第28話 山岳の道と魔王
ポルトゥスを出て3日目でございましたの。
道が変わりましたわ。
大通りの均一な石畳が終わって、山岳に向かう街道に入りましたの。轍の跡がございますわ——ただし、新しい轍ではございませんでしたの。荷馬車が通った跡は、草に半分埋まっておりますわ。最後に誰かが通ったのが、かなり前であることがわかりましたの。
道の両側が、少しずつ狭くなっておりますわ。木々が街道に向かって伸びておりますの。手入れをする者がいなくなった分だけ、自然が戻ってきておりますわ。
「人がいませんね」
クーリエが言いましたの。
「いないようでございますわね」
「怖くないですか?」
「何かがいる可能性は高うございますわ。ただ、それは怖いとは別の話でございますの」
クーリエが少し考えておりましたわ。
「どう違うんですか?」
「怖いのは、どうすればいいかわからない時でございますわ。何かがいるなら、対処すればよろしいのでございますの」
クーリエがまた少し考えておりましたわ。
「……なるほど」
「納得しておりますか?」
「してないですけど、なんとなくわかります」
それでよろしゅうございますわ、とわたくしは思いましたの。
お昼の茶にいたしましたわ。
道の脇に平たい岩がございましたの。ちょうどよい高さでございますわ。クーリエが湯を沸かしておりましたの。わたくしは木箱を開けましたわ。
北東山岳産の茶葉でございますの。市場で購入した最後の在庫でございますわ。
どう淹れますか? という顔をクーリエがしておりましたの。
「少し温度を下げてから蒸らしますわ。高地の茶葉は熱すぎると香りが飛びますの」
「覚えます」
クーリエが温度を確かめながら淹れておりましたわ。蒸らしの時間も少し長めに取っておりますの。
一口飲みましたわ。
山でございますの。この道の先に、この香りがございますわ。それだけで、今日の茶は十分でございますわ。
「どうですか?」
「よろしゅうございますわ」
クーリエが少し誇らしそうな顔をしましたの。
午後に入ったところで、道が分かれておりましたわ。
右が山岳の奥へ続く本道でございますの。左が迂回路でございますわ——ただし迂回路の入口に、丸太が横たわっておりましたの。通行止めの印でございますわ。
右の本道を見ましたの。道は続いておりますわ。木々の間を抜けて、先が見えませんでしたの。
「右でいいですか?」
「地図によればそうでございますわ」
踏み込んだところで、声がしましたの。
木々の上からでございましたわ。
「そっちは駄目だ」
降りてきたのは黒い鎧の人物でございましたわ。長身で黒髪、赤い瞳でございますの。
以前に変異種の討伐後に見かけた人物でございますわ。
「またお会いしましたわね」
黒い鎧の人物が少し止まりましたの。
「……覚えていたのか」
「ええ。同じ方向を向いておりましたわ、あの時も」
黒い鎧の人物が、わたくしを見ておりましたわ。それからクーリエを見て、また道の先を見ましたの。
「この先に変異種の群れがいる。私が確認しただけで12匹。群れで動いている。通れない」
「何匹か確認できていない個体がいると」
「……おそらくは」
「ありがとうございますわ。参考にいたします」
黒い鎧の人物が眉を寄せましたの。
「参考、とは?」
「通り方を考えますわ、という意味でございますの」
「通れないと言っている」
「おっしゃる意味はわかりますわ」
少しの間がございましたわ。黒い鎧の人物が、どこか疲れたような顔になりましたの。
「……なぜこの道を通ろうとしている?」
「茶葉がございますので」
「茶葉」
「産地がこの先にございますの。この道を通らなければ辿り着けませんわ」
黒い鎧の人物が少し黙りましたの。
「他に目的はないのか?」
「今のところはございませんわ。茶葉だけでございますの」
また黙りましたわ。今度は少し長うございましたの。
「……では引き返せとは言わない。ただ」
「12匹は多うございますわね」
「私が先に行って数を減らす。その隙に——」
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
黒い鎧の人物が止まりましたの。
「一緒に?」
「足手まといにはなりませんわよ」
クーリエが隣で静かに頷いておりましたの。異論なし、という顔でございますわ。
黒い鎧の人物が、わたくしを見て、クーリエを見て、道の先を見ましたわ。
「……わかった」
変異種の群れは、道から少し外れた開けた場所に集まっておりましたわ。
12匹どころではございませんでしたの。20匹は超えておりますわ。黒い鎧の人物が舌打ちしましたの。
「増えている。さっきより」
「繁殖ではなく、集まってきているのでしょう」
「この辺りに引き寄せられている何かがあるということか?」
「さあ」
わたくしはフレアアローを4本、静かに展開しておりましたの。クーリエが上空に槍を5本、音なく並べておりましたわ。
黒い鎧の人物が剣を抜きましたの。
動きましたわ。
一歩で3匹の間合いに入りましたの。剣が薙いで2匹を吹き飛ばし、盾のない腕で3匹目の突進を受け止めましたわ。受け止めて——押し返しましたの。変異種の体が浮いておりましたわ。この方の腕力でございますの。
その動きに釣られるように、別の4匹が黒い鎧の人物に向かいましたわ。
クーリエの槍が4本、その4匹に同時に刺さりましたの。
右側から7匹が崩れるように動きましたわ。わたくしはフレアアローを4本放ちましたの。4匹に当たりましたわ。残り3匹がわたくしに向かってきましたの——エアープレスで足元を崩して、そのまま4本まとめてバーストいたしましたわ。
左側がまだ動いておりましたの。黒い鎧の人物がそちらに向きましたわ。剣が横に大きく薙いで、3匹を一度に弾きましたの。弾かれた先にクーリエの槍が3本——落ちてきましたわ。
残りが固まって突進してまいりましたの。
「クーリエ」
「はい」
エアープレスで足元を持ち上げましたわ。宙に浮いたところにフルバーストでございますの。
静かになりましたわ。
黒い鎧の人物が剣を収めておりましたの。わずかに息が乱れておりましたわ。クーリエが槍を消しておりましたの。
三者とも、特に会話もなく、それぞれ周囲を確認しておりましたわ。
道に戻ったところで、黒い鎧の人物が立ち止まりましたの。
少し間を置いてから、口を開きましたわ。
「……名乗っていなかったな」
「そういえばそうでございますわね」
「私は——」
少し、止まりましたわ。口を開いたまま、止まっておりましたの。
この方がこれまで何度、名を名乗ったことがございましょう。名乗るたびに相手の顔がどう変わったか——その記憶が止まらせているのでございましょう。
「セバスチャンだ。魔王だ」
クーリエが固まりましたの。
わたくしは少し考えましたわ。魔王。この世界の均衡崩壊を受けて選出された存在。本人に選択権はない。2〜3年消耗し続けている、ということは以前から察しておりましたの。
「まあ、それは大変でございますわね」
セバスチャンが、止まりましたわ。
「……驚かないのか」
「驚く理由がございますか?」
「魔王だぞ」
「存じておりますわ。ただ——選ばれたくて選ばれた方ではございませんでしょう」
セバスチャンが、わたくしを見ておりましたわ。しばらく、そのままでございましたの。
「なぜわかる?」
「この辺りの変異種を一人でお相手なさっておりますわ。勇者が動くのを待ちながら——動かないから、ご自身で食い止め続けている」
セバスチャンが黙りましたの。
「ご苦労様でございますわ」
「……おまえは何者だ?」
「クラリッサと申しますわ。茶葉を探しております」
クーリエがようやく固まりから戻りましたの。
「あの、魔王って……天界転生局の管理対象で……」
「被害者でございますわよ、クーリエ」
「被害者?」
「選ばれたくなかったのに選ばれた。それは被害でございますわ」
クーリエがセバスチャンを見ましたの。何か言いかけて、止まりましたわ。それから、小さく頭を下げましたの。
「……お疲れ様です」
セバスチャンが少し目を細めましたわ。
「……否定はしない」
どこか力が抜けたような声でございましたわ。
「では参りましょうか」
わたくしは道の先を見ましたの。山はまだ続いておりますわ。
「まだ行くのか?」
「茶葉がございますので」
セバスチャンが少しの間、わたくしの後ろ姿を見ておりましたわ。
それから、ついてきましたの。




