第6話 鳴り響く警鐘と災厄の魔獣~引き寄せたのは幻のベッド(特級キャットニップ)でした~
聖王国領、辺境都市リーゼン。
『幻の香木』から削り出された超高級マッサージベッドの導入により、珠子の出張サロンは爆発的な人気を博していた。
ただ寝転がるだけで寿命が延びるような強烈な浄化作用(純粋マナのシャワー)に、珠子のレイキヒーリングが加わるのだ。どんな疲労も古傷も一瞬で消し飛ぶとあって、宿屋『木漏れ日亭』の前には早朝から長蛇の列ができるようになっていた。
「はーい、次のお客様どうぞー! 今日はなんだか街全体の波動が高い気がするなぁ!」
珠子がご機嫌でタオルを畳んでいた、その日の夕暮れ時のことである。
――カーーーン!! カーーーン!! カーーーン!!
突如として、街中にけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
それは火事や喧嘩を知らせるものではない。辺境都市の全住民に対し、最大級の危機を知らせる『非常事態宣言』の警鐘だった。
「な、なんだ!?」
「警鐘だ! 外壁の方角から鳴ってるぞ!」
並んでいた客たちがざわめき、一斉に不安げな顔で空を見上げる。
バンッ!と勢いよく宿の扉が開き、血相を変えた親父のガンツが飛び込んできた。
「大変だ、お前ら! すぐに宿の奥に引っ込んで、戸締まりをしろ! 街の防壁に『災厄の魔獣』が近づいてきやがった!!」
「さ、災厄の魔獣だって!?」
客たちが悲鳴を上げて散り散りになっていく。
ガンツのただならぬ様子に、壁際で警戒に当たっていたアディが鋭く問い詰めた。
「ガンツ殿、災厄の魔獣とはなんだ。ゴブリンの群れ(スタンピード)や、飛竜の襲来ではないのか」
「次元が違う! 数百年に一度目覚めるかどうかっていう、おとぎ話の化け物だ! 『死の樹海』の最深部に封印されていたはずの『銀雪の破壊獣』が、なぜか一直線にこの街の外壁に向かって突進してきてるらしい!!」
アディは息を呑んだ。
(銀雪の破壊獣……! 神聖帝国の観測記録にも残っている、単体で国家を滅ぼすほどの力を持つ神話級の変異体。なぜそんな規格外の存在が、突然目を覚まして街に……!?)
ズズン……、ズズン……!
その時、宿屋の床が微かに震え始めた。
遠く離れた外壁の向こうから、地響きと共に圧倒的な魔力のプレッシャーが押し寄せてきているのだ。
一般人には「嫌な空気」程度にしか感じられないだろうが、魔力感知に優れたアディには、それがどれほど絶望的な質量を持っているか痛いほど理解できた。
(……空気が重い。肺が潰れそうだ。間違いない、この巨大なマナのうねりは特級……いや、それ以上だ。私がいかに魔力を全開にしても、一撃で消し炭にされるレベルの存在だぞ……!)
アディは額に冷や汗をにじませ、腰の剣の柄を強く握りしめた。
最悪の場合、自分が盾になってでも珠子を連れてこの街から脱出しなければならない。あんなふざけた女でも、自分の命を救ってくれた恩人なのだ。
「珠子! 荷物をまとめろ! 最悪、この街は今日で地図から消えるぞ!」
アディが悲壮な覚悟で振り返ると。
「ええっ? そんなことよりアディちゃん、今日は『満月』だよ!」
珠子はリュックから、昨日までの波動水(ありがとう千回)とは違う、大きなガラスのピッチャーを取り出して目を輝かせていた。
「……は?」
「満月の夜はね、『ムーンウォーター』を作る最高の日なんだよ! ガラスの器に水を入れて、満月の光を二時間以上たっぷり浴びせるの。そうすると、月の神秘的なエネルギーがお水に溶け込んで、潜在意識をクリアにしてくれる最強の浄化水になるんだから!」
「お前……今、外で何が起きているか聞いていなかったのか!?」
「魔獣さんでしょ? でも私、なんだか外からすっごく『寂しがり屋な波動』を感じるんだよね。ほら、声も聞こえるよ」
珠子が窓の外を指さした直後。
街を覆い尽くすほどの、巨大な獣の咆哮が響き渡った。
『ナァァァァァァァァー……ォォォォォオオオン……ッ!!』
重低音で空気を震わせるその咆哮に、街中のガラス窓がビリビリと共鳴する。
ガンツは「ひぃっ」と身をすくませ、アディは歯を食いしばって魔力障壁を展開した。
「聞いたか、珠子! あれが国を滅ぼす災厄の雄叫びだ! お前の言う『寂しがり屋』などという寝言が通じる相手ではない!」
「え? どう聞いても『ニャー』じゃん」
「……」
アディの論理的思考がまた一つ死んだ。
「迷子の子猫ちゃんだよ、絶対! 満月の光で不安になっちゃったんだね。よし、私がアニマルコミュニケーションで癒やしてあげる!」
「馬鹿なことを言うな! 外壁付近はすでに騎士団が封鎖している! 民間人が近づけるわけがないだろう!」
「大丈夫、大丈夫! ムーンウォーターを作るには、建物の陰にならない開けた場所……つまり街の外壁の上が一番適してるから、どっちにしろ行くつもりだったし!」
珠子はガラスのピッチャーを抱え、ひょいっと立ち上がった。
「それにね、あの子猫ちゃん、なんだかすっごく『このサロンのベッド』の匂いに惹きつけられてるみたいだよ? 波動が同調してる!」
(……ベッドの匂いに……?)
アディは、珠子の背後にある白銀のベッド(トレント・ロイヤル製)を見た。
世界樹の枝分かれ。清浄にして強烈なマナの香りを放つ、幻の霊木。
……そういえば、帝国のアカデミーで読んだ書物に、こんな記述があった気がする。
『一部の高次魔獣は、特定のマナを放つ霊木を強烈に好む。俗に言う、特級のマタタビである』と。
「まさか……」
アディは顔面を蒼白にした。
「まさか、あの災厄の魔獣が『死の樹海』の奥深くからわざわざこの街を目指してきた理由は……このベッド(特級キャットニップ)の匂いを嗅ぎつけたからだというのか……!?」
つまり、数日前に珠子が「ピンクの紙」に欲望を書き殴り、事象を書き換えて無理やり空から降らせたあのベッドこそが、この災厄の元凶だったのだ。
「マッチポンプにも程があるだろうがぁぁぁっ!!」
アディの魂からのツッコミが宿屋に響き渡る。
「じゃあ、ちょっと月の光浴びてくるね! 子猫ちゃんにも会えるといいなー!」
「待てっ! 一人で外に出るな、この歩く大災害女!!」
無自覚に国を滅ぼしかけた女は、ガラスのピッチャーを片手に、ご機嫌な足取りで夜の街へと飛び出していく。
その後を、胃を押さえながら半泣きで追いかける元エリート騎士。
外壁の外では、伝説の『銀雪の破壊獣』が、極上のマタタビの匂いを求めて今まさにその巨大な爪を振り下ろそうとしていた。
スピリチュアルと災厄の、最悪のファーストコンタクトが迫っていた。




