第17話 前世療法(退行催眠)の恐怖~対象の魂(ソウル・レコード)を強制ハッキング~
『異世界スピリチュアル・サロン:コスミック・ワン』の奥に鎮座する、白銀に輝く幻の霊木のベッド。
現在、その上では、聖教会が誇る冷血無比な異端審問局筆頭・クラウスが、完全に無防備な大の字になってスヤスヤと寝息を立てていた。
「眠くなーる、眠くなーる……。あなたの意識はゆっくりと深層心理の底へ、魂の奥底へと沈んでいきまーす……」
珠子はベッドの横に座り、クラウスの顔の真上で紫水晶のダウジング・ペンデュラムをゆらゆらと揺らしている。
その光景を、壁際に張り付いたアディがガタガタと震えながら見つめていた。
(……信じられない。聖教会の拷問にも、帝国軍の自白剤にも耐えうるよう訓練された『絶対精神防壁』を持つ筆頭審問官が、たった数分、石の揺れを見ただけで完全に意識を落とされただと……!?)
アディの魔力感知眼には、恐ろしい光景が映っていた。
珠子が揺らす紫水晶から放たれる微弱だが規則的な波動が、クラウスの強固な精神結界を「物理的に破壊する」のではなく、「鍵穴の形を変えてスルリとすり抜ける」ように侵入し、彼の大脳皮質、ひいては魂の記録へと直接アクセスしていたのだ。
(対象の精神領域への強制ダイブ……! 対象の自我そのものを根本から書き換える、神聖帝国ですら禁忌に指定された極悪非道な『絶対洗脳魔術』! この女、ニコニコ笑いながらなんて恐ろしいことを……!)
「はーい、クラウスさん。私の声が聞こえますかー?」
珠子が優しく問いかけると、眠っているはずのクラウスの口が、微かに動いた。
「……あ、あ……」
「そう、ゆっくりでいいですよ。今、あなたはとっても暗くて冷たい場所にいます。そこはあなたの魂が一番最初に傷ついた場所。……何が見えますか?」
クラウスの眉間が、苦痛に歪んだ。
彼の脳裏にフラッシュバックしているのは、幼少期の記憶――いや、それ以前に魂に刻み込まれた、抑圧の歴史だった。
『泣くな! 貴様は教会の剣、神の猟犬となるのだ! 感情など捨て去れ!』
『罰として、三日三晩の祈りだ。水も食事も与えん!』
クラウスは孤児院で教会に引き取られて以来、地獄のような訓練と洗脳教育を受けて育った。愛されることも、褒められることもなく、ただ「異端を狩る道具」としてのみ存在することを強要されてきたのだ。
「……痛い……暗い……私は、神の道具……弱音を吐いては、いけない……」
ベッドの上で、大の男がうなされながら悲痛な声を漏らす。
「あー、これはかなり重症だね! インナーチャイルド(内なる子供)がボロボロになって泣いてるよ。前世からのカルマも相当溜まってるみたい」
珠子はウンウンと頷き、クラウスの頭をヨシヨシと撫で始めた。
(インナーチャイルド……!? やはり、精神の最奥にある『自我の核』のことか! そこを直接弄り回す気か、この悪魔ッ!)
アディが心中で絶叫する中、珠子の「退行催眠」はさらに深淵へと進んでいく。
「クラウスさん。もう頑張らなくていいんだよ。あなたは道具じゃない。宇宙にただ一つしかない、尊い魂なんだから」
「……尊い、魂……? 私が……?」
「そうだよ。本当は、どうしたかったの? 神様のためじゃなくて、クラウスさん自身の心は、何を求めてたのかな? 怒ってもいいし、泣いてもいいんだよ」
珠子の声は、幻の霊木ベッドが放つ強制的な浄化マナと共鳴し、クラウスの魂にこびりついていた「教会の洗脳(呪縛)」をペリペリと剥がしていく。
どんな拷問にも屈しなかった鋼の精神が、ただ「ありのままを肯定される」という、彼がこれまで一度も与えられたことのない極上の慈愛(超高密度光属性マナ)によって、いとも容易く融解していく。
「本当は……本当は……ッ!」
クラウスの目から、大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
「私は……ただ、頭を撫でてほしかった……! よくやったねと、誰かに褒めてほしかっただけなんだぁぁぁっ!!」
「うんうん、そうだったんだね。えらいえらい、クラウスちゃんはすっごく頑張ったよ!」
「うわぁぁぁぁぁん!! おやつに甘い焼き菓子が食べたかったぁぁぁっ!! 祈りの時間になんて起きたくなかったぁぁぁっ!!」
――ズビシッ!!
その瞬間、クラウスの体から漆黒の瘴気(長年蓄積されたストレスとトラウマ)が爆発的に噴き出し、瞬時に空中で浄化されてキラキラと輝く光の粒子へと変わった。
「よしっ! インナーチャイルドの解放、大成功! 心のデトックス完了だよ!」
珠子は満足げに手をパンパンと払い、振り子をリュックにしまった。
壁際のアディは、その光景を見て魂が抜けかけていた。
(……終わった。冷血無比で知られる教会の最高戦力が、ただの『甘えん坊の赤子』へと完全に精神を再構築されてしまった……。しかも、使ったのはただの石と、言葉だけ……。これが、この女の真の力……)
数分後。
催眠から目覚めたクラウスは、ゆっくりとベッドから身を起こした。
先ほどまでの般若のような険しい顔つきは見る影もなく、その表情は憑き物が落ちたように穏やかで、肌ツヤまで良くなっている。
「……おお……。なんという清々しさだ……。私の心を満たしていた怒りと憎悪が、嘘のように消え去っている……。世界が、こんなにも美しく輝いて見えるなんて……」
クラウスは自分の両手を見つめ、ハラハラと感動の涙を流した。
「おはよう、クラウスさん! スッキリしたでしょ? はい、頑張ったご褒美の『ありがとう水』と、おやつのクッキーだよ!」
珠子が満面の笑みでコップと現世産クッキー(チョコチップ入り)を差し出す。
「ああ……大聖女様……!!」
クラウスはベッドから転げ落ちるようにして珠子の足元にひざまずき、その服の裾に顔を擦り付けた。
「あなた様こそ、真の神の代行者! この愚かで穢れた私に、無償の愛と光を与えてくださった……! この命、今日から大聖女様のために捧げさせていただきますッ!」
「え? 大聖女じゃないよ? あと命とか重いからいらないよ! クッキー食べて!」
「なんと慈悲深きお言葉……! 美味い、こんな美味い菓子がこの世にあったとは……うぅっ!」
教会の筆頭審問官は、チョコチップクッキーをかじりながら、ボロボロと幼児のように泣きじゃくっていた。
アディは壁に背中を預けたまま、ずるずると床に崩れ落ちた。
(……権力も、洗脳も、この女の前では何の意味もなさない。この世のすべての敵意は、この恐るべき『スピリチュアル(絶対愛の強制上書き)』によって、強引にハッピーにされてしまうのだ……)
こうして、珠子のサロンを異端として焼き払うはずだった教会の猟犬は、たった十五分の「前世療法」によって、世界で最も厄介で忠実な『スピ子の狂信者第一号』へと華麗なるジョブチェンジを遂げたのだった。




