第22話 1人目の勇者
翌朝、街を出るつもりでございましたの。
もう一区画だけ市場を見ておきたい区画がございましたわ。乾燥薬草類の隣に加工品を扱う区画があったはずでございますの。茶葉の加工品——茶の抽出液を濃縮したものや、乾燥した果皮と合わせたものを、この国で作っているかもしれない。買うかどうかは見てから決めますわ。
中央広場を抜けて市場へ向かう途中でございましたの。
広場の中心に、噴水がございましたわ。石造りの水盤に水が流れている。技術国家らしく、水の流量が一定に保たれておりますの。その縁に、一人の男性が腰かけておりましたわ。
整った服装でございましたの。上質だが装飾を抑えた、実用的な仕立て。30代ほど。細身で、座っていても背筋が伸びている。手元に何も持っていない。ただ、こちらを向いておりましたわ。
向いている、というより——待っておりましたの。
わたくしは歩調を変えませんでしたの。広場を横切りながら、その人物を観察いたしましたわ。穏やかな顔でございますの。目が細く、表情が柔らかい。ただ、その穏やかさは、均一に処理された茶葉の香りに似ておりましたわ。突出したところがなく、欠けたところもない。
その人物が立ち上がりましたの。
「旅の方ですね」
声が穏やかでございましたわ。問いかけというより、確認の形でございますの。
「ええ、そうでございますわ」
「茶葉を買い求めていると聞きました」
わたくしは少し止まりましたの。止まって、それから向き直りましたわ。
「どなたからでございますか?」
「市場の商人から。珍しい客だったと」
「アレンと申します。この街を管理しているものです」
クーリエが少し動きましたの。わたくしは片手を小さく上げて止めましたわ。
「クラリッサ・フォン・ヴァルシュタインでございますわ。旅の者でございますの」
「ヴァルシュタイン」
アレンが名前を繰り返しましたの。何かを確かめるような間がございましたわ。
「貴族のご出身ですか?」
「昔のことでございますわ。今は旅の者でございますの」
「昔の」
また繰り返しましたの。情報として受け取って、分類しているような間でございましたわ。それから、少し首を傾けましたの。
「どこへ向かわれますか?」
「東でございますわ。茶葉の産地を探しておりますの」
「産地まで?」
「ええ」
「この国の東には、いくつか産地がございますよ。ご案内することもできますが」
「ご親切にありがとうございますわ。ただ、自分で探すのが好みでございますの」
「なぜ?」
「案内していただくと、案内された場所しか見えなくなりますわ。道中に何があるかは、自分で歩かなければわかりませんの」
アレンが黙りましたの。少しの間、噴水の水面を見ておりましたわ。
「合理的ではありませんね」
「旅に合理を求めておりませんの。茶葉に求めておりますわ」
「茶葉のために、ここまで」
アレンが言いましたの。問いではなく、確かめる形でございましたわ。視線がわたくしからクーリエに移って、また戻ってきましたの。
「市場に来た理由も、茶葉ですか?」
「ええ。工業的な処理で品質が安定していて、面白うございましたわ」
「面白い、と」
「均一にするために何を削いだか、という観点で読むと、作り手の判断が見えてまいりますわ。削いだものの中に、その土地の個性がございますの」
アレンが少し間を置きましたの。
「……茶葉を、そのように読むのですか」
穏やかな声でございましたわ。ただ、先ほどと質が変わっておりましたの。穏やかさの中に、何か別のものが混じってきた声でございましたわ。
「わたくしにとっては当然のことでございますわ」
「当然、か」
アレンが噴水の縁を指でなぞりましたの。石の継ぎ目のない、滑らかな縁でございましたわ。
「この噴水は、水量を一定に保つ機構が仕込んであります。季節が変わっても、気温が変わっても、同じ流量で水が出る。それが正しい設計だと思いませんか?」
「美しい噴水でございますわ」
「美しい、ではなく——正しい、と思いますか?」
わたくしは噴水を見ましたの。水が一定の流量で流れている。変わらない。揺れない。
「水がいつも同じ量で出ることと、その水が美しいかどうかは、別の問いでございますわ」
アレンの指が、縁の上で止まりましたの。
「この世界の均衡は、一定ではありません」
声が少し変わりましたわ。穏やかさは残っておりましたが、その下に何かが来た声でございましたの。
「各国が互いを牽制しながら動かない。誰も正しく機能していない。それを均衡と呼ぶのは——」
「呼び方の問題でございますか?」
わたくしは穏やかに遮りましたの。
アレンが少し止まりましたわ。
「……何が、問題だと?」
「牽制し合いながら動かないことは、確かに非効率でございますわ。ただ、それを正しく機能させようとすれば、機能の定義が必要でございますの。誰の定義で動かすかという問いが、必ず出てまいりますわ」
「正しく設計された機構であれば、その問いは生まれない」
「設計した者の想定が、設計の外側を決めますわ。想定の外は、常にございますの」
アレンが黙りましたの。
わたくしは観察しておりましたわ。穏やかな顔は変わっておりませんでしたの。ただ、噴水の縁に置いた手が、ごくわずかに白くなっておりましたわ。力が入っているのでございますの。
この方は、反論されることに慣れていらっしゃらないのでしょうわ。
反論ではなく、想定の外から話しかけられることに。
「……面白い考え方ですね」
アレンが言いましたの。声が穏やかに戻っておりましたわ。手の力が抜けましたの。
「そうでございますか?」
「茶葉の話から、そこまで」
「茶葉の話でございますわ。ずっと」
アレンが少し間を置きましたの。それから、今度は本当に微笑みましたわ。先ほどまでの、計算された穏やかさとは違う微笑みでございましたの。
「また、お話できますか?」
「この街に滞在している間は、広場におりますわよ」
わたくしは市場の方向へ歩きましたの。
クーリエが後ろをついてまいりましたわ。市場の入口に差しかかったところで、小声で聞いてきましたの。
「今の人が、アレンですよね?」
「ええ」
「怖くなかったですか?」
わたくしは少し考えましたの。
「怖い、とは少し違いますわ」
「どう違うんですか?」
「頭の良い方は、往々にして自分の見えている範囲が全てだとお思いになりますの。それは恐ろしいことでございますわ。ただ」
市場の屋根の下に入りましたの。採光窓から光が均等に落ちておりましたわ。
「恐ろしいものと、怖いものは、また別でございますの」
クーリエが黙って頷きましたの。
加工品の区画で、茶葉を圧縮して固めた携帯用のものを見つけましたの。長期保存に向いているとの小札がついておりましたわ。旅用に一つ、手に取りましたの。
均一な品質でございますわ。
先ほどの噴水の水を思いましたの。一定の流量で、変わらず流れ続ける水でございますわ。
それが美しいかどうかは、また別の問いでございますけれど。




