【番外編】 アディの受難~元・帝国最強騎士の華麗なる胃薬生活~
神聖エリュシオン王国の首都、その一等地にそびえ立つ白亜の洋館。
『異世界スピリチュアル・サロン:コスミック・ワン 王都本店』は、今日も朝から貴族の馬車が列をなし、凄まじい活気に満ち溢れていた。
「はい、次のお客様。耳つぼ調律マッサージをご希望ですね。オーナーの珠子が担当いたしますので、奥の『幻の香木』のベッドへどうぞ」
「ああっ、アディさん! 今日もその白フリルのエプロンがお似合いで……!」
「お世辞は結構です。それより、入店時の『ありがとう水』はお飲みになりましたね? 波動が乱れたままでは施術の効果が落ちますので」
受付カウンターで、流れるような手つきで顧客名簿を捌いているのは、銀髪の美しい少女――アディ・フォン・ローゼンバーグである。
かつて神聖帝国の『最高位魔導騎士』とまで呼ばれながら、魔力回路の異常によって「出来損ない」の烙印を押され、辺境の森に捨てられた彼女。
そんな彼女の現在の肩書きは、「最強のスピリチュアル・サロンの受付兼、経理兼、神獣の世話係兼、そして常識崩壊に対する唯一のツッコミ役」であった。
「……ふぅ。午前中の予約はすべて捌ききったか」
アディはペンを置き、カウンターの下に隠してある胃薬代わりの苦い薬草茶をあおった。
帝国を追放され、死にかけていた自分を拾ってくれたのが、あの常識外れのスピリチュアル女子・珠子である。命の恩人には感謝している。感謝しているのだが……。
「珠子様ァッ!! 本日の朝の祈りの際、珠子様がおっしゃった『すべては宇宙のワンネス』というお言葉、教会本部の公式教義として追加するよう枢機卿会議で可決させてまいりました!!」
「わぁ、クラウスさん、いつもありがとう! でも祈りとかいいから、玄関の掃き掃除お願いできる?」
「ははっ! 喜んで落ち葉の波動を整えさせていただきます!!」
アディの目の前で、かつて「教会の猟犬」として血も涙もない拷問を行っていた異端審問局の筆頭が、竹箒を手にして満面の笑みで庭へ飛び出していく。
『ニャァァン(おい、飯はまだか。高級ツナ缶を寄越せ)』
「はいはい、シリウスは食いしん坊だねー! あ、霊木のベッドで爪とぎしちゃダメだよ!」
『グルゥゥ……(ちっ、バレたか)』
そして、世界の生態系の頂点に立つ神話級の災厄『銀雪の破壊獣』は、珠子にモフられながら、ただの巨大なデブ猫と化して腹を出している。
(……狂っている。どう考えてもこの空間の勢力図はおかしい。王家が資金を出し、教会のトップが掃除をし、神獣が客寄せパンダをしている。その中心にいるのは、ただ『風水とデトックスが好きなだけの小娘』だぞ……)
アディは胃の辺りをギュッと押さえた。
毎日毎日、国家予算レベルの金塊の計算をし、珠子が「百円均一」感覚で作り出す戦略級アーティファクト(アロマスプレーやオルゴナイト)の在庫管理をする生活。アディの強靭な精神力も、そろそろ限界を迎えつつあった。
そんな時だった。
サロンの扉がカラン、と開き、一人の目立たない灰色のローブを着た男が入ってきた。
男は周囲の客の目を盗むようにしてカウンターに近づき、アディの前に立った。
「……探したぞ、アディ。まさか敵国である聖王国の、しかもこんな王都のど真ん中で呑気にウェイトレスの真似事をしているとはな」
その低く冷たい声を聞いた瞬間、アディの目がスッと細められた。
「その声……帝国情報部の密偵、ルークスか。こんな白昼堂々、よく入り込めたものだ」
男――ルークスは、かつて帝国軍でアディの同僚だった男だ。
彼はフリフリのエプロンを着たアディを見て、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「落ちぶれたものだな、かつての天才魔導騎士が。お前を『出来損ない』と切り捨てた研究所の所長が、お前の生存情報に気づいてな。始末するか、あるいは実験体として回収するか、様子を探りに来たのだ」
ルークスの手には、猛毒の塗られた暗殺用の短矢が握られていた。
「どうだアディ。ここで私に捕らえられ、帝国の地下牢で一生モルモットになるか。それとも今ここで……死ぬか?」
ルークスが殺気を放ち、アディの心臓めがけて毒矢を突き出した、その瞬間。
――パチンッ!
澄んだ音が鳴り、アディの左手首に嵌められていた『パワーストーンブレスレット(身代わり石)』の水晶玉が一つ、綺麗に弾け飛んだ。
ルークスの毒矢は、アディの胸元の数センチ手前で見えない壁に弾かれ、ポキリと折れて床に落ちた。
「なっ……!? 絶対防御の結界……!? 馬鹿な、詠唱も魔力展開も一切なかったぞ!?」
驚愕して後ずさるルークス。
しかし、アディは全く動じることなく、静かにため息をついた。
「……ルークス。お前、相変わらず短絡的だな。それと、顔色が酷いぞ。肝臓の辺りの『第3チャクラ』が完全に淀んでいる。長年のストレスと睡眠不足で、波動が乱れ切っているな」
「は……? ちゃくら……? はどう……?」
「帝国情報部の過酷な労働環境は私も知っている。だが、そんなネガティブな気を溜め込んでいては、良い引き寄せは起こらない。まずは塩化マグネシウムの風呂に入り、毛穴からデトックスをしてこい」
「な、何を言っているんだお前は……! 頭がおかしくなったのか!?」
かつての冷徹な天才騎士の口から飛び出す、謎の横文字と健康アドバイスの連続。ルークスは完全に混乱し、恐怖すら覚え始めていた。
「おかしくなった? ……そうかもしれないな」
アディは遠い目をしながら、背後のサロンを見渡した。
「だが、考えてもみろ。帝国に戻れば、ブラックな労働環境で毎日命を削り、低賃金で上官にこき使われる日々だ。
それに引き換え、ここはなんだ? 王家が全面的に保護してくれて、教会のトップが掃除をしてくれて、世界最強の神獣が護衛についている。給料は金塊で支払われ、おまけに不老不死の霊薬(ありがとう水)が飲み放題だ」
アディはふっと、憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。
「……悪いが、私はもう、この『宇宙の愛と光の波動(超絶ホワイト環境)』から抜け出せる気がしない。帝国の所長にはそう伝えておけ。これ以上ちょっかいをかけるなら、うちのオーナーが『ポジティブなアファメーション』で帝国の首都を更地に変えるぞ、と」
「ヒッ……!!」
アディの背後で、ちょうど巨大な神獣シリウスがあくびをし、庭でクラウスが「すべてはワンネス!」と叫びながら異端審問の炎でゴミを燃やしている光景を見たルークスは、悲鳴を上げてサロンから逃げ出していった。
「あ、アディちゃん! 今の人、帰っちゃったの? せっかくハーブティー淹れたのにー」
奥から珠子が、お盆を持って小走りでやってきた。
「……いや、彼はただの道に迷った子羊だ。自らのカルマを精算するために、急いで帰っていったよ」
「そっかー! じゃあこのお茶、アディちゃん飲んで! 今日はすっごくお客さん多くて疲れたでしょ?」
珠子の無邪気な笑顔を見ながら、アディは温かいハーブティーを受け取った。
一口飲むと、胃の痛みがスッと引いていく。相変わらず、異常なほどの回復魔法が込められた一杯だ。
(……慣れとは恐ろしいものだ。かつてはあんなに拒絶していたこの女の常識外れな行動も、今となっては『またか』と受け入れている自分がいる)
アディはエプロンのフリルを少し整え、受付カウンターの前にシャキッと立ち直った。
「さて。午後のお客様をお迎えしよう。この世界を、愛と光の波動でデトックスするためにな」
元・帝国最強の騎士は、今日も胃薬を片手に、トンデモ・スピリチュアルの最前線で華麗なる受付業務をこなすのだった。




