第64話 ヴァルターの答え
翌朝でございましたわ。
クーリエが銀のティーポットで紅茶を淹れておりましたわ——朝の一杯でございますの。宿の食堂でございますわ。ヴァルターが早うから席についておりましたの——朝食の前に大盾の手入れをしておりましたわ。布で縁を拭いておりますの。毎朝する確認でございますわ。
クーリエが紅茶を配りましたわ。ヴァルターの前にも一つ置きましたの。
「ありがとうございます」
「どうぞ」とクーリエが言いましたわ。
ソフィアがまだ下りてきておりませんでしたわ——昨日の朝と違いましたの。昨日は早うから動いておりましたわ。今朝は静かでございますの。セバスチャンは今日も外でございましたわ。
ヴァルターが大盾を壁に立てかけましたわ。カップを持ちましたの——一口飲みましたわ。それから少し間がございましたの——布をたたんでおりましたわ。丁寧にたたんでおりましたの。それから手を止めましたわ。
「……クラリッサさま」
「何でございますか?」
「少し、よろしいですか」
クーリエがわたくしを見ましたわ——わたくしはクーリエを見ましたの。
「ええ」とわたくしは言いましたわ。「クーリエ、少し席を外してくださいますか?」
「わかりました」とクーリエが言いましたの——手帳を持って食堂の奥に移りましたわ。
ヴァルターがカップを置きましたわ。
少し間がございましたの——長い間でございますわ。わたくしは紅茶を一口飲みましたの。待ちましたわ。食堂の外から霧の街の音がしましたの——遠い荷車の音でございますわ。
「……ソフィアさんに言われたことを」とヴァルターが言いましたわ。「何日も、考え続けていました」
「自分が大丈夫かどうか、でございますか」
「……はい」
また間がございましたわ。ヴァルターがカップを両手で持ちましたの——飲まずに持っておりましたわ。
「申し訳ありません」
「何故謝るのでございますか?」
「集中が——」とヴァルターが言いましたわ。「旅の間、何度か。集中が、乱れました。護衛として——」
「それを言いたかったのでございますか?」
ヴァルターが少し止まりましたわ。
「……いいえ」とヴァルターが言いましたの。「それだけではないです」
わたくしは一口飲みましたわ。待ちましたの。
「あの方に言われたことは——正しいと思います」とヴァルターが言いましたわ。「自分が大丈夫かどうかを、後回しにしていました。ずっと」
「ずっと、でございますか」
「騎士団にいた頃から」とヴァルターが言いましたの。「誰かが傷つく前に動く。誰かが困る前に動く。それが正しいことだと思っていました」
「今は?」
ヴァルターが少し考えましたわ——カップを両手で持ったままでございましたの。
「……今も、正しいと思っています。ただ——」
止まりましたわ。カップを見ておりましたの。
「ただ?」とわたくしは聞きましたわ。
「自分が大丈夫かどうかを後回しにし続けると——いつか、動けなくなる」とヴァルターが言いましたわ。「動けなくなった時に、誰かを守れなくなる。それは——本末転倒です」
わたくしは一口飲みましたわ。
「それを、何日も考えておりましたの?」
「……はい。申し訳ありません」
「何故謝るのでございますか」とわたくしは言いましたわ。「ヴァルター。あなたは守りましたわ」
ヴァルターが顔を上げましたわ。
「クーリエを守りましたわ。わたくしを守りましたわ。何度も」とわたくしは言いましたの。「欠陥が出そうになった時も、止まりましたわ。止まれなかった時も、立て直しましたわ」
ヴァルターが何も言いませんでしたわ。
「考え続けていたことは、無駄ではございませんわ。ただ——謝ることではございませんの」
少し間がございましたわ——長い間でございますの。窓の外で霧が動いておりましたわ。光が少しずつ強くなっておりましたの——朝が進んでおりますわ。
「……止まれました」とヴァルターが言いましたの。
静かな声でございましたわ——聞いておりましたの。欠陥の話をする時の言葉でございますわ——ただ今朝は少し違う場所から出てきた言葉でございましたの。
「ええ」
ヴァルターがカップを持ちましたわ——一口飲みましたの。また少し間がございましたわ。
「旅を続けていいですか?」とヴァルターが言いましたわ——小さな声でございましたの。
わたくしは少し止まりましたわ。
「それはヴァルターが決めることでございますわ」
「……そうですね」とヴァルターが言いましたの。「続けます」
「よろしゅうございますわ」
食堂の窓でございましたわ。
外に人影がございましたの——ソフィアでございますわ。宿の前の石畳に立っておりましたの。霧の中でございますわ——こちらを向いておりましたの。
ただ立っておりましたわ。
どのくらいそこにいたのか、わかりませんでしたわ——気がついたらいましたの。食堂の中が見えているかどうかもわかりませんでしたわ——霧でございますの。外套を着ておりましたわ——朝の霧の中でございますの。
ソフィアが一度だけ、首が前に動きましたわ——それから歩き始めましたの。霧の中へ入りましたわ。姿が消えましたの。
わたくしは紅茶を一口飲みましたわ。
食堂の奥からクーリエが戻ってまいりましたわ——手帳を抱えておりますの。
「終わりましたか?」
「ええ」
クーリエがわたくしを見ましたわ——それからヴァルターを見ましたの。少し間がございましたわ。
「……昨日、何があったんですか。ソフィアさんと」
「続きをしておりましたわ」
「続き……」とクーリエが繰り返しましたわ——少し考えましたの。それから何かを言いかけて、止めましたわ。
「……ソフィアさん、今日も案内してくれますかね」
「戻ってまいりますわ」
クーリエが少し頷きましたの。手帳を持ったまま、表紙を指で叩いておりましたわ——開きませんでしたの。
ヴァルターがカップを置きましたわ——空になっておりましたの。布を膝の上に置いたままでございましたわ——たたんだままでございますの。
「今日も、よろしくお願いします」とヴァルターが言いましたわ。
「ええ」とわたくしは言いましたの。「よろしゅうございますわ」
霧の中でございましたわ——窓の外は白うございますの。ソフィアの姿はもう見えませんでしたわ。しばらくして、石畳に足音がしましたの——戻ってまいりましたわ。




