余計な口出しだった」


 それだけを言い残し、九条は逃げるように店を後にした。

 背中に向けられた文の悲しげな視線が、いつまでも九条の背中を焼き付けていた。

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