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冷徹CEOは路地裏のΩに番の印を刻む〜効率主義のスパダリが小さな古書店と俺を溺愛して離しません〜  作者: 水凪しおん


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第4話「交わる世界と交差する視線」

 無機質なLEDライトが照らすガラス張りの会議室に、九条零の低く落ち着いた声が響いていた。

 手元のタブレット端末に表示された膨大なデータを一瞥し、次々と的確な指示を出していく。

 以前の彼であれば、少しでも効率が落ちる提案に対しては容赦のない言葉を浴びせていた。

 周囲を威圧するα特有の鋭いフェロモンを無自覚に撒き散らしていた。

 しかし、今の九条から放たれる空気は静かで、どこか丸みを帯びている。

 会議が終わり、役員たちが足早に退出していく中、右腕であるCOOの千石進だけが室内に残った。

 千石は手元の資料を整える。

 ふと視線を上げて九条の顔を見つめた。


「最近、随分と顔色がいいですね」


 千石はβであるがゆえにフェロモンの影響を直接受けることはないが、長年連れ添った直感で九条の変化を正確に読み取っていた。

 九条はタブレットの画面を消し、小さく息を吐き出す。


「そう見えるか。自分でも、少し身体が軽くなったような気はしている」

「針のように尖っていた雰囲気が消えました。何か、良い息抜きでも見つけたんですか」


 千石の問いかけに、九条の脳裏にセピア色に染まった古びた空間と、そこに立つ青年の柔らかな微笑みが浮かんだ。

 古い紙の匂いと、静かな雨の音。

 そして、冷え切った心を温めてくれるような、穏やかなΩの香り。

 九条は視線を窓の外へ向け、街を見下ろしながら静かに言葉を返す。


「……ただの、古い本屋だ。そこに行くと、頭の中の雑音が消える」


 多くを語らない九条の横顔を見て、千石は深く追求することなく、ただ短く息をついて書類を抱え直した。


◆ ◆ ◆


 その日の夕方、九条はいつものように路地裏の小鳥遊書房へと足を運んだ。

 扉を押し開けると、小さなベルが軽やかな音を立てる。

 しかし、店内に漂っていたのは、いつものインクと紙の匂いだけではなかった。

 深く焙煎されたコーヒーの香ばしい匂いが混ざり込んでいる。

 カウンターの前に立つと、文のほかに見知らぬ男がいた。

 厚手のキャンバス地のエプロンを身につけたその男は、文にガラス瓶に入ったコーヒー豆を手渡しているところだった。

 男は九条の姿を視界に捉えると、ぴたりと動きを止め、鋭い視線を向けてきた。


「いらっしゃいませ、九条さん」


 文が顔をほころばせ、いつものように柔らかな声で迎え入れてくれる。

 しかし、隣に立つ男の警戒心は隠しようもなく膨れ上がっていた。

 男は九条の仕立ての良いスーツや、磨き上げられた革靴、そして自然と醸し出される隙のない立ち振る舞いを上から下まで値踏みするように見つめている。


「文、この人は」


 男が低い声で尋ねると、文は少し慌てたように二人の間を取り持つ。


「あ、こちら、九条さん。最近よく来てくださるお客様で……。九条さん、こちらは幼馴染の万丈目学です。すぐ近くでカフェをやっていて、いつもこうして豆を届けてくれるんです」


 万丈目はβだ。

 だが、目の前に立つ九条が抜きん出た社会的地位を持つαであることは肌で感じ取っていた。

 経済誌などで見かけたことのある顔だという記憶が、万丈目の頭の中で繋がる。


「九条って、あのIT企業の……」


 万丈目は眉間にしわを寄せ、九条と文を交互に見比べた。

 数千億円の資産を動かす男が、なぜこんな薄暗い路地裏の古書店に足繁く通っているのか。

 万丈目にとって、それは到底理解できない事実であり、大切な幼馴染を危険にさらす脅威にしか見えなかった。


「住む世界が違う人間が、文に何の用ですか。ここはあんたみたいな人間が暇つぶしに来る場所じゃない」


 万丈目は一歩前に踏み出し、文を背中で庇うようにして九条の前に立ちはだかった。

 その手には硬く握られた拳があり、言葉には明らかな敵意がにじんでいる。

 文が慌てて万丈目の背中に手を伸ばす。


「学、やめて。九条さんはそんな人じゃ……」

「文は黙ってろ。こういう手合いは、面白半分で人の領域に踏み込んでくるんだ」


 九条は万丈目の言葉を遮ることなく、ただ静かに彼の目を見つめ返した。

 言い訳をすることも、地位を傘に着て威圧することもなかった。

 ただ背筋を伸ばし、両手を体の横に下ろしたまま、誠実な声で言葉を紡ぐ。


「あなたが警戒するのは当然だ。私のような人間が、この場所にふさわしくないことは自分が一番よく理解している」


 九条の視線が、万丈目の肩越しに立つ文へと向けられた。

 文の不安げな瞳と視線が絡み合う。


「だが、遊びではありません。ここは私にとって、なくてはならない場所なんです。彼が淹れてくれる紅茶と、この空間に流れる時間だけが、私を救ってくれている」


 九条の声には、一切の飾りがなかった。

 データや論理で武装した経営者の顔ではなく、ただの不器用な一人の男としての切実な響きがあった。

 万丈目は九条の真っ直ぐな瞳の奥に、嘘やごまかしがないことを探り出そうとじっと見つめ返す。

 そして、後ろに立つ文が、九条の言葉を聞いてわずかに顔を赤らめ、安心しきったように視線を下げたのを横目で見とがめた。

 万丈目は深く息を吸い込み、やがて小さく息を吐いて肩の力を抜いた。


「……あんたがどんな大物かは知らないが、文を泣かせたらただじゃおきませんよ。俺はあんたの会社にトラックごと突っ込む覚悟がある」

「学、なんてこと言うの」


 文が慌てて万丈目の背中を叩くが、九条はかすかに口角を上げ、懐から名刺を取り出して万丈目に差し出した。


「肝に銘じておきます。何かあれば、いつでも直接連絡をください」


 万丈目は無言で名刺を受け取り、エプロンのポケットに押し込んだ。

 交わるはずのなかった二つの世界が、少しずつ、しかし確実に結びつき始めていた。

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