第52話 お茶の時間
金属の扉を抜けましたわ。
研究区画でございましたの。来た道でございますわ——棚の並ぶ通路、倒れたままの大型魔獣、実験室でございますの。発光体の青白い光が変わらず灯っておりましたわ。
通路の先に、魔獣がおりましたわ。
中型でございましたの——来る時に対処した個体と同じ体格でございますわ。しかし動いておりませんでしたの。通路の真ん中に立ったまま、こちらを見ておりましたわ。目が合いましたの。
動きませんでしたわ。
「……来ない」とクーリエが言いましたの。
「ええ」
「なんで?」
「命令がないからでございますわ。どうすればよいかわからないのでしょう」
クーリエが魔獣を見ましたわ。魔獣がクーリエを見ておりますの。
「怖くないんですか? 私たちのこと」
「感情がございませんわ。怖いとか怖くないとか——そういう判断ができないのでございますの。命令された通りに動くだけでございますわ。命令がなければ、動けない」
クーリエが少し考えましたわ。
「……かわいそうですね」
「そうでございますわね」
ヴァルターが通路の横に移動しましたわ。魔獣との間に距離を置きながら、しかし攻撃せずに通り過ぎる角度でございますの。魔獣が首だけ動かしてヴァルターを追いましたわ——それだけでございましたの。前肢が動きませんでしたわ。
「通れますわ」
4人で魔獣の傍を通りましたの。魔獣がじっとこちらを見ておりましたわ。目だけが動いておりますの——体は動きませんでしたわ。
迷宮の通路でございましたわ。
分岐が2つございましたの——来る時に選んだ道でございますわ。湿気を辿りましたの——今度は逆でございますわ。湿気から離れる方向でございますの。
「左ですか?」とクーリエが聞きましたわ。
「ええ」
「なんで左なんですか?」
「湿気が右から来ておりますわ。地底湖の方角でございますの——そちらから離れる方が出口に近うございますわ」
クーリエが左右の通路を見ましたわ。それから左へ進みましたの。
幻影の区画でございましたの。壁が増えて見えましたわ——しかし今は動じませんでしたの。ヴァルターが盾を当てて確かめましたわ。通り抜けましたの。
「……この壁、まだありますね」とクーリエが言いましたわ。
「仕掛け自体は消えておりませんわ。命令がなくなっただけでございますの」
「魔獣がいなくても罠は残る、ということですか?」
「ええ。気をつけてくださいますか?」
足元の平衡を乱す区画でございましたわ。クーリエが発光体を見ながら歩きましたの。ヴァルターが盾を地面に沿わせておりますわ。セバスチャンが何も言わずに通りましたの——この方はこういう感覚の乱れに慣れておりますわ、おそらくでございますが。
通路を歩きながら、セバスチャンが口を開きましたわ。
「……なぜ私はあの魔法使いに狙われていたんだ?」
「セバスチャンでございますからではございませんか」とわたくしは言いましたわ。
「それが答えか?」
「魔王でございますわ。討伐すれば勇者の願いが叶う——そういう仕組みでございますの。あなたが何者であるかは、関係ございませんわ」
「……迷惑な話だ」
「以前もそうおっしゃっておりましたわ」
「何度言っても迷惑なものは迷惑だ」
クーリエが少し振り返りましたわ。
「セバスチャンさん、あの人のこと——嫌いでしたか?」
セバスチャンが少し間を置きましたの。
「嫌いというより——理解できなかった。何年も洞窟に籠もって、外に出てこない。そのうち忘れていた。見つかったら本気で狙ってくる」
「そういう人でございましたわ」
「お前はなぜそう落ち着いているんだ」
「落ち着くも何も、でございますわ」とわたくしは言いましたわ。「あそこにいたいのでしょう——今もそこにいる。それだけでございますわ」
「……あの魔法使いが?」
「ええ。戻った方向が、研究区画でも迷宮でも入口でもございませんでしたわ。もっと奥でございましたの——発光体もない、誰も入れない奥でございますわ。そこにいたいのでしょう」
セバスチャンが何も言いませんでしたわ。
ヴァルターが静かに言いましたの。
「研究は、続けるんでしょうか」
「さあ」とわたくしは言いましたわ。「続けるのではないかと思いますけれど——それはあの方が決めることでございますわ」
入口の通路でございましたわ。
来る時より明るうございましたの——外の光が入ってきておりますわ。白い光でございますの。発光体の青白い光とは違いますわ——昼の光でございますの。
入口に近い位置に、魔獣が3体おりましたわ。来る時に入口を守っていた個体でございますの——大きさから同じ個体でございますわ。
立っておりましたの。
巡回しておりませんでしたわ。入口の前に3体が並んで、ただ立っておりましたの。外を向いておりますわ——外を守るという命令だけが残っているようでございましたの。内側へは向いておりませんでしたわ。
「内側には向いていませんね」とクーリエが言いましたわ。
「外から来るものを防ぐ命令でございましたから」
「通れますか?」
「試してみましょうか」
わたくしが歩きましたの。3体の傍を通りましたわ——内側でございますの。3体がこちらを見ましたの。
動きませんでしたわ。
「通れますわよ」
4人で3体の傍を通りましたの。3体が目だけで追いましたわ——体は動きませんでしたの。
外に出ましたわ。
光でございましたの。
昼の光でございますわ——洞窟の中とは全く違いますの。目が慣れるまで少し時間がかかりましたわ。空でございましたの。青い空でございますわ。雲が少しございましたの。木々の緑が見えましたわ。
空気でございましたの。
冷たい空気でございますわ——しかし洞窟の冷たさとは違いますの。風があるのでございますわ。北の方から吹いてきておりますの——草と土の匂いがいたしましたわ。
クーリエが大きく息を吸いましたわ。
「……外の空気だ」
「ええ」
「なんか、違いますね」
「洞窟とは違いますわ」
「いや、そうじゃなくて——なんか」
クーリエが言葉を探しておりましたわ。見つからないようでございましたの。
「生きてる、感じがします」
わたくしは少し間を置きましたの。
「そうでございますわね」
ヴァルターが空を見ておりましたわ。何も言いませんでしたの——しかし盾を下ろして、背中に回しておりましたわ。構えを解いた、ということでございますの。
セバスチャンが洞窟の入口を振り返りましたわ。
暗い入口でございましたの。中から空気が流れてきておりますわ——ひんやりとした空気でございますの。
「……あの中に、まだいるんだな」
「ええ」
「好きでいるのか?」
「好きなのでしょう」とわたくしは言いましたわ。「少なくとも、外よりあそこの方がいいのでしょう——あの方にとっては」
セバスチャンが洞窟から目を離しましたわ。
空を見ましたの——一度だけでございますわ。
「……お茶の時間、だったな」
「ええ。よろしいですか?」
「断る理由がない」
わたくしは荷物から茶葉の袋を取り出しましたわ——洞窟で採ったものでございますの。袋を開けましたわ。香りが出てまいりましたの——土の奥の香りでございますわ。閉じた香りでございますの。
外の空気の中で、少し変わりましたわ。
開いた香りでございましたの。
「お湯を沸かしてもよろしいですか?」とクーリエが言いましたわ。
「ええ、お願いいたしますわ」
クーリエが荷物を下ろしましたの。
洞窟の入口の前の、草の生えた地面でございますわ。木々の間から空が見えておりますの。北の風が吹いておりましたわ。
お茶の時間でございましたの。




