第19話 迫る瘴気と秘密の少女~空気が悪い日は手作りオルゴナイト!~
教会の異端審問官が「番犬」へと華麗なるジョブチェンジを果たして王都へ帰っていった日の午後。
突如として隣の『静寂の森』から発生した赤黒い瘴気の波と、サロンに転がり込んできた謎の少女の出現により、洋館の空気は一変していた。
「きゃあ! お客さん、大丈夫!?」
珠子は倒れ込んだ少女の元へ駆け寄り、その体を抱き起こそうとした。
「待て、珠子! 触るな!!」
アディが血相を変えて叫ぶ。
彼女の魔力感知眼には、少女の衣服にこびりついている赤黒い霧が、触れた者の生命力を根こそぎ奪い取る『死属性の高濃度瘴気』であることがハッキリと見えていた。並の人間なら、あの霧を一口吸い込んだだけで肺が腐り落ちて即死する。
しかし、アディの制止は一足遅かった。
「え? うわー、すっごい体が冷たくなってる! 顔色も真っ青だし、オーラが泥水みたいに濁っちゃってるよ!」
珠子は一切の躊躇なく少女を抱き上げ、ズカズカとホールの奥へ運んでいく。
(ば、馬鹿な……! 死の瘴気が、珠子の素手に触れた瞬間に『ジュワッ』と音を立てて浄化されていく……!? この女自身が放つ常時展開の光属性オーラ(本人はただのポジティブ思考だと思っている)が、瘴気の侵食を完全に弾き返しているだと……!?)
アディが戦慄している間に、珠子は少女を白銀に輝く『幻の香木』のベッドに寝かせた。
「アディちゃん、お水! 『ありがとう水』持ってきて! あとシリウス、ちょっと添い寝してあげて!」
『ニャン!(任せろ)』
神話級の神獣・シリウスがベッドに飛び乗り、少女の体にぴったりと寄り添って『ゴロ……ゴロ……』と巨大な喉を鳴らし始めた。
その瞬間、洋館の特級聖域システムがフル稼働した。
霊木ベッドの圧倒的な清浄マナと、神獣が放つヒーリング波動(光属性の極大回復魔術)が交わり、少女を包み込んでいた死の瘴気は、悲鳴を上げる間もなくチリとなって消滅した。
「う、ううん……」
数分後。少女がゆっくりとまぶたを開けた。
「あっ、気がついた? 良かったー! はい、ゆっくりお水飲んでね」
珠子が少女の口元にコップを運ぶ。少女は促されるままに、その透明な水をコククリと飲み込んだ。
「……っ!?」
少女の瞳が、驚愕に見開かれた。
(な、何ですかこの水は!? 喉を通った瞬間、瘴気でボロボロに破壊されていた私の魔力回路が、一瞬にして……いえ、以前よりも遥かに強靭に修復されていく……! 神代のエリクサー!? それに、この柔らかく温かいベッドは……国宝級の幻の霊木……!?)
少女がパニックになりかけたその時、彼女の視界の端に、自分の横で丸くなっている巨大な銀色の毛玉が入った。
「ヒッ……!? ぎ、銀雪の破壊獣!? なぜ、神話の災厄がこんなところに……あわわわっ!」
「よしよし、怖くないよー。うちの看板猫のシリウスだから! すっごく人懐っこいサイベリアンなの」
『ニャーン(撫でていいぞ)』
「さ、さいべりあん……? 猫……これが……?」
少女は完全に混乱の極みに達し、ベッドの上でフリーズしてしまった。
そんな彼女を、アディは腕を組みながら冷ややかに観察していた。
(……ただの迷い込んだ旅人ではないな。纏っている旅のローブこそ粗末だが、その下に着ている衣服の生地は、帝国でも一握りの王侯貴族しか身につけられない『天蚕糸』だ。それに、あの膨大な魔力の残滓……身分を隠しているようだが、相当な高位の存在だぞ)
「あの、お名前は? どこから来たの?」
珠子が優しく尋ねると、少女はハッと我に返り、慌ててベッドの上で居住まいを正した。
「わ、私は、ルミナと申します! 各地を巡りながら薬草の研究をしている、しがない旅の薬師ですわ!」
ルミナと名乗った少女は、必死に言葉遣いを平民に寄せようとしているが、隠しきれない気品がダダ漏れになっていた。
「ルミナちゃんね! 私は珠子! こっちはアディちゃん。でも、どうしてあんな真っ黒なネガティブ・エネルギー(瘴気)を被って倒れてたの?」
珠子の問いに、ルミナの顔色に再び絶望の影が落ちた。
「……隣の『静寂の森』です。森の奥深くに封印されていた古代の魔神の遺骸から、突如として封印が破れ、致死の瘴気が溢れ出したのです! 私は薬師として森の異変を調査しに行きましたが、あの瘴気の前では手も足も出ず……命からがら逃げ帰ってきたのです」
ルミナは窓の外を指さした。
「見てください! あの瘴気の波が、もうこのリーゼンの街の壁まで迫っています! あの霧が街に入り込めば、人々は次々と倒れ、数時間後にはこの街は死の海と化してしまうでしょう! 今すぐ、皆を連れて逃げなければ……!」
アディが窓の外を確認すると、ルミナの言う通り、街の北門のすぐ外まで、赤黒い絶望の霧が津波のように押し寄せていた。自警団が必死に門を閉じているが、気体である瘴気を物理的な壁で防ぐことなど不可能だ。
「……くっ、珠子! ルミナの言う通りだ、ここは一旦撤退して――」
「えーっ? 死の海って……つまり、空気がすっごく悪くなって、スモッグみたいに街が覆われちゃうってこと?」
珠子は窓枠に手をかけ、迫り来る死の瘴気をまじまじと見つめた。
「うわぁ、本当だ。空が真っ暗。これはPM2・5とか花粉のレベルじゃないね。完全に空気が淀んでる。あんなの吸い込んだら、お肌は荒れるし、気管支は痛めるし、何より風水的に最悪の邪気じゃん!」
「……え?」
ルミナがポカンと口を開ける。古代の死の呪いを、この女は「お肌に悪いスモッグ」と同列に語っているのだ。
「ダメダメ! やっと正式オープンしたばかりのサロンなのに、外の環境(波動)がそんなに悪くなっちゃったら、お客様が気持ちよくリラックスできないよ! 街ごとお引越しなんて絶対無理!」
「し、しかし珠子様! あれは教会の高位神官が百人束になって結界を張っても、防ぎきれるものでは……」
「大丈夫! 空気が悪いなら、空気清浄機を置けばいいの! ネガティブなエネルギーを吸い込んで、マイナスイオンに変換しちゃうやつ!」
珠子はリュックを逆さにし、ガサゴソと中身をカウンターの上にぶちまけ始めた。
「えっと、現世のクラフトショップで買っておいた『UVレジン(樹脂)液』の予備と……アメジストのさざれ石、水晶のポイント! アディちゃん、なんでもいいから使ってない金属の破片とか、銅線とかない!?」
「き、金属の破片? 私の予備の甲冑の鎖帷子ならあるが……」
「それ貸して! よし、材料は揃った! 今から最強のスピリチュアル浄化アイテム『オルゴナイト』を手作りするよ!」
「おるご……ないと……?」
ルミナとアディが呆然と見つめる中、珠子は手際よく透明な樹脂の液体を型に流し込み、その中に水晶の欠片や、細かく切った金属の鎖を規則的に配置し始めた。
(……な、何をしているんだ、あの女は?)
アディの鑑定眼が、珠子の手元で行われている作業の異常さを即座に見抜いた。
(透明な樹脂の流体で空間を固定し、その内部にマナの伝導率が極めて高い貴金属と、魔力を増幅・屈折させる天然の魔石を、幾何学的な『神聖陣形』の通りに配置している……!? まさか、周囲の環境マナを強制的に吸い上げ、光属性へと完全変換して再放出する、無限駆動型の『広域マナ転換フィルター』を、その場で一から組み上げているというのか……!?)
帝国の魔導技術の粋を集めても、建造に十年はかかる超兵器。それを、珠子は「工作のノリ」で、楽しそうに鼻歌を歌いながら作っているのである。
「よしっ、配置完了! あとはこれを固めるだけ! UVライトはないから……太陽の光で硬化させるしかないね! シリウス、ちょっと窓開けて、一番日当たりのいいとこにこれ置いて!」
『ニャン!』
シリウスが器用に前足で型を押し、日差しの差し込む窓辺へと移動させる。
迫り来る死の瘴気に対し、珠子が取り出した対抗策は、樹脂と石と金属クズで作られた「手のひらサイズの手作りピラミッド」だった。
「これで準備オッケー! さあ、悪い空気(瘴気)たち、どんとこい!」
珠子が腰に手を当てて胸を張ったのと同時に。
ついに防壁を越えた赤黒い瘴気の津波が、リーゼンの街全体を飲み込み、珠子たちのサロンの窓へと襲いかかってきた。
「ひぃぃっ! お、終わりですわ……!」
ルミナが恐怖で目をギュッと瞑った、その瞬間である。
窓辺に置かれた小さなオルゴナイトが、カッ!!!!と、太陽そのもののような強烈な輝きを放ち始めたのだった。




