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第19話 東への街道

東の街道は、ポルトゥスを出てしばらくは整備が行き届いておりましたの。


 石畳の継ぎ目が均等で、排水の溝が両脇に切ってある。道標は一定の間隔で立っており、次の宿場の名が刻んである。商業国家の街道は、さすがに手が入っておりましたわ。


「よく整備されておりますわね」


 わたくしは石畳を踏みながら言いましたの。


「どこのことですか?」


「街道でございますわ。物が動く場所に道は生まれますの。逆に申せば、道が途切れている場所には物が動いていない、ということでもございますわ」


 クーリエが道標を見上げて、少し考える顔をしましたの。それきり黙って歩いておりましたわ。


 よい出発でございますわ。



 ポルトゥスを出て半日ほど経った頃から、人の姿が減り始めましたの。


 最初は気にするほどでもございませんでしたわ。行商人の荷車が減り、旅人とすれ違う間隔が長くなる。どこの街道でもあることでございますの。ただ、東へ進めば進むほど静かになっていくのが、少し早い気はいたしましたわ。


 夕暮れ前に宿場へ着きましたの。


 建物が十数軒ほど。宿が一軒、食事処が一軒、あとは民家でございますわ。こぢんまりとした宿場でございますの。それ自体は珍しいことではございません。


 ただ、宿場に入った瞬間に、足が少し止まりましたの。


 農地でございましたわ。宿場のすぐ脇に広がる畑のうち、半分ほどに草が生えておりましたの。雑草と言うには丈が高く、夏の終わりに一度も刈られていない高さでございますわ。石積みの畦道が崩れかけたまま、その崩れた石が散らばったままになっている。


 鍬が、倒れたまま置いてあるのでございますわ。


 柄が地面に刺さった状態で、そのまま傾いて倒れているのでございますわ。作業の途中に置いたような角度で。雨に打たれて土が染みておりますが、錆びるほど時間は経っていない。


 倒れた鍬を立て直す人間が、もうここにはいないのでございますわ。


 わたくしはしばらくそれを見ておりましたの。それから、宿に入りましたわ。


「クラリッサさま?」


「参りますわよ」


 主人は人の好さそうな老夫婦でございましたわ。部屋を案内してくれながら、「最近はお客さんが少のうて」と言いましたの。わたくしは廊下の窓から、先ほどの農地の方向を見ておりましたわ。


「農地を離れた方が多いようでございますわね」


 老夫婦が顔を見合わせましたの。


「……まあ、若い衆はね。東の方の街に働きに行っとる者もおるし」


 少し間がございましたの。


「そうでない者もおるし」


 そこで止まりましたの。続きは出てきませんでしたわ。


 わたくしはそれ以上聞きませんでしたの。夕食を頼んで、部屋で書類の整理をいたしましたわ。


 夕食の後、クーリエが旅用の茶葉を取り出しましたの。ポルトゥスを出る前日に市場で買い足した、安価ではありますが品のよいものでございますわ。長旅に備えて数種類揃えておいたものでございますの。


「淹れていいですか?」


「ええ」


「何の茶葉を使いますか?」


「アルヴァニア・インペリアルは残量が少ないですわ。今夜は旅用のもので結構でございますわ」


 クーリエが茶葉の袋を確認して、作業を始めましたの。予熱。茶葉の量を測る。お湯の温度を手の平で確かめる。


 ポルトゥスを出る朝に及第点を出した時と、手の動き方が少し違いましたの。あの時は「うまくできた」という興奮が動作に滲んでおりましたが、今夜は落ち着いておりますわ。及第点を一度取ったことで、どこかが定まったのでしょうわ。


 差し出されたカップを受け取りましたの。一口飲む。


「……蒸らしが少し短うございますわ」


「はい」


「後味の出方に影響しておりますわね。あとは、注ぎ方が丁寧になっておりますわよ」


 クーリエが少し表情を動かしましたの。


「注ぎ方、変えてみたんです。急ぎすぎると雑味が出るって、ポルトゥスの茶葉商人に聞いたので」


「ええ、出ておりませんわ」


「でも蒸らしが短かった」


「一度に全部はできませんわ。一つ直して次に気づく、それでよろしいのでございますよ」


 クーリエが頷きましたの。答えを求めているのではなく、確かめているような頷き方でございましたわ。


 わたくしは旅用の茶葉を飲みながら、窓の外を見ておりましたの。宿場は暗い。街灯はなく、民家の灯りが数点あるだけでございますわ。農地の方向は見えませんの。


 倒れた鍬は、今夜もあの角度で倒れているのでしょうわ。


 一口飲みましたの。



 翌朝から、二つのことが同時に目に入り始めましたの。


 一つは、農地の荒れが続いていることでございます。


 昨日の宿場の農地だけではございませんでしたの。東へ進むにつれて、手の入っていない区画が増えておりましたわ。耕されていない土、崩れた石積み、伸び放題の草。昨日の場所とは違って、道具も残っていない。家財ごと引き払った跡でございますわ。


 もう一つは、街道そのものの質が上がっていることでございましたの。


 石畳の精度が段違いになっておりましたわ。継ぎ目の均等さ、路盤の固め方、排水溝の深さまで違う。道標の柱が変わっておりましたの。それまでは木製の柱でしたが、今は金属製の支持具に石板が取り付けられた形式でございますの。雨にも風にも、長年耐えられる構造でございますわ。


「管理されておりますわね」


 わたくしは足を止めずに言いましたの。


「急に道がよくなりましたね」


「ポルトゥスとは別の手が入っているということでございますわ。これは技術国家側の整備でしょう」


 クーリエが道標の金属部分を少し触りましたの。


「なんか、すごい精度です。接合部が」


「そういうことに気づきますのね」


「光の武器を維持するには構造の理解が必要で……なんか、似てる気がして。うまく言えないんですけど」


「力の設計と物の設計は、突き詰めれば同じ問いに行き着くのかもしれませんわ。何をどう組み合わせれば意図した結果が出るか、という」


 クーリエが少し考えてから、また歩き出しましたの。


 荒れた農地と、精度の高い石畳。どちらも同じ勢力圏の内側でございますわ。


 わたくしは何も言わずに歩きましたの。



 昼を過ぎた頃、街道脇の茂みが揺れましたの。


 一度だけ。それから静かになりましたの。


「クーリエ」


「わかってます」


 クーリエが前に出て、上空に光の槍を展開しましたの。3本。


 茂みから出てきたのは、猪に似た魔物でございましたわ。四つ足で、体高はクーリエの腰ほど。首の後ろの毛が逆立っており、目が赤みがかっておりますの。


 わたくしは最初の一瞬、その目を見ておりましたわ。


 赤みがかっている、というよりも、充血しているような色でございますの。通常種の目はもっと澄んでおりますわ。


 魔物が突進してきましたの。


 速い。通常種より明らかに速い。クーリエが槍を1本落として軌道を逸らし、もう1本で足を止める。体が傾いたところに3本目が刺さりましたの。


 倒れた魔物が、すぐには動きを止めませんでしたわ。足を動かそうとしている。首を持ち上げようとしている。クーリエが追加で槍を展開して、今度は確実に仕留めましたの。


「……思ったより手がかかりました」


 クーリエが息を整えながら言いましたの。


「ええ」


 わたくしは倒れた魔物のそばに少し近づきましたの。


「おかしい個体でございますわね」


「通常種じゃないですか」


「目の色が違いますわ。槍を4本使ってようやく止まった。それに」


 少し止まりましたの。


「茂みの揺れが一度だけでしたの。この種の魔物は本来、群れを作りますのに」


 クーリエが倒れた魔物を見ておりましたの。


「群れがいないってことは、いい話ですよね」


「どうでしょうね。群れを作れなくなった理由によりますわ」


 クーリエが黙りましたの。


「まだわかりませんわ。一例でございますの」


「参りますわよ」


 歩き出しましたの。クーリエが並びましたわ。



 2日目の夕暮れ時、次の宿場に入りましたの。


 入口で、わたくしは足を止めましたの。


 街灯でございましたわ。宿場の入口に2本、広場に1本。日が傾くにつれて、灯りが自動でともりましたの。魔道具が仕込まれているようでございますわ。日没を感知して発動する仕組みでしょう。橙色の光が広場をぼんやりと照らしておりましたわ。


「あれ、自動で光ってますね」


「ええ。技術国家の勢力圏に入ったということでしょう」


 クーリエに宿の手配を頼んで、わたくしは広場に少し立っておりましたの。


 その時でございましたの。


 視線がございましたわ。


 方向は特定できませんでした。ただ、確かにございましたの。社交界で17年間、表向きの笑顔の下で互いに値踏みし合う場所で育ちましたわ。視線というものは、背中でも首の後ろでも感じる訓練が自然と身につくものでございますの。


 遠くはない。一人か、二人。


 わたくしは何もいたしませんでしたの。街灯を見て、石畳を一度見下ろして、それからゆっくりとクーリエを追って宿に入りましたわ。


 気づいていることを気取らせる必要はございませんの。


 部屋に戻りましたら、クーリエが既に銀のティーポットのお湯を用意して待っておりましたの。


「淹れていいですか?」


「ええ」


「昨日より蒸らし時間を長くしてみます」


「どのくらい長くしますの?」


 クーリエが少し考えましたの。


「……30秒、長くしてみます。根拠はないんですけど、なんとなく」


「なんとなく、は悪くございませんわよ。結果で確かめるのでしたら」


 クーリエが作業を始めましたの。指で秒を数えながら待っている。


 差し出されたカップを受け取りましたの。一口飲む。


「……後味が出ましたわね」


 クーリエが、ほんの少し顔を上げましたの。


「出ましたか」


「ええ。ただし、今度は渋みが少し出ておりますわ。蒸らしすぎでございますの」


「……難しいですね」


「ええ、難しゅうございますわ」


 わたくしはそれだけ言って、渋みの出た茶葉を両手でカップを持ちながらゆっくり飲みましたの。


 外は静かでございますわ。視線はもうない。農地も、変異した魔物も、今夜は見えませんの。部屋の中には、少し渋みの出た茶の香りだけがございますわ。


 クーリエがカップを片付けながら、少しだけ悔しそうな顔をしておりましたの。わたくしはそれを見て、何も言いませんでしたわ。


 東の街道はまだ続いておりますわ。

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