第11話 特級怨霊と風水スマッジング~鬼門の紫水晶(アメジスト)と絶対浄化ガス~
ギィィィィ……ピシャンッ!!
分厚い玄関の扉が背後で閉ざされ、光が完全に遮断された洋館のホール。
「ギャアアアアアアァァァァァァッ……!!」
壁から、床から、天井から噴き出した漆黒の瘴気が、空中で巨大なドクロのような『顔』を形成した。
数百年にわたり、この洋館に迷い込んだ者たちの絶望と恐怖を喰らい続けてきた特級の怨霊。教会の高位神官たちですら、その禍々しい魔力の前に発狂して逃げ出したという、正真正銘のバケモノである。
「くっ……!! 並の霊体ではない、物理攻撃は一切通じないぞ!」
アディは即座に腰の剣を引き抜き、己の魔力回路を全開にして光属性のマナを刀身にまとわせた。
「はぁぁぁっ! 『閃光剣』!!」
アディが放ったまばゆい光の斬撃が、巨大なドクロの顔面を真っ二つに切り裂いた。
しかし――。
「ギギギギ……無駄ダァァァッ!!」
切り裂かれた瘴気は、一瞬にして元通りに癒着してしまった。それどころか、怨霊はアディの光属性マナを周囲の闇で包み込み、ジュワッという音と共に霧散させてしまったのだ。
(馬鹿な……! 私の最大出力の光魔力を、質量で押し潰しただと!?)
驚愕するアディに向け、怨霊から無数の黒い触手が弾丸のように射出された。
「しまっ……防壁展開!!」
ガガガガガッ!!
アディが咄嗟に展開した魔力防壁に、黒い触手が次々と突き刺さる。防壁はひび割れ、圧倒的な衝撃にアディの身体は後方へ大きく吹き飛ばされた。
「きゃっ!?」
床を転がり、膝をつくアディ。口の端から一筋の血が流れる。
強い。強すぎる。物理法則を無視した霊体に対し、剣士であるアディはあまりにも相性が悪かった。このままでは魔力が尽き、魂ごと喰り殺される。
(……だが、私には護るべき者がいる!)
帝国に「出来損ない」と捨てられた自分を救ってくれた、あの底抜けに明るい命の恩人を、こんな暗闇で死なせるわけにはいかない。
「珠子! ここは私が命に代えても食い止める! お前は結界を破って逃げろォォォッ!!」
アディは死を覚悟し、自らの生命力を魔力に変換して立ち上がろうとした。
しかし。
「うわー、すっごい気が滞ってるね! あっちの『鬼門』の方向からネガティブなエネルギーが入り放題じゃん。これは風水的に最悪だわ」
振り返ると、珠子は逃げるどころか、呑気に腕を組んでホールの隅を指さしていた。
死の恐怖など微塵も感じていない、いつものマイペースな声だ。
「な、何を言っているんだお前は! 早く逃げ――」
「アディちゃん、そんなとこでしゃがみ込んでどうしたの? あ、もしかしてこのネガティブな波動にあてられちゃった? 空気が悪いと呼吸も浅くなるからねー。すぐ換気するから待ってて!」
珠子はアディの横を通り抜け、巨大な怨霊に向かってツカツカと歩き出した。
「ギギャアアア……? 何ダコノ雌ハ……喰ッテヤルゥゥッ!!」
怨霊が標的を珠子に変え、ホールの空間を埋め尽くすほどの巨大な口を開けて襲いかかってくる。
「珠子ォォォォォッ!!」
アディが絶叫した、まさにその瞬間だった。
「まずは鬼門封じ! 邪気はここからシャットアウトだよ!」
珠子はリュックから、小さな紫色の石――パワーストーンのアメジストを取り出し、怨霊が迫りくる北東の方角(鬼門)の床に、コトンと置いた。
――ピタッ。
「ガ、ギ……ッ!?」
怨霊の動きが、空中で完全に硬直した。
見えない巨大な壁に激突したかのように、瘴気の塊がグシャリとひしゃげている。
「な、何が起きた……!?」
アディは目を疑った。
(あの紫色の鉱石……。床に置いた瞬間、ホールの空間座標が強制的に書き換えられ、一切の魔力干渉を許さない『絶対神聖領域』が構築されただと……!? 詠唱はおろか、魔法陣すら描かずに、ただの石っころ一つで特級霊を空間ごと固定したというのか!)
アディの戦慄をよそに、珠子の「お掃除」は続く。
「よしよし、悪い気は入ってこなくなったね。次は、中に溜まってるネガティブ・エネルギーのお掃除! スマッジングで空間浄化~!」
珠子はさらにリュックから、乾燥した葉っぱの束を取り出し、マッチで火をつけた。
フゥーッ、と息を吹きかけると、モクモクと白い煙が立ち上り始める。
「悪い気は出ていけ~。宇宙の愛の光に包まれなさーい」
珠子は、怨霊の目の前でセージの煙をパタパタと手で仰いだ。
その煙が、怨霊の瘴気に触れた瞬間だった。
「ギャアアアアアアアアアアアッ!?!?!?」
先ほどまでアディの光属性マナを平然と弾き返していた怨霊が、火をつけられた紙のように、バチバチと音を立てて激しく燃え上がり始めたのだ。
それも、ただの炎ではない。純白の、あまりにも神々しい浄化の炎である。
「アァァァッ! 熱イッ! 浄化サレルゥゥゥッ!!」
悲鳴を上げる怨霊に対し、珠子はニコニコと微笑みながらさらに煙を仰ぎ続ける。
(対霊体用・絶対浄化ガス……!!)
アディは床に座り込んだまま、ガタガタと震えていた。
(私がどれだけ高密度のマナを叩き込んでも無傷だった特級怨霊が、あの『謎の雑草の煙』を吸い込んだだけで、内側から細胞レベル……いや、魂レベルで融解している……! いかなる神官の秘術を使えば、あんな極悪非道な浄化兵器を生み出せるんだ……!)
神官が束になっても祓えなかった特級の怨霊は、セージの煙に巻かれてわずか十秒後。
「あぁ……なんだか、とても心が軽くなりました……すべては、ワンネス……」
なぜか非常に安らかな、悟りを開いたような顔になり、キラキラと輝く光の粒子となって天高く昇天していった。
ポルターガイスト現象で荒れ果てていたホールの壁や床も、浄化の光の余波によって、まるで新築のようにピカピカに磨き上げられていた。
「ふぅ~、スッキリした! やっぱり定期的なスマッジングは必要だね! これで波動もバッチリ! 最高のお店になりそう!」
珠子はパンパンと手を払い、満足げに腰に手を当てた。
「…………」
アディは、完全に清浄な空気に満たされたホールで、静かに剣を鞘に収めた。
己の命を賭けた壮絶な死闘が、ものの三十秒、わずか「石を一つ置き、葉っぱをいぶすだけ」というお掃除感覚で終わってしまったのだ。
「アディちゃん、怪我はない? なんだか顔色が悪いけど、やっぱり空気が悪かったからだね!」
「……ああ。そうだな。私の常識という名の空気が、今完全に死滅したところだ」
アディは深く、深くため息をつき、自らの騎士としてのプライドをまた一つゴミ箱に捨てる作業に追われた。
「よし! これで事故物件のクリーニングは完了! 不動産屋さんに戻って、正式に契約してこよう!」
珠子は大喜びで洋館を飛び出していく。
こうして、街で最も恐れられていた最悪の事故物件は、たった数百円のアメジストとセージの束によって、世界で最も神聖な『特級聖域』へと強制リフォームされたのである。
念願の店舗を手に入れた珠子。ここから『異世界スピリチュアル・サロン』の本当の伝説が幕を開けるのだった。




