第29話 エンジェルナンバー(777)と絶望の魔神~宇宙からの祝福サインで絶対回避!~
神聖エリュシオン王国の首都。
帝国の天才科学者ゼノスが『開運の壺(五十万円)』を抱きしめ、涙を流しながら転送魔術で逃げ帰った直後のことである。
「いやー、今日もいい気(売上)が引き寄せられたね! これも普段から感謝の心を忘れないおかげだよ!」
珠子は金貨がずっしりと詰まった袋をリュックにしまい込み、ニコニコと笑っていた。
その時だった。
――ズゴゴゴゴゴォォォォォォッ!!!!
突如として、王都の地下深くから、世界そのものがひび割れるような凄まじい地鳴りが響き渡った。
「きゃあっ!? じ、地震!?」
「いや、違う……この禍々しい波動は……!」
アディが弾かれたように空を見上げた。
王都の上空。先ほどまで晴れ渡っていた青空が、インクをこぼしたように真っ黒に染まり、空間そのものが『パリンッ!』とガラスのように砕け散ったのだ。
その次元の裂け目から溢れ出したのは、純度一〇〇パーセントの『絶望』。
『……我ヲ呼ビ覚マスハ、何人カ……』
空を覆い尽くすほどの巨大な赤黒い魔方陣と共に、六枚の漆黒の翼を持つ、見上げるほど巨大な異形の存在――『絶望の魔神』が現界した。
地下下水道でクリスタルボウルの音色から逃れた邪教団の残党たちが、王都の混乱に乗じて自らの命を生贄に捧げ、ついに最悪の厄災を呼び出してしまったのである。
「ああっ……そんな……」
宮殿のバルコニーからそれを見ていた王女ルミナが、絶望に膝をついた。
魔神の体から放たれる瘴気は、先日の森の比ではない。空気を吸うだけで精神が削られ、生きる気力を根こそぎ奪い取っていく『精神死』のオーラ。
王都中の市民たちがバタバタと倒れ、自警団の兵士たちでさえ剣を落として涙を流し始めていた。
「終わりだ……」
アディもまた、冷や汗を流しながら呟いた。
「帝国の要塞など目ではない。あれは、星の生命力を直接喰らう次元外の化け物。教皇が束になっても、いかなる魔法を使っても傷一つつけられん。世界は……滅ぶ……」
すべてが絶望に染まる中。
たった一人だけ、その魔神を見上げて目をキラキラと輝かせている少女がいた。
「わぁっ!! アディちゃん、ルミナちゃん、見て見て!!」
珠子は空を指さし、大興奮でピョンピョンと飛び跳ねていた。
彼女の指の先にあるのは、魔神の背後に浮かび上がる、複雑で禍々しい巨大な魔方陣――と、その手前にたなびく黒雲のシルエットである。
「あの雲の隙間と、魔方陣の模様の重なり方……完全に『777』の形に見えるよ!!」
「……は?」
アディは呆然と珠子を見た。
「すごいすごい! 『777』はスピリチュアルで最強のエンジェルナンバーなんだよ! 『あなたのこれまでの努力が報われ、宇宙からの素晴らしい奇跡がもうすぐ起こりますよ』っていう、天使からの祝福のサインなの!!」
世界を滅ぼす絶望の象徴を前に、珠子はただの『ラッキーな雲の形(偶然)』を見つけて大喜びしていたのだ。
「私、超ツイてる! 宇宙さん、いつも見守ってくれてありがとうーっ!!」
珠子は満面の笑みで、魔神に向かって大きく手を振った。
その瞬間である。
珠子の『一切の疑いを持たない、純度一〇〇パーセントの究極のポジティブ思考』が、星の因果律と完全に共鳴した。
――ピロリンッ♪
まるで現世のゲームのレベルアップ音のような軽快な音が響き、珠子と、その周囲にいるアディ、ルミナ、そして神獣シリウスの足元に、黄金に輝く四つ葉のクローバーの魔法陣が出現したのだ。
(こ、これは……対象の『運勢(確率)』を強制的に書き換える、神話級の絶対幸運結界……!?)
アディの魔導眼が、またしてもあり得ない現象を観測して悲鳴を上げる。
『……我ガ眠リヲ妨ゲシ愚者ドモヨ。絶望ノ炎ニ焼カレテ、塵ト化スガヨイ……!!』
魔神が低く響く声で宣告し、その巨大な腕を振り下ろした。
空から、山を吹き飛ばすほどの巨大な『滅びの黒炎』の雨が、王都の中庭にいる珠子たち目掛けて降り注ぐ。
直撃すれば、塵すら残らない一撃。
「きゃあっ! 珠子様ぁぁっ!」
ルミナが目を瞑り、アディが防御魔法を展開しようとした、まさにその時。
「あっ」
珠子が足元を見て、声を上げた。
「さっきアーシングで靴脱いだ時に、靴ひも結び忘れてた!」
珠子が靴ひもを結ぼうと、ひょいっとしゃがみ込んだ。
ズゴォォォォォォォォォンッ!!!!
巨大な滅びの黒炎は、しゃがんだ珠子の頭頂部を『数ミリ』の隙間で綺麗に通り過ぎ、その後ろにあった王都の古くなった空き家(ちょうど取り壊し予定だった廃屋)だけを綺麗に消し飛ばした。
「……え?」
アディは目を丸くした。
『……チッ、小癪ナ。ナラバコレハドウダ……!』
魔神が苛立ち、今度は六枚の翼から『すべてを貫く絶望の雷』を無数に放った。光の速さで迫る、絶対回避不可能な全方位攻撃。
『ニャックシュ!!』
その瞬間、横で寝そべっていた神獣シリウスが、鼻をヒクヒクさせて巨大なくしゃみをした。
ブワァァァァァッ!!
シリウスのくしゃみが巻き起こした超圧縮された突風が、絶望の雷の軌道を『たまたま』すべて逸らし、空の彼方へと吹き飛ばしてしまったのだ。
『な、何ィ……!?』
魔神の目に、明らかな動揺が走った。
さらに魔神が放つ必殺の呪詛弾は、空を飛んでいた鳩の群れ(近所の子供が撒いたパンくずに群がっていた)にたまたま直撃して無効化され、地割れ攻撃は、地下水道の水道管がたまたま破裂した水圧で相殺された。
「すごいすごい! 今日はなんだか、色んなものがパチパチしてて花火みたいだね! これもエンジェルナンバーのお祝いかな!」
珠子は靴ひもを結び終え、無邪気に空を見上げて拍手をしている。
魔神の攻撃は、かすり傷一つ、珠子の髪の毛一本すら傷つけることができない。
いかなる絶望の魔法も、珠子の持つ『宇宙からの祝福(常時絶対回避・超絶幸運バフ)』の前では、「突然吹いた風」や「靴ひもが解けた偶然」といった日常の現象によって、すべて物理的に無効化(ギャグ化)されてしまうのだ。
『バ、バカな……! 我ハ世界ヲ滅ボス魔神ゾ!? ナゼ、ドレホド攻撃シテモ、ソノ小娘一人ニ当タランノダァァァッ!!』
魔神は空で頭を抱え、絶望を通り越して「パニック」に陥り始めていた。
(……哀れだ)
アディは胃薬を噛み砕きながら、空の化け物に深い同情を寄せていた。
(この女の『私は宇宙に愛されている』という思い込みは、星の因果律そのものを強制的に『コメディ』へと書き換えてしまう。お前がどれだけシリアスに絶望を撒き散らそうと、この女の前では、すべてが『運の良いハプニング』として処理されてしまうのだ……)
世界を滅ぼすはずの絶対的脅威は、スピ子の究極のポジティブ思考によって、完全に「手品に失敗し続けるピエロ」へと成り下がっていた。
しかし、珠子の『デトックス(強制浄化)』は、ただ攻撃を避けるだけでは終わらない。
「あの子……さっきからずっと、こっちを見てるね」
珠子は、空でゼェゼェと息を切らしている巨大な魔神を、真剣な眼差しで見つめ返した。
「もしかして……懐かしい波動がする……!」
最強の幸運バフで魔神を翻弄した珠子は、次なるトンデモ・スピリチュアル理論を炸裂させようとしていた!




