第49話 3人目の勇者
扉の方へ向かいましたの。
3人で歩いておりましたわ——クーリエが少し早足でございますの。オルフェウスの傍から離れたいのでしょう。気持ちはわかりますわ。
金属の扉まであと数歩のところで、クーリエが止まりましたの。
「……紅茶、どうするんですか」
わたくしは足を止めましたわ。
「何でございますか?」
「茶葉、採りましたよね。ここで淹れるんですか?」
「洞窟では落ち着いて飲めないと申し上げましたわよ」
「でも、あの人が洞窟を出てこないなら——」
「外で淹れますわ」
クーリエが少し考えましたの。
「外まで持ち帰る、ということですか」
「ええ。外の空気で飲む方が美味しゅうございますわ」
クーリエが何か言いかけて、止めましたの。ヴァルターが扉に手をかけましたわ。
その時でございましたの。
後ろから声がしましたわ。
「待て」
わたくしは振り返りましたの。
オルフェウスが計測器を下ろしておりましたわ。こちらを見ておりますの——先ほどとは目が違いましたわ。計測中の、数値しか見ていない目ではございませんでしたの。わたくしたちを見ておりましたわ——いえ、わたくしたちを通り越して、その先を見ておりますの。
湖畔の端でございましたわ。
セバスチャンがおりましたの。
オルフェウスの視線がセバスチャンに向いておりましたわ。動きませんでしたの——計測器が、手から滑り落ちそうになりましたわ。
わたくしは黙って見ておりましたの。
オルフェウスの顔が変わりましたわ。変わる、というより——戻った、でございますの。何かを、長い間忘れていたものが、突然戻ってきた時の顔でございますわ。目を開けたまま、どこも見ていない一瞬でございましたの。
暗紫のオーラが揺れましたわ。先ほどまでの揺れ方ではございませんでしたの——大きく、ゆっくりと、息を吸うように揺れましたわ。
セバスチャンが湖畔の端に立ったままでございましたの。
オルフェウスを見ておりましたわ。
「……また、その目か」
セバスチャンが言いましたの。低い声でございましたわ。嘆くような、諦めたような——何年もそうされてきた者の声でございますの。
しばらく、誰も動きませんでしたわ。
湖面の光が揺れておりましたの。青白い光でございますわ。
オルフェウスが口を開きましたの。
「……魔王だ」
「ええ、そうでございますわ。ご存じでございましたか?」
わたくしが言いましたの。オルフェウスがわたくしを見ましたわ——覚醒する前の目に少し戻りましたの。
「……なぜ茶葉を採りに来た女が、魔王と一緒にいる」
「一緒ではございませんわ。彼は別行動でございましたの——先ほど合流しただけでございますわ」
「それが答えになっていると思っているのか」
「思っておりますわ」
オルフェウスが少し間を置きましたわ。
「……勇者を攻略しているという話は聞いたことがある」
「洞窟に籠もっていて、よくご存じでございますわね」
「魔力が伝える。壁越しにでも届くものがある」
わたくしは少し考えましたの。魔力が情報を運ぶ——洞窟の魔力で研究をしているオルフェウスには、外の状況がそういう形で伝わってくるのでしょう。
「アレンとレオガルドが、離脱した」とオルフェウスが言いましたわ。「知っている」
「ええ」
「……お前たちが来たのも、計算の上か」
「茶葉の上でございますわ」
オルフェウスが少し目を細めましたの。
「茶葉のために、この洞窟に来たと言っているのか」
「ええ。洞窟に育つ茶葉があると聞きましたの。採りたかっただけでございますわ」
「……信じると思うか」
「信じていただけなくても構いませんわ。採り終わりましたので」
オルフェウスが黙りましたわ。
わたくしは続けましたの。
「あなたの研究は、完成に近いのですか?」
少し間がございましたわ。
「……なぜそれを聞く」
「何年も籠もっておられますわ。壁一面に記録がございました。長い研究でございますわね」
「完成に近い」とオルフェウスが言いましたの。「あと少しだ。あと少しで——」
そこで止まりましたわ。
わたくしは湖面を見ましたの。光が揺れておりますわ。青と緑の間の色でございますの。
「完成した後、どうなさいますか?」
オルフェウスが答えませんでしたわ。
「研究が完成して不死を得た後、ということでございますわ。その後のことを、考えておられますか?」
「……研究が完成すれば、十分だ」
「そうでございますか」
わたくしはオルフェウスを見ましたわ。
「今日の紅茶が美味しければ、それで十分でございますの——わたくしはそう考えておりますわ。あなたは研究が完成すれば十分とおっしゃる。似ているようで、少し違いますわね」
「どこが違う」
「わたくしは明日も紅茶を飲みますわ。あなたの十分は、一度きりでございましょう」
オルフェウスが黙りましたわ。
長い沈黙でございましたの。湖面の光だけが動いておりましたわ。
セバスチャンが湖畔を歩いてきましたわ。こちらへ向かっておりますの。
オルフェウスの目がセバスチャンに戻りましたわ。
戻った瞬間に——変わりましたの。
暗紫のオーラが一段、濃くなりましたわ。先ほどの揺れ方ではございませんでしたの——膨らむような、満ちるような揺れ方でございますわ。オルフェウスの表情から、先ほどまでの対話の温度が消えましたの。
「討伐報酬で不死が得られる」
独り言のような声でございましたわ。
「……そうか。そうだった。なぜ忘れていた」
セバスチャンが足を止めましたわ。
「……やはりそうなるか」
「何年も待っていた」とオルフェウスが言いましたの。声が変わっておりましたわ——研究者の声ではございませんでしたの。「均衡が崩れる前に、誰かが来るはずだった。来なかった。だから忘れた。研究に戻った。——しかし、お前が来た」
「迷惑な話だ」とセバスチャンが言いましたわ。
「そうだろうな」
オルフェウスが一歩、前へ出ましたの。
魔力が動きましたわ——洞窟全体の空気が変わりましたの。わたくしはそれを感じましたわ。圧でございますの。研究者の魔力ではなく、勇者の魔力でございますわ。何年も研究に注いできた魔力が、別の方向を向いた瞬間の圧でございますの。
「お前を討伐すれば、不死が得られる」
「私を倒してみろ」とセバスチャンが言いましたわ。剣の柄に手をかけましたの。「できるものなら」
クーリエがハンマーを構えましたわ。
ヴァルターが盾を前に向けましたの。
わたくしは茶葉の入った袋が荷物の中にあることを確かめましたわ——ございましたの。
「セバス」
「なんだ?」
「茶葉は無事でございますわ」
セバスチャンが少し間を置きましたわ。
「……今それを言うか」
「優先順位でございますわ」
オルフェウスが手を上げましたの。
洞窟の空気が、鳴りましたわ。




