第13話 プレオープンと謎のエプロン制服~フリルは魔力を隠蔽する?~
かつての最悪の事故物件は、いまや白銀に輝く『幻の香木』のベッドが鎮座し、神話級の神獣シリウスがふみふみと喉を鳴らす、地上最強の絶対防衛要塞――もとい、『異世界スピリチュアル・サロン:コスミック・ワン』へと生まれ変わっていた。
いよいよ明日に正式オープンを控え、本日は街の人々を招待しての『プレオープン』の日である。
珠子はホールの大きな鏡の前で、不満げに仁王立ちしているアディの前に立っていた。
「うわぁ! アディちゃん、すっごく似合ってる! 可愛い!」
「……珠子。私はお前を監視する護衛の騎士だ。なぜ、このような屈辱的な衣装を着なければならないのだ」
アディが身に纏っているのは、銀色の甲冑……ではなく、現世のインテリアショップで珠子が購入した、黒い布地に白くて大きなフリルがあしらわれた『カフェ風エプロン』だった。
騎士としての誇りを傷つけられたとアディは憤慨していたが、珠子はフリフリの紐をアディの背中でキュッと結びながら、得意げに胸を張った。
「何言ってるの! これが新しいサロンの『制服』だよ! 風水的にね、胸元にフリルをつけると、人間関係の運気が上がってお客様に安心感を与えられるんだから! ほら、アディちゃんも笑顔!」
「え、えぷろん……ふりる……」
アディは困惑しながら、エプロンの布地にそっと触れた。
その瞬間、彼女の脳内に電流のような衝撃が走る。
(……なっ、何だこの衣服は!? 布地に触れた瞬間、私の全身を巡るマナの波動が、完全に外側から『遮断』された……!?)
アディは驚愕に目を見開いた。
彼女は元・帝国最高位の魔導騎士。その身から放たれる鋭い戦気や魔力は、どれだけ隠そうとしても一流の暗殺者や魔導師には看破されてしまう。
しかし、この『エプロン』を着用した瞬間、彼女の強力な魔力波形が完全に霧散し、どこからどう見ても「ただの無害な給仕の少女」にしか見えなくなってしまったのだ。
(信じられない……。この胸元の白いヒラヒラ(フリル)は、魔力の放射を乱反射させて外部への漏洩を完全に防ぐ『超高密度・隠蔽術式』の結晶なのか! これほどの魔導衣類、神聖帝国の隠密部隊ですら開発不可能な、国家予算レベルのアーティファクトだぞ……!!)
アディの論理的解釈回路は、またしても珠子のスピリチュアル(風水)を「世界の勢力図を塗り替える超古代遺物」へと変換していた。
「よし、制服もバッチリ! あ、シリウスも受付の横でお座りしててね!」
『ニャーン(合意)』
体長二メートルの特大サイベリアン(神獣)が、受付カウンターの横で神々しくブルーの瞳を輝かせる。
カランカラン、と軽快なベルの音が響き、ついにサロンの扉が開いた。
「おいおい……ここが噂の、あの事故物件か……?」
「本当に入って大丈夫なのかよ……」
恐る恐る入ってきたのは、宿屋『木漏れ日亭』で珠子の噂を聞きつけた、引退間近の老冒険者たちや市場の商人たちだった。彼らは洋館の一歩中に入った瞬間、あまりの心地よさに「ほう……」と一斉に深い息を吐き出した。
「いらっしゃいませー! 『コスミック・ワン』へようこそ! 今日はお試し期間なので、全メニューワンコイン(銅貨一枚)で体験できまーす!」
珠子は満面の笑みで客たちを迎え入れた。
「じゃあ、そこのおじいちゃん冒険者さん! 一番乗りだから、新メニューの『耳つぼ調律マッサージ』をやってみよう!」
「み、耳つぼ……? 頼むわ、嬢ちゃん。最近、長年の無茶が祟って、まともに魔力が練れなくてよ……。引退を考えてたんだ」
白髪混じりの老冒険者は、白銀の霊木ベッドに腰掛け、弱り切った声を出す。
アディはその老人を見て、密かに心を痛めていた。
(……あの老兵、重度の『マナ逆流症』だ。長年、許容量以上の魔術を放ち続けた結果、全身の経絡がズタズタに絡み合っている。一度こうなれば、二度と現役には戻れない。教会の治癒魔法でも修復不可能な、魔導師の職業病だ)
アディが悲観的な予測を立てる中、珠子は老人の耳を一瞥し、親指と人差し指を器用に動かした。
「あー、これは完全に『神門』のツボが詰まってるね! 自律神経が乱れて、体の中のエネルギーの通り道(経絡)が迷子になっちゃってるんだよ。ちょっと痛いけど、エネルギーを流すからね。えいっ!」
珠子は老人の耳の上部にある小さなくぼみを、親指の爪でピシッと強く圧迫した。
「ぶほっ!?」
老冒険者が妙な声を上げて硬直する。
次の瞬間、老人の全身の毛穴から、バチバチバチッ!!と激しい青白い火花が噴き出した。
「な、なんだ!?」
「何が起きた!?」
周囲の客たちが驚いて飛び退く。
しかし、アディだけは、その火花が何を意味しているかを正確に理解し、あごが外れそうになっていた。
(ば、馬鹿な……!! 老人の体内で、複雑に絡み合って暴走していたマナの結び目が、耳の末端への『一撃の圧力』だけで、すべて完璧に解けていく……!?)
珠子が老人の「耳のツボ」を刺激したことで、老人のズタズタだった魔力経絡が、まるで熟練の職人が糸を巻き直すかのように、一瞬で超高速調律されていくのがアディの鑑定眼に見えた。
それは、教皇クラスの術者が丸一日かけて儀式を行ってようやく成し遂げられるかどうかの、伝説級の『魔力回路・完全再構築』であった。
「はい、おしまい! これでエネルギーの滞りは消えたから、体の中の波動がスムーズに流れるようになるよ!」
珠子が指を離すと、老冒険者は呆然と自分の両手を見つめた。
「な……な、なんだこれは……。魔力が……現役の全盛期よりも、滑らかに、力強く、身体中を駆け巡るぞ……!!」
老人はベッドから飛び起きると、その場で全盛期さながらの凄まじい魔力の闘気をブワッと膨らませた。顔のシワまで少し薄くなっている。
「嬢ちゃん……いや、大聖女様!! 俺は、俺はまだ戦える!! 引退なんてしなくていいんだ!!」
老冒険者は大号泣しながら珠子の前に跪き、銅貨をテーブルに叩きつけるように置いて、そのままギルドへ自慢しに走っていった。
「わぁ、元気になってよかった! はい、次のお客様どうぞー!」
珠子が手招きすると、それを見ていた他の客たちが「俺も!」「私も耳を揉んでくれ!」と凄まじい勢いで殺到し始めた。
「順番に並んでねー! アディちゃん、受付お願い!」
「あ、ああ……。かしこまりました、お客様……」
アディは、フリフリのエプロンを揺らしながら、機械的に受付業務をこなし始めた。
彼女の横では、看板猫のシリウスが「ニャーン(チョロいな)」と鼻を鳴らしている。
(……この女、ついに耳を少し揉むだけで、廃人寸前の魔導師を最強の戦士に若返らせる技まで開発したか。そして、この私のエプロンは、殺到する客たちの興奮の魔力をすべて吸収して無力化している……。なんと恐ろしい、これが『宇宙の真理』……!)
プレオープンは大成功、という名の「常識の完全崩壊」のうちに幕を閉じた。
そして、この日救われた老冒険者がギルドで大騒ぎしたことにより、翌日の正式オープン日には、リーゼンの街だけにとどまらない、さらに「厄介な権威」がサロンに引き寄せられてしまうことを、珠子はまだ全く知らなかった。




