第14話 パワーストーンブレスレット(身代わり石)~因果拒絶の100%安全バリア~
かつて人々が近づくことすら恐れた最悪の事故物件は、いまや白銀に輝く『幻の香木』のベッドが鎮座し、神話級の神獣シリウスがふみふみと喉を鳴らす、地上最強の絶対防衛要塞――もとい、『異世界スピリチュアル・サロン:コスミック・ワン』へと生まれ変わっていた。
プレオープンでの「耳つぼ調律マッサージ」によって廃人寸前の老魔導師が全盛期以上の力を取り戻して現役復帰したという噂は、一晩のうちに街のギルドや市場を駆け巡った。その結果、正式オープンの日を迎えたサロンの周囲には、朝から地平線の彼方まで続くのではないかと思えるほどの、凄まじい長蛇の列が形成されていた。
「はーい、皆さん開店ですよー! 並ぶ時は前の人と波動がぶつからないように、少しスペースを空けてねー! 笑顔と感謝の気持ちを忘れずに!」
珠子は太陽のような満面の笑みを浮かべ、洋館の重厚な玄関扉を勢いよく開け放った。
その横には、黒い布地に白いフリルがふんだんにあしらわれた『カフェ風エプロン(※アディの魔力を完璧に隠蔽する国宝級の超魔導衣類)』を身に纏ったアディが、複雑な表情で受付カウンターに立っている。さらにその足元では、体長二メートル(圧縮モード)の特大サイベリアンこと神獣シリウスが、神々しいサファイアブルーの瞳を輝かせながら退屈そうにあくびを噛み殺していた。
「珠子様! お待ちしておりました!」
「今日もその奇跡の癒やしで、俺たちの淀んだチャクラとやらを整えてください!」
押し寄せる客たちを前に、珠子は「はーい、順番にねー」と手際よく受付を流していく。
そんな中、珠子はふと、カウンターに並べられたある小さな木箱に手を伸ばした。中に入っているのは、今日の正式オープンのために珠子が用意した、色とりどりの輝く丸い石だった。
それは、現世の天然石問屋から安値で仕入れた、ただの水酸化クォーツやタイガーアイ、アメジストのビーズを、伸縮性のあるシリコンゴムで丸く繋いだだけの『パワーストーンブレスレット』――日本でよく見かける、いわゆる数珠である。
「ねぇねぇ、皆さん! 今日から新しく、うちのサロン特製の『開運魔除けグッズ』を販売しちゃいまーす!」
珠子がブレスレットをジャラジャラと掲げると、並んでいた客たちの視線が一斉にその石へと注がれた。
列の先頭にいたのは、辺境都市の治安を預かる自警団の若き隊長、ルークだった。彼はプレオープンでの噂を聞きつけ、自警団の装備や安全面に何か良い影響がないかと期待して並んでいたのだ。
ルークは珠子の手にあるブレスレットを見た瞬間、その美しさに息を呑んだ。
「珠子様……それは一体、どのような魔法具なのでしょうか? ただの宝石にしては、妙に光の反射が規則正しいというか、見ているだけで心が落ち着くような不思議な感覚があるのですが……」
「これはね、『パワーストーンブレスレット』って言うの! 身につけておくだけで、周囲の邪気……つまりネガティブな波動や悪意から、持ち主の身を優しく守ってくれるお守りなんだよ。もし持ち主の身に、自分ではどうしようもないような最悪のトラブルや不運が襲いかかりそうになった時はね、この石が『身代わり』になって、パチンと割れて身を守ってくれるの! 今日はお一人様一つまで、なんと破格の銅貨二枚でお買い得だよ!」
「ど、銅貨二枚……!? 身代わり石の魔法具が、そんな、宿の一泊分のメシ代よりも安いなんて……! 買います! 自警団の予算から出しますので、今ここにいる団員の分と、留守番をしている仲間の分、全員分を譲ってください!」
ルークは感動に震えながら財布から銅貨を掴み出すと、自警団の人数分のブレスレットを買い込み、さっそく自分の左手首に装着した。
赤や黄色、透明な石が交互に並んだ数珠は、彼の無骨な革の籠手の上で、どこか場違いなほど綺麗に輝いている。
その一部始終を横で見ていたアディは、カフェ風エプロンのポケットに手を突っ込んだまま、額から滝のような冷や汗を流していた。彼女の鋭い鑑定眼(魔力回路の精密解析能力)は、珠子が「ただの数珠」として手渡したそのアイテムの、真の恐ろしさを完全に看破してしまっていたのだ。
(……待て。嘘だろ。おい、冗談をやめろ珠子……!)
アディは心の中で絶叫し、必死に頭の中で魔導計算を組み立てていた。
(あの『シリコン』とやらに仕込まれた、異常な伸縮性を持つ結合術式……。あれは、装着者の肉体と魂のバイオリズムを完全に同調させるための『霊的アンカー』だ。そして、等間隔に配置された多面体の天然石(魔石)……。あれはただの飾りではない。装着者へ向けられた物理的・魔術的な『悪意のベクトル(攻撃)』を空間ごと感知し、その因果律を強制的に捻じ曲げて、迎撃・無効化するための『因果拒絶の絶対結界』のコアだ……!!)
アディの論理的解釈によれば、珠子が作ったブレスレットは、「装着者が受けるはずだった、いかなる致死量の攻撃や呪いであっても、100%の確率で一度だけ『なかったこと(無効化)』にし、その代償として石自体が破裂して身代わりになる」という、古代の神話や帝国の最深部にある極秘研究所でも理論すら完成していない、最高峰の『単発式・絶対防御アーティファクト』だった。
(それを……それを、銅貨二枚だと……!? 子供の小遣い並みの値段で、国家の最高機密レベルの防衛兵器を大衆に乱発するな! そんなことをしたら、この世界の既存の防具ギルドや魔導具市場が根底からひっくり返って更地になるぞ……!!)
アディが胃を押さえてプルプルと震えている横で、珠子は「はーい、毎度ありー! これでみんなの運気もアゲアゲ間違いなしだね! 宇宙のエネルギーと繋がってねー!」と、のんきにパチパチと手を叩いていた。
ルークたち自警団の一隊は、「珠子様のお守りだ!」と大喜びしながら、手首のブレスレットを誇らしげに掲げてサロンを後にした。
* * *
それから数時間後、サロンの営業が昼の休憩に入り、珠子がシリウスのモフモフの毛並みをブラッシングしていた時のことだった。
――カーーーン!! カーーーン!! カーーーン!!
街の北側、防壁の近くに設置された監視塔から、けたたましく激しい警鐘の音が響き渡った。
サロンの窓から外を覗くと、大通りを走る人々が悲鳴を上げているのが見える。
「大変だ! 北の街道から、狂暴化した『鉄甲暴走猪』の群れが、門を突破しようと突撃してきているぞ!!」
「自警団、出動だ! 一般市民を退避させろ! 街の中に奴らを入れるな!!」
鉄甲暴走猪。それは、全身が鋼鉄並みの硬度を持つ剛毛と強靭な皮膚で覆われた、体長三メートルを超える巨大なイノシシの魔物だ。
ただでさえ攻撃力と防御力が高い上に、集団で時速数十キロの速度を保ったまま直進してくるため、その突進の威力は城門の木柵や並の木造家屋を一撃で粉砕する。まともにその進路に立ち塞がれば、重装騎士であっても骨を粉々に砕かれて即死する、辺境都市にとっては非常に厄介な災害だった。
「おのれ、突撃してくるぞ! 盾を並べろ! 衝撃に備え――」
北門の防備に駆けつけたルーク率いる自警団の一隊が、槍と大きな鉄盾を構えて強固な防衛線を敷く。
しかし、街道の向こうから砂煙を巻き上げて迫り来るイノシシの群れは、自警団の予想を遥かに上回る規模だった。特に、群れの先頭を走るリーダー格の個体は、通常のボアの二倍はあろうかという巨体を誇り、その巨大な二本の牙には禍々しい赤黒い魔力が宿っていた。
「グルァァァァァッ!」「ブモォォォォッ!」
凄まじい地響きと共に、リーダーボアが時速一〇〇キロはあろうかという速度で、防衛線の中心にいるルークへと一直線に向かって突進してくる。
「ル、ルーク隊長! 危ない! 避け――」
「いかん、後ろには避難が遅れた市場の商人たちがいる! 避けるわけにはいかない……! うおおお、耐えろぉぉぉっ!!」
ルークは歯を食いしばり、鉄盾を両手で強く構えて地面に足をめり込ませた。
次の瞬間、巨大な鋼鉄の塊が、凄まじい轟音と共にルークの正面へと激突した。
ドゴォォォォォォォンッ!!!!
凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲の地面の土砂が爆発したかのように舞い上がる。視界が完全に遮られるほどの土煙の中、周囲の団員たちは誰もが「ルーク隊長が肉塊になった」と絶望し、悲鳴を上げた。
しかし――。
「……あれ?」
土煙の奥から聞こえてきたのは、あまりにも気の抜けた、ルーク自身の困惑した声だった。
風が吹き、砂煙が徐々に晴れていく。
そこで団員たちが目にしたのは、前代未聞の奇妙な光景だった。
ルークの放った鉄盾のわずか数センチ手前。空間そのものが、まるで強固な透明のガラス壁になったかのように、巨大なイノシシの突進を完全に受け止めてピタリと制止させていたのだ。
突進の凄まじい運動エネルギーは、ルークの肉体や盾に届く前に、空間の歪みによって100%完全に霧散していた。リーダーボアは、自分が何にぶつかったのかも理解できないまま、あまりの衝撃の跳ね返りに白目を剥き、その巨体をグラグラと揺らしてその場にドスンとへたり込んでしまった。
当のルーク自身は、髪の毛一筋、かすり傷一つ負っておらず、衝撃による反動すらも全く感じていなかった。
パチンッ。
静寂が戻った戦場に、微かで、しかしハッキリとしたガラスの割れるような音が響いた。
ルークがハッとして自分の左手首に目を落とすと、今朝、珠子のサロンで購入したパワーストーンブレスレットの石のうち、透明な『水晶玉』が一つだけ、綺麗にひび割れて粉々に砕け散り、パラパラと地面へと転がり落ちていった。
「これ……珠子様の言っていた、石が『身代わり』になるっていうのは……こういうことなのか……!?」
ルークは自分の手首を見つめ、驚愕のあまり全身に鳥肌が立つのを感じた。
今のは、間違いなく死ぬはずの衝撃だった。それを、この銅貨二枚の数珠に並んだ石が一つ身代わりになるだけで、世界の因果を拒絶し、自分を完全な無傷の状態で守り抜いたのだ。
「隊長……無事、なんですか……!?」
「ああ……無事だ。かすり傷一つない。それどころか……」
ルークは自分の手首に残った、まだ何個も連なっている輝く石たちを見た。
まだ石はある。つまり、この『絶対無敵のバリア』は、あと何回も発動するということだ。
ルークの脳内で、恐怖が完全に消え去り、代わりに凄まじい万能感が湧き上がってきた。
「おい、みんな……! 珠子様のブレスレットがある限り、俺たちは絶対に死なない! いかなる魔物の攻撃も、石が割れるだけで無効化できるボーナスタイムだ!! 防御など気にするな! 全軍、突撃ィィィィッ!!」
「「「おおおおおおおっ!!!」」」
隊長の無傷の奇跡と、手首に嵌められたお守りの『真の全貌』を理解した自警団の士気は、一瞬にして天を突き抜けた。
通常であれば、魔物の獰猛な突進に対して恐怖し、盾を構えてジリジリと後退するのが当たり前の戦術だ。しかし、今の彼らは違う。「一回攻撃を喰らっても、銅貨二枚の石が割れるだけ」という、神をも恐れぬ無敵の超攻撃的布陣へと変貌したのだ。
「死ねやぁぁぁっ!」
「ブモッ!?」「グギャッ!?」
自警団の面々は、イノシシの牙を避けることすらやめ、一切の防御を捨てて槍を突き出し、剣を振り下ろした。
イノシシの必死の反撃の爪や牙が団員たちの身体に迫るたび、各員の手首から『パチン!』『パチン!』と綺麗な音が響き、石が身代わりとなって破裂する。そして、団員たちは衝撃すら受けずに、そのまま魔物の脳天に武器を叩き込んでいった。
本来であれば、街の半分が破壊され、数十人の死傷者が出るはずだった『鉄甲暴走猪』の猛襲。
それは、なんと『自警団の負傷者、衣服の汚れも含めて完全ゼロ。消費したものはブレスレットの石が数個割れただけ』という、辺境都市の歴史上、前代未聞の完全なる圧倒的大勝利によって、わずか数十分で幕を閉じたのである。
* * *
夕方。
サロン『コスミック・ワン』の営業終了間際、洋館の扉が文字通り叩き割らんばかりの勢いで開け放たれた。
「珠子様ァァァァァァッ!!!!!」「大聖女様ァァァァッ!!」
なだれ込んできたのは、興奮のあまり鼻息を荒くし、顔を真っ赤にしたルーク率いる自警団の男たちだった。彼らは受付カウンターに殺到すると、持っていた革袋から、ジャラジャラと金貨や銀貨をこれでもかと積み上げ始めた。
「信じられない奇跡です! 本当に、あの石が身代わりになって、俺たちの命を完璧に救ってくれました!」
「イノシシの突進を喰らっても、石がパチンと割れるだけで、痛みすら感じなかったんです! この数珠は本物の『神の絶対加護』です! どうか、割れた分の石を補充させてください! 金ならいくらでも払います!!」
男たちが熱狂的に叫び、カウンターの上があっという間に金貨の山になっていくのを見て、珠子は「わぁっ! みんな無事で戻ってこれたんだね! お役に立てて本当によかった!」と、嬉しそうにパチパチと手を叩いた。
「ゴムが切れなくて本当によかったー。あ、でもね、石が身代わりになってくれた後は、残った石のパワーも少し弱くなっちゃってるんだよ。だからね、こうして『クラスター(水晶の原石)』の上において、満月の光を浴びせて一晩置いておくと、石のエネルギーが急速にチャージ(浄化)されて、また元通りに使えるようになるからね!」
珠子はカウンターの下から、現世のインテリアショップで買った、トゲトゲした大きな水晶のクラスターをドンッと置いた。
「ク、クラスター……!? 使い捨てではなく、マナの急速再充填が可能な、因果拒絶の永久要塞兵器だったのか……!」
横にいたアディは、もはや驚く気力すらも失い、魂が口から半分抜けかけたような虚ろな顔で、金貨の山とクラスターを見つめていた。
アディの高度な魔術知識が、またしても珠子のスピリチュアル発言を恐ろしい理論へと翻訳する。
(つまりあのトゲトゲした結晶は、大気中の純粋マナを一点に強制集束させ、壊れた結界の術式構造を自動修復するための『高濃度マナ・エネルギー・ジェネレーター』……。この女、本当にただの可愛いお守り(数珠)として、これを銅貨二枚で大衆に売っているのか……。無自覚という名の、真の怪物がここにいる……!)
「よーし、みんなの邪気も綺麗に払えたし、今日も宇宙の引き寄せの法則は大成功だね! シリウス、お祝いにちょっと高級なチュール(現世産おやつ)にしよっか!」
『ニャァァァァン!!(大賛成!!)』
シリウスは歓喜の声を上げ、珠子の腕に巨大な頭をすりすりと押し付けて甘えている。
自警団の男たちが、珠子を「リーゼンの街の勝利の女神」「真の大聖女」として涙を流して拝み倒し、街の治安が爆発的なスピードでカンストしていく中。
この『身代わり石による、100%安全な因果拒絶』という異常すぎる戦果の報告は、自警団の報告書を通じて、ついにギルドや領主の枠を越え、聖王国の本山にいる「最も頭の硬い教会の権威(異端審問官)」を本格的に動かす最悪の引き金になってしまうのだった。




