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第56話 ドルトンの村

西への道は広うございましたわ。


 道の両脇の木々が遠うございますの。空が広うございますわ——洞窟の中で過ごした時間の後でございますの、空というものがこれほど広かったかと少し思いましたわ。地面が乾いておりましたの。北の湿った土とは違いますわ。


 クーリエが周囲を見ておりましたの。


「……広いですね」


「ええ」


「なんか、北と全然違います」


「方角でございますわよ。土も空気も変わりますの」


 ヴァルターが空を一度見ましたわ。それから前を向きましたの。


「今日の宿はどのあたりですか?」


「ドルトンの村でございますわ。以前、寄ったことがある場所でございますの」


「私は初めてですね」とヴァルターが言いましたわ。


「ええ。クーリエとわたくしは来たことがございますわ——ずいぶん前でございますけれど」


 クーリエが少し考えましたわ。


「……あの頃、ですね」


「ええ」


「変わっていますかね」


「行ってみなければわかりませんわ」




 夕方、ドルトンの村が見えてまいりましたわ。


 石造りの家が並んでおりますの。中央に広場でございますわ。茶葉商人の看板が出ておりましたの——前と同じ看板でございますわ。


 しかし人の往来が少のうございましたの。


 夕方でございますから家に入る時間ではございますわ——ただそれだけではない気がいたしましたの。広場を横切る人が前より少ない。荷物を持って出ていく住人の姿が目に入りましたわ——大きな荷物でございますの。一時の外出ではなく、しばらく戻らない量でございますわ。


 ヴァルターが自然に周囲に目を向けましたわ。習慣でございますの。


「……人が少ないですね」


「そうでございますわね」


「前来た時は、もっと多かったんですか?」とクーリエが聞きましたわ。


「もう少しございましたわ。ただ——しばらく経っておりますの」


 わたくしは広場を見ておりましたの。看板は同じでございますわ。道の石畳も同じでございますの。それ以外が少し違いましたわ——ただそれを口に出すことはしませんでしたの。




 宿でございましたわ。


 宿の主人が出迎えましたの——白髪の混じった女性でございますわ。わたくしを見て、クーリエを見ましたわ。少し目を細めましたの。


「……また来てくださいましたね、お嬢さん方」


「ご無沙汰しておりますわ」


「ずいぶん経ちましたねえ——お連れが増えましたか」


 主人がヴァルターを見ましたわ。ヴァルターが静かに一礼しましたの。


「道中でご縁がございましたの」


「にぎやかになってよかったですよ。最近、この村は静かになってしまいましたから」


 わたくしは主人を見ましたわ。


「西からの旅人が減りましたか?」


「ええ、減りましてねえ」と主人が言いましたの。「来てくださる方もいますよ、ただ——疲れた顔の方が多くて。元気に来て、疲れて帰っていく。笑顔の方に会ってからだって言うんですよ、みなさん」


「笑顔の方でございますか」


「感じのいい方らしいんですよ。明るい茶色の髪の、若い女性で——話しているうちに元気をもらった気がするのに、後になって気力が抜けている。不思議でしょう?」


 クーリエが少し固まりましたわ。


 ヴァルターが何も言いませんでしたの——ただ聞いておりましたわ。


「そうでございますわね」とわたくしは言いましたわ。「他にご存じのことはございますか?」


「さあ、それくらいで。お部屋にご案内しましょうか?」




 荷物を下ろしてから、茶葉商人のところへ参りましたわ。


 見覚えのある店でございましたの——棚に茶葉の缶と袋が並んでおりますわ。香りが混じっておりましたの。複数の産地でございますわ——ただ前より缶の数が少のうございますの。


 商人の男性が顔を上げましたわ。


「いらっしゃいまし——ああ」


 少し間がございましたの。


「また来てくださいましたか。前はお二人でしたかね」


「ええ。アルヴァニア・ゴールデンはございますか?」


 商人が少し苦い顔をしましたわ。


「それがですね——北東の道が荒れてから入荷が不安定になりまして。今は在庫がございませんで」


「そうでございますか」


「以前は安定して入っていたんですが。道におかしな魔物が増えてから、産地から来る商人が減ってしまいまして——お嬢さんが前に買ってくださった時の在庫が、あれがしばらく最後でしたよ」


 わたくしは少し間を置きましたわ。


「西の方面から入る茶葉はございますか?」


「ありますよ」と商人が言いましたわ。「霧の高地で採れるものが最近入りまして——入手が難しいんですが、たまに来るんです。香りが独特で」


 商人が缶を出しましたの。薄緑の缶でございますわ。蓋を少し開けましたの——草の香りでございますわ。深い霧の中の、湿った草でございますの。これとは別の、もっと育った場所に群生しているものがあるはずでございますわ——その予感でございましたの。


「いただきますわ」


「ありがとうございます」


「他にも旅用の茶葉を少し補充いたしますわ」


 クーリエが棚を見ておりましたわ。


「この茶葉、前来た時にもありましたか?」と商人に聞きましたわ。


「ありましたよ、これは定番ですね」と商人が言いましたの。「覚えていてくださるんですか」


「なんとなく、香りが同じ気がして」


 商人が少し嬉しそうな顔をしましたわ。




 夜でございましたわ。


 宿の食堂の隅でございますの。夕食を終えて、クーリエが荷物から道具を出しておりましたわ。


「淹れますよ」


「ありがとうございますわ」


 クーリエが茶葉を量りましたの。銀のティーポットに入れましたわ。湯を注ぐ前に少し止まりましたの。


「この辺りの水、どうでしたか?」


「柔らかめでございますわ。2分ほどで良いと思いますわよ」


「2分ですね」


 クーリエが確かめながら蒸らしましたの。注ぎましたわ。カップが3つでございますの。


 一口でございましたわ。


「……どうですか?」


「悪くございませんわ。水の読みが合っておりますわよ」


「よかった」


 クーリエがほっとした顔をしましたわ。ヴァルターがカップを受け取りましたの。一口飲みましたわ——それからもう一口でございますの。何も言いませんでしたわ。


 わたくしは窓の外を見ましたの。


 夜の広場でございますわ。石畳が月光を受けておりましたの——前に来た時も、同じ石畳でございましたわ。あの時はカップが2つでございましたの。クーリエが「惜しい」と言われて、もう一度湯を頼みに立ち上がりましたわ——そういうことがございましたの。


「以前ここに来た時は、旅に慣れておりませんでしたわ」


 クーリエが少し考えましたわ。


「……私もですね」


「ええ」


「あの頃、惜しいって言われましたよね、私」


「言いましたわ」


「今は?」


「今日は合格でございますわよ」


 クーリエが少し目を丸くしましたわ——それから荷物から手帳を取り出しましたの。何か書き込んでおりますわ。


「何を書いているのでございますか?」


「水の硬さと蒸らし時間の記録です。村ごとに違うので——北への道の途中から付けていて」


「自分で始めたのでございますか?」


「クラリッサさまに言われたわけじゃないんですが、なんとなく」


 ヴァルターが静かに言いましたわ。


「良い習慣ですね」


「そうですか?」


「積み重ねると後で役に立ちます」


 クーリエが少し考えてから、手帳に何か書き足しましたわ。


 わたくしは窓の外を見たままでございましたの。


 この村を出て東へ向かった時、クーリエはまだ湯の温度をうまく読めなかったでございますわ。今は村ごとの水を自分で記録しておりますの——その間に、随分と来たものでございますわ。


 口に出しませんでしたの。




 翌朝でございましたわ。


 3人で西へ出発いたしましたの。


 ドルトンの村を出ますと、道がまた広くなりましたわ。東へ向かった時に通った道でございますの——ただ今度は逆から歩いておりますわ。見える景色が少し違いましたの。


「クラリッサさま」とクーリエが言いましたわ。


「何でございますか?」


「この道、前に通りましたよね」


「ええ。逆向きでございますけれど」


「なんか……不思議な感じがします」


「どういう感じでございますか?」


 クーリエが少し考えましたわ。うまく言葉にならないようでございますの。


「前は、この先に何があるかわからなくて——今は、後ろに何があるかわかってて。でも前は、やっぱりわからなくて」


 ヴァルターが前を向いたまま言いましたわ。


「……それは旅の常だと思います」


「ヴァルターさんは不思議じゃないですか?」


「不思議ですよ。ただ——前がわからないのはいつもです」


 クーリエがまた少し考えましたわ——それから前を向きましたの。


 西の空が、朝陽の中で明るうございましたわ。

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