第48話 地底湖
金属の扉を引きましたわ。
音がしましたの——低い、長い音でございますわ。金属が空気を押す音でございますの。
光が入ってまいりましたわ。
扉の向こうは、広うございましたの。
天井が高うございましたわ。
これまでの通路とは別の空間でございますの——洞窟の中とは思えない広さでございますわ。天井まで何十尺あるでしょうか、発光体がなくても薄く明るうございましたの。天井の岩から光が滲んでおりましたわ——岩そのものが魔力を含んで発光しておりますの。青白い、柔らかい光でございますわ。
足を踏み入れましたの。
目の前に、湖でございましたわ。
広うございますの——対岸が見えましたわ。しかし霞んでおりますの。水面が光っておりましたわ——湖の底から光が来ておりますの。青と緑の間の色でございますわ。波がございませんでしたの——完全に静止しておりますわ。まるで光を湛えた鏡のようでございますの。
音がございませんでしたわ。
外の洞窟の足音も、壁に当たる反響も——全てが消えておりましたの。湖が音を吸っているようでございますわ。
「……きれいですね」
クーリエが言いましたわ。小さな声でございましたの——静かな空間に合わせた声でございますわ。
「ええ」
ヴァルターが湖面を見ておりましたわ。何も言いませんでしたの。
セバスチャンが湖を一瞥しましたわ。それから周囲を見回しましたの——魔獣がいないか確認しておりますわ。
湖畔に、茶葉でございましたわ。
湖の縁に沿って、植物が育っておりましたの。背丈は低うございますわ——膝より少し上でございますの。葉が濃い緑でございましたわ。光の届かない場所なのに、ぴんぴんとしておりますの。茎が太うございますわ。葉に艶がございましたの。
わたくしは近づきましたわ。
しゃがみましたの。葉を一枚、指で触れましたわ——厚うございますの。水分を多く含んでおりますわ。葉の裏を見ましたの——細かい毛がございましたわ。湿気を集める仕組みでございますの。
葉を一枚摘みましたわ。指でもみましたの。
香りが出てまいりましたわ。
通常の茶葉とは違いますの——土の奥のような香りでございますわ。深うございますの。苦みの予感と、甘みの予感が同時にございましたわ。光を浴びていない葉が持つ、独特の閉じた香りでございますの。
「……ええ、これでございますわ」
「何ですか?」とクーリエが聞きましたわ。
「茶葉でございますの」
「これが?」
「ええ。採っていきますわ」
荷物から布の袋を出しましたの。採取を始めましたわ。
葉を一枚一枚確認しながら摘みましたの——傷んでいるものは除きましたわ。茎ごと摘める箇所は茎ごとでございますの。湖の縁に沿って、少しずつ移動しながら採取しましたわ。
クーリエが傍で見ておりましたの。
「私も手伝いますか?」
「ありがとうございますわ。ただ——どれを摘むか判断が必要でございますの。見ていてくださいますか?」
「わかりました」
クーリエが傍に立ったまま、周囲を警戒しておりましたわ。ヴァルターも同じでございますの。セバスチャンが湖畔を少し歩いておりましたわ——採取の邪魔にならない距離でございますの。
静かでございましたわ。
湖面の光が揺れておりますの——揺れているように見えますわ。実際は動いていないのかもしれませんでしたの。光の加減でございますわ。
湖畔を半周ほど進んだところでございましたわ。
奥から、人影が出てまいりましたの。
わたくしは採取の手を止めませんでしたわ。
細身でございますの——背は高くも低くもございませんでしたわ。研究者の服でございますの——動きやすい形でございますわ。目の下に隈がございましたの。深い隈でございますわ——長い間、十分に眠れていない方の隈でございますの。髪が乱れておりましたわ——整えることに時間を割いていない、という乱れ方でございますの。
体の周囲に、オーラが揺れておりましたわ。
暗紫でございますの——薄く、しかし確かに揺れておりますわ。
人影はわたくしたちを見ましたわ。
止まりましたの。
しばらく、そのままでございましたわ——3秒か、5秒か、でございますの。
「……誰だ」
低い声でございましたわ。怒りではございませんでしたの——ただ、想定外のものを見たときの声でございますわ。
「通りすがりでございますわ」
わたくしは茶葉を摘みながら答えましたの。
人影がわたくしを見ましたわ。それからクーリエを見ましたの。ヴァルターを見ましたわ。セバスチャンは少し離れた湖畔におりましたの——人影からは見えにくい位置でございますわ。
「……何をしている」
「茶葉を採っておりますの」
「茶葉、だと」
「ええ」
人影が少し間を置きましたわ。
「……ここが、何の場所か知っているのか」
「存じておりますわ。研究のための洞窟でございましょう」
「そうだ。だから——」
「この茶葉は研究のご対象でございますか?」
人影が止まりましたわ。
「……違う」
「では、採っても構いませんでしょう」
「構わないが——そういう話ではない」
「ではどういうお話でございますか?」
人影が少し口を開きましたの。それから閉じましたわ。
「……出て行け。お前たちが入ってきたせいで魔力が乱れている。研究の邪魔だ」
「採り終わったら参りますわ」
「今すぐ出て行け」
「もう少しでございますわ」
人影が眉を寄せましたわ。苛立っておりますの——しかし、何かに気を取られておりますわ。
懐から、細長い器具を取り出しましたの。金属と水晶でできた器具でございますわ——計測の道具でございますの。それを空中にかざしましたわ。
わたくしは採取を続けましたの。
人影が計測を始めましたわ。器具を様々な方向に向けておりますの——数値を読んでおりますわ。そちらの方が気になってきているようでございますの。わたくしたちを見て、また器具を見て、また空中に向けて——
「……乱れの起点が複数ある」独り言でございましたわ。「4人か。4人が同時に入ってきた——」
「3人でございますわ」
「何が3人だ」
「今見えているのは3人でございますの」
人影がまたヴァルターを見ましたわ。クーリエを見ましたの。わたくしを見ましたわ。
「……3人が同時に入ってきたせいで、全体の魔力分布が変わっている」
「そうでございますか。申し訳ございませんわ」
「申し訳ないなら出て行け」
「採り終わったら参りますわ」
人影がまた口を閉じましたわ。
計測器を別の方向に向けましたの——今度は湖面でございますわ。湖の魔力を計っておりますの。わたくしたちのことよりも、数値の方に意識が向いてまいりましたわ——そういう様子でございますの。
クーリエがわたくしの傍に寄ってきましたわ。小声でございましたの。
「怒っていますか、あの人」
「おそらくでございますわ」
「怒っているのに、計測してますね」
「研究の方が気になるのでございますわよ」
「……変わった人ですね」
「ええ」
わたくしは最後の一掴みを摘みましたわ。袋の口を確認しましたの——十分な量でございますわ。葉の状態も良うございますの。
「採り終わりましたわ」
人影が顔を上げましたの。
「出て行くのか」
「今から参りますわ」
「……そうしろ」
人影が計測器に視線を戻しましたわ。
わたくしは立ち上がりましたの。袋を荷物にしまいましたわ。クーリエに目で合図しましたの——クーリエがヴァルターを見ましたわ。
3人で入口の方へ向かいましたの。
数歩進んだところで、わたくしは振り返りましたわ。
人影がまだ計測をしておりましたの——湖面に器具を向けたまま、こちらを見ておりませんでしたわ。暗紫のオーラが揺れておりましたの。静かに揺れておりますわ——怒りの揺れ方ではございませんでしたの。
湖面の光が、人影を照らしておりましたわ。
わたくしは前を向きましたの。
金属の扉の方へ歩きましたわ——セバスチャンがまだ湖畔の端にいることに、人影はまだ気づいていないようでございますの。




