第18話 教会の猟犬、スピ子の番犬となる~大聖女認定と空間浄化アロマスプレー~
『異世界スピリチュアル・サロン:コスミック・ワン』の正式オープンから数日が過ぎた朝。
洋館の前庭では、信じられない光景が繰り広げられていた。
漆黒の法衣に身を包んだ、聖教会が誇る冷酷無比な異端審問局筆頭・クラウスが。
満面の、それこそ春の陽だまりのような穏やかな笑みを浮かべながら、竹箒でシャッ、シャッと落ち葉を掃いていたのである。
「おはようございます、アディ殿。今日も素晴らしい朝ですね。小鳥のさえずりが、私の浄化されたインナーチャイルドに心地よく響きます」
「……お前、本当に誰だ」
出勤(?)してきたアディは、フリフリのエプロン姿のまま、心底気味が悪そうにクラウスを睨みつけた。
昨日、珠子の『前世療法(退行催眠)』によって過去のトラウマをほじくり返され、チョコチップクッキーを泣きながら食べたこの男は、一晩にして完全に「別人」へとリビルドされていた。
かつて彼から立ち上っていた、血と硝煙の混じったような恐ろしい殺気は微塵もない。今の彼から発せられているのは、新緑の森のようなマイナスイオン(スピリチュアル的ハッピーオーラ)だけである。
「誰とはご挨拶ですね。私は大聖女・珠子様の忠実なる下僕であり、この素晴らしい愛と光のサロンを守護する番犬、クラウスです。……ああ、この落ち葉の一枚一枚にも、宇宙の愛が宿っているのですねぇ」
「……完全に手遅れだな。教皇がこの姿を見たら、泡を吹いて卒倒するぞ」
アディが深々とため息をついた時、「おっはよー!」と能天気な声を上げて珠子がサロンから出てきた。
「あ、クラウスさん! 朝からお掃除ありがとう! 玄関が綺麗だと、風水的に良い気がどんどん入ってくるんだよ!」
「もったいないお言葉です、珠子様! 私の魂の汚れを落としていただいた恩に比べれば、落ち葉掃きなど造作もありません!」
クラウスは竹箒を置き、珠子に向かって深々と、それこそ神に祈りを捧げるように平伏した。
「あ、そうだクラウスさん。今日、王都の教会に帰るんでしょ? これ、お土産!」
珠子はリュックの中から、透明なプラスチック製のスプレーボトルを取り出してクラウスに手渡した。中には、無色透明の液体が入っている。
「これは……? おおっ、手に持っただけで、微かな香りと共に凄まじい神聖マナを感じます!」
「それはね、『空間浄化アロマスプレー(ラベンダー&セージの香り)』だよ! 百円均……じゃなくて、特別なお店で買ったアロマオイルを、私の『ありがとう水』で割って作った特製スプレー!」
珠子はシュッ、シュッと空中にスプレーを吹きかけた。
フワリと、心を落ち着かせる良い香りが広がる。
「職場って、どうしてもネガティブな気が溜まりやすいでしょ? イライラしてる人がいたり、空気が重いなぁって思ったら、このスプレーをシュッとひと吹きするの。そうすれば、アロマの香りと水の波動で、空間が一瞬でクリアに浄化されるからね!」
「空気が重い時に、ひと吹き……」
クラウスは震える両手でスプレーボトルを受け取り、その場に崩れ落ちた。
「おおおおお……!! なんという奇跡の魔導具……!!」
彼にとって、異端審問局という職場は「ネガティブな気」どころの騒ぎではない。血なまぐさい尋問、権力闘争の陰謀、神官たちのドロドロの欲望が渦巻く、この世の地獄のような場所だ。
それを「ひと吹きでクリアに浄化する」というのだ。
(対象空間の魔力波動を強制的に光属性へと書き換える、『携帯型・神聖結界発生器』……! しかも、中に入っているのはあの『神代のエリクサー』の希釈液……。これを審問局で使えば、どんなに狂暴な異端者や悪徳神官も、香りを嗅いだ瞬間に涙を流して懺悔し始めるだろう……!!)
クラウスの魔導解釈が、アロマスプレーを「対神聖結界用の最終兵器」へと昇華させていた。
「珠子様……! この御恩は、生涯忘れません! 本部への報告書は、すでに完璧に仕上げております!」
クラウスは懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「『辺境都市リーゼンに降臨せし大聖女は、間違いなく神の化身である。その行いはすべて奇跡であり、彼女のサロンは教会の総本山と同等、いやそれ以上の絶対不可侵領域として認定すべきである。もし彼女に危害を加えようとする愚か者がいれば、この異端審問局筆頭クラウスが、教皇であろうとも全力で排除する』……と!」
「ええっ!? なんか重い! ていうか教皇様を排除しちゃダメだよ!」
「フフフ、ご安心を。教会の面倒事はすべて私が揉み消し、珠子様には毛玉ほどの火の粉も降りかからぬよう、全力で『番犬』の務めを果たさせていただきます!」
クラウスは清々しい笑顔でそう言い残すと、アロマスプレーを胸に大事に抱きしめ、颯爽と王都への帰路についた。
それを見送ったアディは、遠い目をしていた。
(……終わったな。我々を異端として焼き殺すはずだった教会のトップエリートが、逆に『教会から我々を隠蔽し、守るための狂犬』へと寝返ってしまった。あのスプレーの力で、王都の異端審問局そのものが、数日後には『スピリチュアル愛好会』へと変貌していることだろう……)
アディの予想通り、のちに王都の暗部では「ラベンダーの香りと共に悪人が改心して自首してくる」という謎の現象が多発することになるのだが、それはまた別の話である。
「よしっ! これでお客さんとして来てくれたクラウスさんの気も整ったし、今日も元気にサロンを開店しよー!」
珠子はのんきに伸びをし、看板猫のシリウスをモフり始めた。
聖教会の脅威は、珠子の前世療法とアロマスプレーによって、完全に無力化(ハッピー化)された。
これでしばらくは、この辺境の街で平穏なサロン経営ができる。
……アディがそう安堵の息を吐きかけた、その日の午後のことだった。
――ヒュウゥゥゥゥ……。
「……ん?」
サロンの窓を開けて換気をしていた珠子が、ふと顔を上げた。
「アディちゃん、なんだか外、急に暗くなってない? それに、空気がすっごく……どんよりしてる」
アディが慌てて窓に駆け寄ると、彼女の鋭い魔力感知眼が、信じられない光景を捉えた。
街の隣に広がる広大な『静寂の森』。その奥深くから、空を覆い隠すほどの赤黒い霧――高濃度の『瘴気』が、風に乗ってリーゼンの街へと津波のように押し寄せてきていたのだ。
「馬鹿な……! 魔物の大量発生の予兆……いや、違う。この瘴気の質は、自然発生したものではない。まるで巨大な呪いの塊が、意図的に街へ向けられているような……!」
アディが息を呑んだその時。
サロンの扉が、バンッ!と勢いよく開き、一人の少女が転がり込んできた。
「はぁっ、はぁっ……! だ、誰か……」
見慣れない旅のローブを羽織ったその少女は、青白い顔で苦しげに胸を押さえ、そのまま床にバタリと倒れ伏した。
「きゃあ! お客さん、大丈夫!?」
珠子が慌てて駆け寄る。
倒れた少女の衣服からは、森から流れ込んできているのと同じ、あの赤黒い瘴気が微かに立ち上っていた。
教会の脅威が去った直後、新たな問題がサロンに転がり込んできた。
この謎の少女『ルミナ』の登場が、珠子たちを聖王国のさらなる核心へと巻き込んでいくこととなる。




