第15話 マルクスとの謁見
謁見の朝は、よく晴れておりましたの。
宿を出る前に、アルヴァニア・インペリアルを一杯いただきましたわ。クーリエが淹れたものでございます。
一口飲んで、わたくしは少し考えましたの。
「惜しいですわ」
「また惜しい?」
「お湯の温度は完璧でしたわ。蒸らしも申し分ない」
「じゃあ何が?」
「カップの予熱が、15秒短うございましたわ」
クーリエが、天井を仰ぎましたの。
「15秒」
「されど15秒でございますわ」
「……いつか絶対合格します」
「楽しみにしておりますわ」
わたくしは惜しい一杯を丁寧に飲み干してから、立ち上がりましたの。
今日は、本番でございますわ。
マルクスの執務棟は、ポルトゥスの中心に位置する石造りの建物でございました。
中央広場の申請窓口よりさらに奥、衛兵が複数配置された門をくぐった先にございます。商業国家らしく、装飾は控えめで実用的な造りでございますわ。権威を見せびらかすより、機能を優先している。
エドワルドが入口で待っておりましたの。
「クラリッサ殿、お時間通りですね」
「当然でございますわ」
エドワルドがクーリエを見ましたの。
「護衛の方はこちらでお待ちください」
「わかりました」
クーリエがわたくしを見ましたの。何か言いたそうでございますわ。
「大丈夫ですか?」と言いそうな顔でございますわね。
「大丈夫でございますわ」
先に言いましたの。クーリエが、少し口を閉じてから、頷きましたの。
「……行ってらっしゃいませ」
「ええ。お土産話を持って帰りますわ」
通された部屋は、応接室というより、少し広い書斎のような印象でございましたの。
壁一面に書棚が並んでおります。地図が何枚か広げられたまま机の上に置いてある。使われている部屋の空気がありますわ。見せるための部屋ではなく、本当に使っている部屋でございますわね。
マルクスは、窓際に立っておりました。
外を向いていて、最初はこちらに気づいていないふりをしておりますわ。振り向いた時の相手の反応を見るための、古典的な所作でございますわ。
わたくしは部屋の中央で静かに立ちましたの。
急かしませんわ。待ちますわよ。
30秒ほどして、マルクスが振り向きましたの。
「お待たせしました」
穏やかな笑顔でございます。ガルトが言っていた通り、話しやすそうな印象を与える顔でございますわ。30代前半、細身、上質だが目立たない服。
エドワルドと似た方向性でございますが、エドワルドより温度が高い。近づきやすく見える分、より注意が必要でございますわ。
「お時間をいただきありがとうございますわ、マルクス卿」
「こちらこそ。遠くからいらっしゃいましたね。どうぞ、お掛けください」
向かい合って椅子に座りましたの。
マルクスが、お茶を勧めてくれましたわ。
「よろしければ、一杯いかがですか? うちの茶葉は悪くないと自負しているのですが」
「ありがとうございますわ。では、ご一緒させていただきますわ」
給仕が茶を注ぎましたの。
わたくしはカップを両手で持ちながら、一口いただきましたの。
悪くはございません。ただ、蒸らしが30秒長い。茶葉の選択は適切ですが、温度が少し低い。
「いかがですか?」
「美味しゅうございますわ」
マルクスが、少し笑いましたの。
「本当に、そう思っていらっしゃいますか?」
わたくしは少し考えましたの。
「蒸らしが30秒長うございますわ。あと、お湯の温度が2度ほど低いですわね。茶葉の選択は正解でございますけれど」
マルクスが、今度は少し違う笑みを見せましたの。先ほどより、本物に近い笑みでございますわ。
「辛辣ですね」
「お聞きになったのはあなたでございますわ」
「そうですね。では、遠慮なくいきましょうか」
マルクスの最初の質問は、穏やかな口調で来ましたの。
「集散地の件、ありがとうございました。あの街道が回復したのは、商業連邦としても助かります」
「お役に立てたようで、何よりでございますわ」
「一つ伺ってもいいですか? 集散地へはなぜあの街道を通ったのですか? 商業国家へ来るルートとしては、遠回りですが」
「茶葉の集散地でございましたもの」
「……それが理由ですか?」
「主な理由でございますわ」
マルクスが、少し間を置きましたの。計算している間でございますわ。
「なるほど。では、商業国家へ来た目的は?」
「先ほど申し上げた通り、情報の交換でございますわ」
「欲しい情報が何かを、もう少し教えていただけますか?」
「3つございますわ」
わたくしは指を立てましたの。
「他国への入国ルート。各国の最新情報。そして、ロイヤルアールグレイ・プレミアム・オブ・サンライズの産地でございますわ」
最後の一つを言った瞬間、マルクスの表情が、ほんの少しだけ動きましたの。
1秒にも満たない変化でございましたけれど、確かに動きましたわ。
「珍しいものをご存知ですね」
「市場で聞きましたわ。産地情報はあなたがお持ちだとのことでございますわ」
「正確には、ルートを持っています。産地との取引は長年のものでして」
「譲っていただけますの?」
「条件次第では」
「その条件を伺いに参りましたわ」
マルクスが、椅子に少し深く沈みましたの。エドワルドと同じ仕草でございますわ。この二人は似たところがございますわね。
「クラリッサ殿」
「なんでしょう」
「少し別の話をしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「あなたは、この世界で何をしようとしているのですか?」
直接的な問いでございますわ。
わたくしは少し考えましたの。この問いには、いくつかの答え方がございますわ。正直に答える。かわす。別の問いで返す。
どれが最善か。
わたくしはマルクスを見ましたの。穏やかな笑顔の奥に、真剣な目がございますわ。この人物は今、本気でわたくしを測っておりますわ。
それならば。
「旅をしておりますわ」
「旅?」
「優雅に、のんびりと。美味しい紅茶を飲みながら」
マルクスが、少し笑いましたの。
「それだけですか?」
「それだけでは、ございませんわ」
「やはり」
「ただ、それが主軸でございますわ。紅茶を飲みながら旅をする。その過程で、邪魔なものを排除して、面白いものに関わって、気が向いたことをする」
「邪魔なものとは?」
「今の世界の状況でございますわ」
マルクスの目が、少し鋭くなりましたの。
「具体的には?」
「4人の勇者が勢力を分けて対立している。もう一人の勇者は引きこもっているそうですけど。その歪みが世界に影響を及ぼしている。それはわたくしの旅の邪魔でございますわ」
「……邪魔、と表現されましたか?」
「ええ。世界が安定していれば、街道も使いやすくなります。茶葉の流通も改善されます。良い紅茶が飲みやすくなりますわ」
静寂がございましたの。
マルクスが、わたくしを見ておりますわ。先ほどまでと違う目でございますわ。値踏みの目ではなく、何か別のものを確認しようとしている目でございますわ。
「あなたは」
マルクスが、ゆっくりと言いましたの。
「世界の安定を、紅茶のために望んでいると、そういうことですか?」
「正確に申し上げれば、優雅な旅のためでございますわ。紅茶はその一部でございますわね」
「……」
マルクスが、初めて言葉に詰まりましたの。
わずかな間でございましたが、確かに詰まっておりましたわ。
「クラリッサ殿」
「なんでしょう」
「今日のところは、ここまでにしましょうか」
わたくしは少し驚きましたの。
続きを区切ったのは、マルクスでございますわ。主導権を持っている側が区切るのが普通でございますけれど、今の流れで言えば、区切られたのはマルクスの側でございますわね。
「続きは明日、ということでよろしいですか?」
「喜んでお受けいたしますわ」
マルクスが立ち上がりましたの。
「一つだけ申し上げてもいいですか?」
「なんでしょう」
「あなたは、面白い方ですね」
わたくしは静かに答えましたの。
「よく言われますわ」
建物の外でクーリエが待っておりましたの。
わたくしの顔を見て、少し安堵した様子でございますわ。
「どうでしたか?」
「明日も続きがございますわ」
「続き……一回で終わらなかったんですか?」
「マルクスが区切りましたの」
「マルクスが、ですか?」
「ええ」
クーリエが、少し考えてから言いましたの。
「……なんか、すごかったんですね」
「何がですの?」
「うまく言えないんですけど。向こうが区切った、ってことは、クラリッサさまのペースになっていたってことじゃないですか?」
「そう解釈していただいても、構いませんわ」
「クラリッサさまは、怖くなかったんですか?」
「楽しゅうございましたわ」
クーリエが、しばらくわたくしを見ておりましたの。
「……本当に、変わっていますね」
「よく言われますわ」
「……本当に変わっていますね」
「存じておりますわ」
夕暮れのポルトゥスの石畳が、橙色に染まっておりましたの。
明日が、本当の本番でございますわ。
わたくしは少しだけ、口元を緩めましたの。
監視記録室にて。
覗き石の映像の中で、令嬢がマルクスと話していた。
わたしは途中から羽根筆を持つのを忘れていた。
気づいた時には、映像の中でマルクスが「続きは明日」と言っていた。
マルクスが区切った。
わたしはその事実をしばらく飲み込めなかった。
マルクスといえば、この5年間で誰一人として主導権を握らせたことがない交渉の使い手だ。業務日誌には何度も「マルクスの動向、引き続き注視」と書いた。あのマルクスが。
わたしは雲紙に書いた。
第15日目。マルクスとの謁見第1回。続きは明日に持ち越し。
想定外。想定外。想定外。想定外。想定外。
少し考えて、書き足した。
マルクスが区切った。これは記録に残す。
さらに書き足した。
令嬢は「楽しゅうございましたわ」と言っていた。覗き石で口の動きを読んだ。
この一文を書くべきかどうか迷ったが、書く。事実だから。
雲紙が、ぽわりと光った。
わたしは羽根筆を置いて、しばらく天井を見ていた。
明日の謁見が、少し怖かった。
いや、正確には。
楽しみだった。
それが、少し怖かった。




