第17話 天界の観測記録・第2号
朝の監視記録室は静かだ。
羽根筆を持って、業務日誌を開く。今日で監視開始から17日目になる。
17日。
わたしは少しの間、その数字を見つめた。
通常の転生案件であれば、転生後3日で初期報告、7日で中間報告、30日で完了報告という流れになる。今回の案件は、初期報告の時点で「想定外」という文字を初めて業務日誌に書いた。
今は余白が想定外で埋まっている。
覗き石を取り出して、映像を確認する。
令嬢は今朝、商業国家を出発したようだった。クーリエが隣を歩いている。令嬢が何か言って、クーリエが頷いている。口の動きを読むと、次の目的地の話をしているようだった。
問題は、その前日の映像だ。
マルクスが動いていた。
令嬢がポルトゥスを去った翌朝、マルクスはエドワルドを呼んで長い時間話していた。その後、エドワルドが数人の使者を各方面へ送り出した。
わたしはその映像を3回繰り返して確認した。
間違いない。マルクスが動いた。
令嬢との取引から、わずか1日後に。
羽根筆を持って、業務日誌に書く。
第17日目。マルクスが取引翌日に使者を複数方面へ送った。静観から積極的な情報収集・発信へ、方針が変化したと判断する。
書いてから、少し考えた。
これは令嬢の影響と見るべきか。
書いてから、また少し考えた。
見るべきだ。他に理由がない。
雲紙がぽわりと光った。
わたしは羽根筆を置いて、天井を見た。
マルクスといえば、5年間、この世界の誰と接触しても決して手の内を見せなかった商人だ。動かないことが彼の戦略だった。それが1日で変わった。
令嬢が来て、1日で。
次に、女神フィレーネへの定期報告書を取り出した。
月に一度、各転生案件の状況をフィレーネ様へ報告する義務がある。今月の提出期限は3日後だ。
わたしは報告書の用紙に羽根筆を当てた。
書き出しはいつも決まっている。「今月の転生案件の状況について、以下の通りご報告申し上げます」。
そこまでは書けた。
その次が書けなかった。
通常案件については問題ない。粛々と書ける。ただ、クラリッサ案件の欄が空白のまま止まっている。
わたしは少し考えた。
事実を書けばいい。事実は単純だ。「転生対象は商業国家との接触に成功。商業連邦の実力者マルクスと取引を成立させた」。それだけだ。
羽根筆を当てた。
書けなかった。
なぜかと言えば、その次に書かなければならないことがあるからだ。「なお、当該転生は担当見習いの誤操作によるものであり、対象は本来の転生先ではない世界に配置されています」という経緯の説明。
その経緯の説明の後に続く想定外の事態の数が、今月は桁が違う。
わたしは羽根筆を置いた。
報告書を書く前に、少し整理が必要だ。
改めて、今月の想定外の一覧を業務日誌から数えてみた。
「想定外」という文字が37回出てきた。
わたしは少しの間、その数字を見つめた。
37回。
過去の業務日誌を遡ってみると、通常案件で最も多かった月で3回だった。今月は37回。
12倍以上だ。
わたしは羽根筆を取って、業務日誌の余白に書いた。
今月の想定外の件数:37件。過去最多を更新。来月も更新する可能性が高い。
雲紙が、またぽわりと光った。
真実を書くと光る紙に、こういう形で光られるのは複雑な気持ちだ。
気持ちを切り替えて、クーリエの評価記録を開いた。
お世話係見習いの研修記録は、月次で更新する義務がある。
クーリエの評価記録を最後に更新したのは、転生事故の直後だった。その時は「転生魔法陣の暴走を招いた。魔法陣の基礎から再学習が必要」という評価を赤字で書いた。
今月の更新欄を開く。
わたしは少し考えた。
事実を書けばいい。事実は単純だ。
転生対象との同行期間中、戦闘において複数回適切な判断を行った。特に第11日目の廃坑での連携は、指示に従いながら独自判断も組み合わせた質の高い動きだった。
書いてから、追加した。
紅茶の習得について。転生対象からの指導に加え、自主的に専門商人への聞き込みを行うなど、能動的な学習姿勢が見られる。現時点では未合格だが、向上の軌跡は明確だ。
書いてから、わたしは少し止まった。
これは赤字ではない。
クーリエの評価記録に、赤字以外の文字を書いたのは初めてだった。
わたしは黒字で書かれたその文字を少しの間見てから、続きを書いた。
引き続き経過を観察する。
フィレーネ様への報告書に戻った。
今度は書けた。
事実だけを書く。経緯の説明、現状の報告、今後の見通し。
今後の見通しの欄が少し難しかったが、正直に書いた。
転生対象は現在、商業連邦の実力者マルクスと情報交換の取引関係を構築した。今後、他の勇者への接触が想定される。世界の均衡に変化が生じる可能性がある。詳細は引き続き観測する。
書いてから、最後の一行を付け加えた。
なお、本案件は引き続き最優先監視対象として、統括官が直接担当する。
雲紙が、ぽわりと光った。
わたしは報告書を折り畳んで、フィレーネ様への送付用の封筒に入れた。
封をしながら、少し思った。
フィレーネ様はこれを読んで、何とおっしゃるだろうか。
おそらく、頭が痛いとおっしゃる。
それはわたしも同じだった。
ただ。
監視記録室を出る前に、もう一度覗き石を取り出した。
令嬢とクーリエが、街道を歩いている。
令嬢が立ち止まって、書類の束を取り出した。マルクスから受け取った入国ルートの地図だろう。それを確認して、また歩き出す。
クーリエが隣で何か言った。令嬢が少し口元を緩めた。
わたしは覗き石を布で包みながら、小さく呟いた。
「……目が離せませんね」
廊下に誰もいなかったのは、よかった。
わたしは封筒を持って、送付窓口へ向かった。
フィレーネ様、どうかご容赦ください。
来月の報告書は、今月より「想定外」の件数が増えている可能性があります。




