第16話 利益の一致
2日目の謁見は、前日と同じ部屋でございました。
マルクスはすでに椅子に座っておりましたの。昨日のように窓際で待つ、という所作はございませんでしたわ。
小さな変化でございますけれど、意味がある変化でございますわ。
わたくしは椅子に腰を下ろしながら、その変化を頭の片隅に置きましたの。
「昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、お時間をいただきましたわ」
「一晩、色々と考えました」
「わたくしもでございますわ」
マルクスが、少し笑いましたの。
「では、昨日の続きを」
「ええ」
マルクスの最初の言葉は、直球でございましたの。
「クラリッサ殿、単刀直入に申し上げます」
「どうぞ」
「あなたは、わたしを利用しようとしていますね」
静寂がありましたの。
わたくしは少し考えてから、答えましたの。
「ええ、そうでございますわ」
マルクスが、少し目を細めましたの。否定すると思っていたのかもしれませんわ。
「認めるのですか?」
「否定する理由がございませんわ。あなたが持つ情報とルートは、わたくしの旅に必要なものでございますわ。それを得るためにここに来た。利用、という言葉が正確でございます」
「……正直な方ですね」
「不要な嘘はつきませんわ。交渉の場で嘘をつくのは、相手の知性を侮ることでございますもの」
マルクスが、少し間を置きましたの。
「では、わたしも正直に申し上げましょう」
「どうぞ」
「あなたもまた、わたしに利用されようとしている」
今度は、わたくしが少し笑う番でございましたの。
「ええ、存じておりますわ」
「知っていて、来た?」
「利益が一致するのであれば、利用し合うことは合理的でございますわ」
マルクスが、椅子に深く沈みましたの。昨日と同じ仕草でございますが、今日は試しているのではなく、本気で考えている仕草でございますわ。
「あなたが、わたしから得たいものは昨日聞きました。入国ルート、各国の情報、茶葉の産地」
「ええ」
「では、わたしがあなたから得たいものを申し上げましょう」
「お聞きしますわ」
マルクスは静かに、しかしはっきりと言いましたの。
「駒でございます」
「駒?」
「今のこの世界は、5人の勇者が膠着している。誰も動けない。わたしはその状況を外から観察しながら、商業連邦の安全を保ってきました。ただ、それにも限界がある」
「どのような限界でございますの?」
「膠着が長引くほど、商売への実害が積み重なる。各地で魔物の被害が増え、商人の往来が減り、流通が細っていく。このまま誰も動かなければ、商売の土台ごと崩れます」
なるほどでございますわ。商人として、世界の消耗を肌で感じているのでございますわね。
「そこで、わたしが必要になると」
「ええ。あなたは読めない。どこから来たかもわからない。5人の誰とも利害関係がない。そして」
マルクスが、わたくしを真っ直ぐ見ましたの。
「昨日の会話で、あなたが相当な実力者であることはわかりました」
「過大評価でございますわ」
「謙遜ですか?」
「事実の確認でございますわ。わたくしはまだ、この世界でできることを試している段階でございますの」
「それでも、エドワルドが面白いと言っていました。あの男がそう言うのは珍しい」
わたくしは少し、エドワルドを見直しましたの。昨日の面談で、外に出てから「面白い客だった」とマルクスに伝えていたのでございますわね。読めない方だと思っておりましたけれど、評価は正直な方のようでございますわ。
「つまり」
マルクスが続けましたの。
「あなたに、膠着した状況へ変化をもたらす役割を担ってもらいたい。どこの国の者でもない、利害関係のない立場から動いてもらう。その代わり、あなたの旅に必要なものを提供する」
「具体的には?」
「情報の運び屋でございます。わたしが直接動けない場面で、あなたに動いてもらう。わたしは商人として各国の情報を持っています。あなたはそれを活用しながら、わたしの届かないところへ動ける」
わたくしは少し考えましたの。
情報の運び屋。要するに、マルクスの情報網を使いながら各国を動き回ることになりますわ。ただ、わたくしの目的と完全に矛盾するわけではございませんの。各国に入る必要があるのはこちらも同じでございますわ。
問題は、マルクスの意向がどこまでわたくしの目的と重なるか、でございますわね。
「一つ確認させてくださいませ」
「なんでしょう」
「あなたは、5人の勇者をどうしたいのですか?」
マルクスが、少し目を細めましたの。
「どういう意味ですか?」
「膠着を維持したいのか、膠着を崩したいのか。わたくしに求めることは、どちらに向いておりますの?」
静寂がありましたの。
マルクスがわたくしを見ております。今度は長い沈黙でございますわ。何かを決めようとしている沈黙でございますわ。
「……正直に申し上げましょう」
「どうぞ」
「膠着を崩したい。ただし、一極支配になれば商業連邦が最も割を食う。複数の勢力が並立している方が、商売の余地が生まれます」
「なぜですの?」
「戦争は商売の邪魔でございます」
わたくしは少しだけ、口元を緩めましたの。
「それは、わたくしと利益が一致いたしますわ」
「そうですか?」
「ええ。戦争は旅の邪魔でございますわ。茶葉の流通も滞ります」
マルクスが、しばらくわたくしを見ておりましたの。
それから、初めて声を立てて笑いましたの。
「……面白い」
先ほどまでの穏やかな笑みではございません。本心から、という笑いでございますわ。
「面白い方ですね、あなたは」
「よく言われますわ」
「今日は、それが本心から言っています」
「存じておりますわ」
取引の細目を詰めるのに、さらに1時間ほどかかりましたの。
わたくしが得るもの。他国への入国ルートと紹介状。各国の勇者に関する最新情報。そして、ロイヤルアールグレイ・プレミアム・オブ・サンライズの産地への手がかり。
マルクスが得るもの。わたくしが各国を動く際に得た情報のうち、商業連邦に有益なものをマルクスへ送ること。ただし、わたくしの目的に反する動きは要求しない。
最後の条件は、マルクスから提示してきたものでございましたわ。
「あなたが動きにくくなれば、駒の価値が下がります。無理な要求はしません」
「合理的でございますわ」
「ただし、一つだけ追加させてください」
「なんでしょう」
「定期的に、この街に寄ってください。情報の共有と、取引の確認のために」
わたくしは少し考えましたの。
「この街に寄るたびに、紅茶の茶葉を一缶いただけますの?」
マルクスが、少し驚いた顔をしましたの。
「……それが条件ですか?」
「追加の条件でございますわ」
「わかりました。最上級の茶葉を用意しましょう」
「アルヴァニア・インペリアルで構いませんわ」
「それでよろしいので?」
「今のところはそれで十分でございますわ」
マルクスが、また笑いましたの。
取引が成立いたしますと、マルクスがエドワルドを呼びましたの。
「入国ルートの紹介状と、各国の情報書類を用意してくれ」
「かしこまりました」
エドワルドが一礼して、部屋を出ましたの。その際、わたくしをちらりと見ましたわ。
驚いていない顔でございましたわ。おそらく、この結果を予測していたのでしょうわね。
マルクスが、小さな封筒を取り出しましたの。
「これを」
封筒を受け取りましたの。開けると、手書きの地図が入っておりました。山岳地帯の地図で、一点に小さな印がついております。
「ロイヤルアールグレイ・プレミアム・オブ・サンライズの産地でございますわね」
「正確には、産地へ通じる街道の入口です。そこから先は、自分で行くしかない。道は険しい」
「承りましたわ」
わたくしは封筒を丁寧に、銀のティーポットの隣に仕舞いましたの。
マルクスが、その仕草を見ておりましたわ。
「銀のティーポットと一緒に仕舞うのですか?」
「大切なものでございますもの」
「情報書類と一緒に仕舞う方が、合理的では?」
「合理的かどうかより、大切かどうかでございますわ」
マルクスが、また笑いましたの。今日3度目でございますわ。
「……クラリッサ殿」
「なんでしょう」
「次にこの街に来る時、その茶葉の産地の話を聞かせてください」
「行けたらでございますわ」
「行けたら、ですか?」
「道が険しいとのことでしたもの。わたくしの旅はのんびりと優雅に、でございますわ。険しい道は後回しにする可能性がございますわ」
マルクスが、苦笑いをしておりましたの。
「あなたの旅の優先順位は、本当に独特ですね」
「一貫しておりますわ」
「それは認めます」
建物を出ますと、クーリエが待っておりましたの。
わたくしの顔を見て、何かを読み取ろうとしておりますわ。
「どうでしたか?」
「取引が成立いたしましたわ」
「成立、ですか?」
封筒と、エドワルドから受け取った書類の束を見せましたの。
「入国ルートの紹介状と、各国の情報。そして、茶葉の産地への手がかりでございますわ」
クーリエが、書類の束を見て、少し目を丸くしましたの。
「全部、もらえたんですか?」
「交換条件がございますわ。旅の途中で得た情報のうち、商業連邦に有益なものをマルクスへ送ること」
「それだけですか?」
「この街に定期的に寄ること。その際に茶葉を一缶いただくこと」
クーリエが、少し間を置きましたの。
「……茶葉が条件に入っているのは、クラリッサさまが追加したんですよね?」
「当然でございますわ」
「マルクスさんは何と言っていましたか?」
「最上級を用意すると」
「……すごいですね」
「何がですの?」
「なんか、気づいたらマルクスがクラリッサさまのペースになっていませんか?」
「お互いのペースでございますわ。それが取引というものですわよ」
クーリエが、また遠い目をしておりましたの。
夕方のポルトゥスの石畳が、西日を受けて赤く染まっておりますわ。
「明日、出発いたしますわよ」
「次はどこですか?」
わたくしは書類の束の中から、入国ルートの地図を取り出しましたの。
「まず、どの国から参りましょうか。情報を整理してから決めますわ」
「……クラリッサさま」
「なんですの?」
「ちょっと聞いていいですか?」
「どうぞ」
「この旅、いつ終わりますか?」
わたくしは少し考えましたの。
「勇者が5人いなくなった時でございますわ」
「それ、いつになるか全然わからないじゃないですか?」
「ええ」
「……そうですよね」
「でも」
わたくしは地図を仕舞いながら、言いましたの。
「急ぐ旅ではございませんわ。良い紅茶を飲みながら、のんびりと参りましょう」




