第53話 天界の観測記録・第5号
覗き石が、光った。
セラフィナはすでに手に持っていた。アレンが脱落して以降、石の変化には慣れていた——慣れた、というより、石の変化を待つ時間を知るようになっていた。いつ頃、どういう状況で変化が来るか。試算と照合すれば、おおよその見当はついた。
見当が、また合った。
石の表面に映ったのは洞窟の中だった。地底湖だった。湖面が青白く光っていた。その光の中に、人影が映っていた。
湖面に膝をついていた。
暗紫のオーラが揺れていた。揺れながら、端から崩れていた。爆ぜるのではなかった。砂が崩れるように、静かに、少しずつ散っていた。光の粒が湖面に落ちて——消えた。また少し散った。また消えた。
時間がかかった。
セラフィナは石を持ったまま、最後まで見た。
最後の一粒が消えた。
人影が立ち上がった。一度だけ、石の向こうを見た。それから背を向けて、湖の奥の暗がりへ歩いていった。振り返らなかった。暗がりに消えた。
石の表面が曇った。
管理台帳を開いた。
勇者の欄は5名分ある。アレンの欄に印。レオガルドの欄に印。残りの3名——セラフィナはオルフェウスの欄で羽根筆を止めた。
印をつけた。脱落。
台帳を閉じた。机の上に置いた。
3名。残り2名。
数字は数字として、そこにあった。
転生特別監視記録の束を引き出しから取り出した。
第1号。第2号。第3号。
厚さが増していた。第3号は第1号の倍以上ある。記録した出来事の数が、そのまま厚さになっていた。
新しい紙を取り出した。羽根筆を手に取った。
第5号、と書いた。
しばらく、止まった。
何から書くか、ではなかった。何を書くべきか、も、わかっていた。ただ——書き始める前に、少しだけ整理しておきたかった。セラフィナは覗き石を引き寄せて、記録を遡った。石には映像の記憶がある。日付を指定すれば、過去の瞬間を呼び出せる。
白銀のオーラが宿場の空気に散った。石畳に落ちて消えた。音がなかった。弾けた後、男が小さく何か言った。口の形を読んだ。「そうか」だった。
深紅のオーラが爆発するように四散した。粒になって空気に散り、地面に落ちて消えた。男は立ったまま、剣を下ろした。しばらくそのまま立っていた。
暗紫のオーラが砂のように崩れた。湖面に少しずつ落ちて消えた。男は立ち上がって、振り返らずに暗がりへ歩いていった。
3つの場面を、順番に見た。
羽根筆を動かした。
アレン——白銀・石畳に落ちて消えた。弾けた後に言葉があった。
レオガルド——深紅・爆発するように四散した。弾けた後も立っていた。
オルフェウス——暗紫・砂が崩れるように静かに散った。音がなかった。
3名分書いたところで、羽根筆を止めた。
書いてから、読んだ。
白銀が石畳に落ちる——知性が傲慢に変わり、石畳の設計を語った男の話だった。宿場の石畳に散って消えた、というのは。
深紅が爆発する——力だけを信じ、力で全てを決めようとした男の話だった。最大に輝いてから四散した、というのは。
暗紫が砂のように崩れる——死を恐れ、傷つかない位置を選んで戦い続けた男の話だった。爆ぜずに静かに崩れた、というのは。
セラフィナは羽根筆を置いた。
各人の在り方と、一致している。
偶然ではないかもしれなかった。オーラは女神が付与した力だった。その力が消える瞬間の形が、その者の在り方と重なるとしたら——それは設計なのか、それとも積み重ねた時間がそういう形を作るのか。セラフィナには判断できなかった。
ただ——消さずに残しておこうと思った。
記録欄の下の余白に、小さく書いた。
「各人の在り方と一致している——消さずに残す」
続きを書いた。
4名目の欄——ソフィア。
まだ印はついていない。翡翠のオーラはまだ消えていない。覗き石に時折映る、笑顔の女の記録を書いた。情報が少なかった。記録が少ないこと自体が、記録すべき事実だった。
5名目の欄——ナルバス。
金のオーラはまだ消えていない。布教活動の範囲が広がっている。信者の数が増えている。書くことはあった。
書いた。
最後の欄で、羽根筆が止まった。
ヴァルター・ハイン。
クラリッサの仲間に関する記録欄は、当初は設けていなかった。第2号から追加した。クラリッサの行動に影響を与える者の記録として、クーリエ・ヴァルター・セバスチャンの欄がある。
クーリエの欄を確認した。前回から更新すべき事項があった。洞窟の中での戦闘記録。壁に吹き飛ばされたこと。回復魔法を使われなかったこと。羽根筆を動かした。書いた。書き終えて、欄の最後に黒字で小さく追記した。
「この者は、自分で止まれるようになった」
ヴァルターの欄に戻った。
洞窟の中での記録がある。盾の働き。クーリエが吹き飛ばされた瞬間のこと。覗き石は音を拾わないが、あの瞬間の映像は見ていた。ヴァルターの手が光った。止まった。光が消えた。歩いてクーリエの傍に行った。
羽根筆を持ったまま、止まった。
この者について、何を書くべきか。
欠陥は知っている。経緯も記録してある。止まった回数も書いてある。今回も止まった——それは書ける。
しかし——この者が自分で言葉を見つけた瞬間を、セラフィナは覗き石で見ていた。
音はなかった。口の形だけが読めた。
「今、盾の前にいるのは何ですか」
自分に向けた問いだった。セラフィナには、そう見えた。
何と書くか。
羽根筆を動かした。
「自分で言葉を見つけた」
黒字で書いた。それ以上は書かなかった。
セバスチャンの欄を開いた。
試算用紙は引き出しの中にある。数字は変わっていない。セバスチャンが今もどこかにいることは、レオガルドが脱落して以降の覗き石が教えていた。洞窟の外に出た映像も見ていた。4人が洞窟の入口の前に座っていた。湯を沸かしていた。
セバスチャンが空を見上げた場面があった。一度だけだった。
何かを思っているようだった。口は動かなかった。
セラフィナは欄を見た。
羽根筆を持った。
止まった。
書けなかった。
正確には——書くことはあった。現在位置の推定。均衡維持の継続。オルフェウス戦での役割。書こうと思えば書けた。
しかし欄の前で羽根筆が止まり続けた。
あの試算用紙のことを、この者は知らない。48時間の数字を、この者は知らない。知らずに洞窟に入って、知らずに的になって、知らずに出てきた。空を見上げて、何を思っていたのか。
セラフィナには読めなかった。
覗き石では、口の形しか読めない。あの一瞬、口は動いていなかった。
羽根筆を置いた。
セバスチャンの欄は、白いままだった。
記録を閉じた。
机の上に第5号を置いた。第1号から第4号の上に重ねた。
引き出しを開けた。試算用紙を見た。数字を確認した。変わっていなかった。しまった。
窓の外を見た。
天界の空は白かった。今日も変わらず白かった。
セラフィナは机の端に置いてある暦を手に取った。
今日の日付を確認した。
水の月、28日だった。
合っていた。
暦を置いた。
雲紙が、光った。
セラフィナは少し止まった。それから、素早く記録の束を引き出しにしまった。
扉の外から足音がした。
通り過ぎた。エリオではなかった。
扉は開かなかった。
セラフィナは羽根筆を手に取った。業務日誌を開いた。今日書くべき事務的な記録を書いた。日付。管理台帳への記載。転生特別監視記録・第5号の起票。
書いた。書き終えた。
閉じた。
覗き石を引き寄せた。表面は曇っていた。何も映っていなかった。
セラフィナは石を机に置いた。




