第25話 クリスタルボウルと地下の邪教団~低波動の呪いには『神聖周波数』を!~
神聖エリュシオン王国の首都、王城の地下深くに広がる広大な大下水道。
日の光が一切届かないそのじめじめとした空間で、松明の赤黒い炎に照らされながら、怪しげなローブを羽織った数十人の集団が円陣を組んでいた。
「おお……深淵の主よ……」
「我らの呼び声に応え、今こそ現世への扉を開き給え……!」
彼らは、王都の暗部で長年暗躍してきた過激派カルト『深淵の教団』の狂信者たちである。
彼らが囲む広場の中央には、おぞましい造形をした巨大なオブジェが鎮座していた。それは、魔獣の骨と得体の知れない肉塊を繋ぎ合わせて造られた『生きた楽器(呪詛のパイプオルガン)』であった。
鍵盤がひとりでに沈み込むたび、パイプから「ゴォォォォ……」「ギェェェェ……」という、この世の者とは思えない怨嗟の叫び声が響き渡る。
ありふれた怨霊や悪霊などを呼び出すような陳腐な術式ではない。この『生きた楽器』が奏でる呪われた旋律は、空間そのものに特異な超常現象(ポルターガイストや重力異常)を引き起こし、次元の壁を物理的に削り取って『魔神』を召喚するための、極めて高度で冒涜的な儀式なのだ。
「フハハハッ! 見ろ、生きた楽器の呪詛によって、空間に亀裂が入り始めたぞ!」
教祖が狂喜の声を上げる。
彼らの足元に描かれた赤黒い魔法陣がドクドクと脈打ち、王都を破滅に導く魔神の腕が、まさに次元の裂け目から這い出そうとした――その時だった。
「ちょっとー! さっきから地下でドンドン、ギィギィって、すっごい騒音なんですけど!」
「「「……は?」」」
教団員たちの詠唱が、ピタリと止まった。
下水道の奥から、片手で鼻をつまみ、もう片方の手でランタンを持った若い女――大聖女・珠子が、ずかずかと足音を立てて歩いてきたのである。
その後ろからは、フリフリのエプロンを着て頭を抱えているアディが、「だからやめろと言ったのに……!」と半泣きでついてきている。
「な、なんだ貴様らは!? ここは我ら深淵の教団の絶対聖域だぞ!」
「聖域っていうか、ただのドブじゃん! それに何なの、あの真ん中にある気持ち悪い骨の塊! そこから出てる音が、もうめちゃくちゃ『波動が低い』んだけど!」
珠子は生きた楽器を指さして、心底嫌そうな顔をした。
「波動が低いだと……!? 愚か者め、これは魔神を呼び覚ますための、究極の呪詛の旋律――」
「音楽っていうのはね、人の心と空間を癒やすためにあるの! あんな、聞いてるだけで頭が痛くなるような不協和音を鳴らしてたら、チャクラが詰まって自律神経がおかしくなっちゃうよ!」
珠子は怒り心頭で、背負っていた大きなリュックをドサリと床に置いた。
アディは壁際に隠れながら、胃薬を噛み砕いていた。
(……まずい。あの骨の楽器が放っているのは、対象の精神を直接破壊する『呪詛の音波』だ。あんなものの直撃を受ければ、並の魔導師なら数秒で発狂するぞ……!)
「ええい、闖入者め! 生きた楽器よ、あの娘を呪いの音色でミンチにしてしまえ!!」
教祖が叫ぶと、生きたパイプオルガンが大きく脈打ち、これまでで最大の「ギガァァァァァァッ!!」という凄まじい衝撃波(呪いの旋律)を珠子に向けて放った。
「うるさーい!! 騒音トラブルにはこれだよ!」
珠子はリュックの中から、乳白色に透き通るすり鉢のような美しい器――『クリスタルボウル』を取り出した。水晶を砕いて高温で焼き固めた、現世のスピリチュアル界隈で使われる音響ヒーリング楽器である。
珠子は専用の革巻きマレット(棒)を手に持ち、ボウルの縁を優しく、しかし真っ直ぐに叩いた。
――カァァァァァァァァン…………!!!!
その瞬間。
地下下水道のじめじめとした空気が、一瞬にして『ピシッ』と凍りついたように静まり返った。
クリスタルボウルから放たれたのは、現世のスピリチュアルで「DNAを修復する奇跡の周波数」と呼ばれる『528ヘルツ』の絶対神聖音波。
それがドーム状に広がり、生きた楽器が放った呪いの衝撃波と真正面から激突した。
パリィィィィィンッ!!!!
「なっ……!?」
教祖の目が飛び出た。
珠子のボウルが奏でる「ただの綺麗な澄んだ音」が空間に響き渡った瞬間、呪詛の音波はあっけなく霧散し、さらにその神聖な共鳴を受けた『生きた楽器』そのものが、まるで薄いガラスでできていたかのように、粉々に砕け散ってしまったのだ。
「バ、バカな……! 我らが十年の歳月と怨念を込めて作り上げた呪いの兵器が、たった一つの音色で粉砕されただと……!?」
壁際のアディは、あまりの光景に膝から崩れ落ちていた。
(……信じられない。水晶の共鳴を利用した、空間そのものの『絶対浄化周波数』……!! 邪悪なマナの波形を完全に相殺するどころか、音波の届く範囲すべての事象を『光属性』へと強制調律しているというのか!?)
「よし、少し空気が綺麗になったね! じゃあ、仕上げにもう一回鳴らすよー! 空間の邪気を完全にデトックス!」
珠子はマレットで、今度はクリスタルボウルの縁をぐるぐるとこすり始めた。
――フォォォォォォォ…………。
高く、深く、どこまでも澄み切った倍音が、地下空間に反響していく。
その音が魔神を召喚するための魔法陣に触れた瞬間、陣を描いていた赤黒い血の魔力が「シュワァァッ」と音を立てて蒸発し、ただの綺麗な水へと変換されてしまった。
次元の裂け目から出かかっていた魔神の腕は、「アッ、なんか眩しいんで帰ります」と言わんばかりに、スッと裂け目の奥へと引っ込んでいき、そのまま空間のヒビは完全に塞がってしまった。
「あ……ああ……我らの悲願が……」
教祖が絶望の声を上げるが、彼の顔には不思議と怒りはなかった。
クリスタルボウルの神聖な音波を直接浴び続けた教団員たちは、次々とその場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙を流し始めていたのだ。
「おお……なんて美しい音だ……。私の淀んでいた魂が、洗われていく……」
「魔神など、もうどうでもいい……。私はただ、この心地よい音色に包まれて、実家の母の味噌汁が飲みたい……」
「争いは虚しい……すべては愛、ワンネス……」
王都を恐怖に陥れるはずだった過激派カルト集団は、数分間の『音響ヒーリング』によって、完全に毒気を抜かれ、全員が悟りを開いた聖者のような顔で合掌し始めてしまった。
「うんうん、みんな良い顔になったね! やっぱり、波動を整えるには音が一番だね!」
珠子は満足げにクリスタルボウルをしまい、リュックを背負い直した。
「さーて、騒音も解決したし、サロンに戻ってお店開けよっと! アディちゃん、帰るよー!」
「……ああ。お前がたった一つの楽器で、国家転覆の危機を『ただの騒音苦情』として解決してしまった事実を、どうやってルークスたち自警団に説明すればいいのか……もう胃薬のストックがないのだが……」
その後、自ら王都の衛兵に「私たちが悪かったです」と涙ながらに出頭してきた教団員たちを見て、王城の騎士団長が混乱のあまり寝込んだというが、珠子は知る由もなかった。
トンデモ・スピリチュアルの圧倒的な「場の浄化力」は、ついに音波兵器にまで到達した。
だが、安息も束の間。
アディの過去の因縁――魔導科学の粋を集めた「帝国」の脅威が、すぐそこまで迫っていたのである。




