第六話 笑う剣士
三ノ火・沖田三冬の刃が、春馬たちへ襲いかかる。笑顔の奥に凶暴な剣士の顔を隠す三冬。その目的は、一ノ火の器である春馬を幻真層へ連れ去ることだった。りかを守るため、春馬は傷ついた体で塚原の完全憑依を受け入れる。
第六話「笑う剣士」
一月一日、午前五時四十一分。
病院へ続く県道。
朝靄の中で、三ノ火・沖田三冬が血のついた刀を振った。
刃に付着していた紫色の血が、雪の上へ飛び散る。
塚原の白い羽織は、左肩から大きく裂けていた。
春馬「塚原!」
塚原は斬られた肩へ手を当てる。
傷口から、紫色の粒子が漏れ出していた。
三冬「へえ」
三冬が感心したように目を細める。
三冬「今のを避けるんですねえ」
塚原「避け切れてはおらぬ」
三冬「普通なら首が落ちていましたよ。肩で済んだなら大したものです」
それでも刀の切っ先だけは、ひろしの喉元を正確に狙っていた。
春馬「ひろし。ゆっくり、こっちに来い」
三冬「動いたら斬りますよー」
春馬「お前は黙ってろ」
三冬「怖くないんですか?」
春馬「怖いに決まってるだろ」
三冬が少しだけ驚いた顔をする。
春馬「でも、友達に刀を向けられて黙ってる方が無理なんだよ」
三冬「いいですねえ」
刀が、ひろしの喉から離れる。
三冬「そういう青臭いの、嫌いじゃないですよ」
ひろしは後ずさりしながら、春馬のそばへ戻った。
ひろし「助かった……」
春馬「早く車に入れ」
ひろし「お前は?」
春馬「こいつを何とかする」
ひろし「何とかって、どうやって?」
車の後部座席で、りかが震えていた。
外へ出なければならない。
春馬のそばへ行きたい。
そう思っているのに、足が動かない。
社で紫乃に体を奪われた時の恐怖が、まだ体の奥に残っている。
りか「春馬……」
小さな声は、閉じた窓に遮られた。
◇
三冬は木製の徳利を持ち上げ、栓を抜いた。
三冬「戦う前に一杯、どうです?」
塚原「断る」
三冬「そうですか。残念」
三冬は徳利の酒を口へ流し込む。
塚原「戦場で酒を飲むとは、剣士の風上にも置けぬ」
三冬「また古いことを言ってる」
塚原「何じゃと?」
三冬「剣士はこうあるべき。武士はこうあるべき。そんなことばかり考えて、疲れません?」
塚原「己を律することを、疲れるとは言わぬ」
三冬「僕は我慢が嫌いなんですよ」
三冬は残っていた酒を一息に飲み干した。
三冬「酒も飲みたい。女の人とも遊びたい。眠い時には寝ていたい」
三冬「人生なんて短いんですよ」
空になった徳利が、紐の先で揺れる。
三冬の笑顔が、一瞬だけ寂しそうに見えた。
三冬「我慢したまま死んだら、損じゃないですか」
塚原「ずいぶんと死を知った口ぶりじゃな」
三冬「知っていますよ」
三冬が自分の胸元へ手を添える。
小さく咳き込んだ。
口元を覆った手のひらに、少量の血が付着している。
しかし三冬は、すぐにいつもの笑顔を取り戻した。
三冬「まあ、湿っぽい話は嫌いなので」
三冬は刀を肩へ担ぐ。
三冬「僕が知りたいのは、一つだけです」
塚原「申してみよ」
三冬「あなたは本当に、千人を殺せるほど強いのか」
春馬「その話は――」
塚原「黙っておれ」
春馬「でも!」
塚原「これは、ワシに向けられた問いじゃ」
三冬「そうそう。若い人は邪魔しないでください」
三冬は車の中にいるりかへ目を向けた。
三冬「特に、そちらのお嬢さん」
りかの肩が跳ねる。
三冬「いやあ、何度見てもきれいな人ですねえ」
春馬「りかを見るな」
三冬「見るくらいいいじゃないですか」
車内のりかが、わずかにうつむく。
三冬「君、自分で思っているより面倒な男ですよ」
それでも「見るな」と言ってくれたことが嬉しくて、胸の前で両手を握り締める。
◇
塚原が腰の刀へ手を添える。
塚原「三冬と申したな」
三冬「はい。沖田三冬です」
塚原「誰からワシの名を聞いた」
三冬「有名ですよ。幻真層では」
塚原「幻真層?」
三冬「知らないんですか?」
三冬は大げさに驚いてみせる。
三冬「あなた、四百年も何をしていたんです?」
塚原「答えよ」
三冬「怖いなあ」
塚原「誰が貴様を現世へ召喚した」
三冬の笑顔が、ほんの少し薄くなった。
三冬「九ノ火を知っていますか?」
春馬「白い装束の女か?」
三冬「会ったんですね」
塚原「貴様も九ノ火に呼ばれたのか」
三冬「いいえ」
三冬の刀から、紫色の火が立ち上る。
三冬「僕を呼んだのは、十一ノ火です」
周囲の空気が変わった。
塚原「十一ノ火……」
三冬「あなたを連れてこいと言われまして」
春馬「どこへ?」
三冬「幻真層へ」
三冬は春馬へ刀の切っ先を向ける。
三冬「正確には、一ノ火の器ごとです」
春馬「俺が目的か」
三冬「僕としては、塚原さんと斬り合えれば、どちらでもいいんですけどねえ」
塚原「断ると言えば?」
三冬「困りますね」
三冬は刀の峰で、自分の頬を軽くたたく。
三冬「では、そこの女の人から斬ろうかな」
春馬の表情が変わった。
三冬は、その変化を見逃さなかった。
三冬「やっぱり、大切なんじゃないですか」
春馬「りかには触らせない」
三冬「いい顔になりましたねえ」
三冬の笑顔が消える。
三冬「その顔をした人間は、速いですよ」
右足が半歩、前へ出る。
腰を落とす。
刀の切っ先が、真っすぐ春馬へ向けられた。
塚原「春馬、下がれ!」
三冬「遅い」
三冬の姿が消えた。
春馬には、何が起きたのかわからなかった。
一度だけ、紫色の刃が光ったように見えた。
次の瞬間。
春馬の右肩。
左脇腹。
右太腿。
三か所から、同時に血が噴き出した。
春馬「がっ……!」
春馬が膝をつく。
ひろし「春馬!」
三冬は、すでに春馬の背後へ立っていた。
三冬「三ノ火――無明三段」
一歩の踏み込みで、三度突く。
その速さは、三度の攻撃を一度の斬撃に見せていた。
塚原「貴様……」
三冬「一ノ火の器って、この程度なんですか?」
春馬が地面へ倒れる。
その姿が、車内にいるりかの目に映った。
りか「春馬……?」
頭の中が真っ白になる。
ドアを開けなければならない。
春馬のところへ行かなければならない。
それなのに、震える指がドアノブをつかめない。
りか「動いて……」
自分の足へ言い聞かせる。
りか「お願いだから……」
三冬が、倒れた春馬の背中へ刀を向けた。
三冬「塚原さん。出てこないのなら、この子を殺しますよ」
塚原「やめよ」
三冬「では、体を借りてください」
塚原「春馬は、まだ憑依に耐えられぬ」
三冬「ならば、ここで死ぬだけです」
刀の切っ先が、春馬の背中へ触れる。
三冬「三つ数えます」
春馬「りか……」
春馬が血に濡れた手を、車へ向かって伸ばす。
春馬「出てくるな……」
その言葉が、りかへ届いた。
怖い。
逃げたい。
体を奪われることも、刀を見ることも怖い。
だが、春馬が目の前で死ぬことは、それよりもずっと怖かった。
三冬「一」
りかはドアノブをつかんだ。
三冬「二」
ドアが開く。
りかは車外へ降りた。
足に力が入らず、その場へ膝をつく。
それでも両手を地面につき、震える足で立ち上がった。
りか「待ってください……」
三冬が振り返る。
三冬「おや」
りか「春馬を……斬らないでください」
声が震えている。
目には涙が浮かんでいた。
三冬「命乞いですか?」
りか「お願いします」
三冬「素直ですねえ」
三冬は、りかの姿を上から下まで眺めた。
春馬「りか……戻れ……」
りか「嫌」
りか「春馬を置いて、戻れないよ……」
三冬「泣かせますねえ」
りか「私が代わりになります」
春馬「何を言ってんだよ!」
三冬「代わり?」
りか「あなたは、火の器が必要なんですよね」
三冬「ええ」
りか「私も、二ノ火の器です」
りかが、左手に刻まれた「二」の印を見せる。
三冬の目が、わずかに見開かれた。
りか「だから、春馬を放してください」
春馬「勝手なことを言うな!」
りか「ごめんね」
春馬「謝るくらいなら、やめろ!」
りか「でも……春馬に死んでほしくない」
りかの頬を涙が流れる。
りか「私がいなくなるより、春馬がいなくなる方が嫌なの」
春馬は何も言えなかった。
りかの気持ちが恋なのか。
それとも、長く一緒にいた幼なじみへの情なのか。
今の春馬には、まだわからない。
ただ一つ。
りかが自分のために命を差し出そうとしている。
それだけは、絶対に許せなかった。
春馬「俺は、お前にそんなこと頼んでない」
りか「わかってる」
春馬「だったら――」
りか「私が、そうしたいの」
三冬が困ったように頭をかいた。
三冬「いやあ、美しいですねえ」
りか「では……」
三冬「でも、駄目です」
りか「え?」
三冬「僕、そういう一途な女の人は好きですけど」
三冬の姿が消える。
一瞬で、りかの目の前へ移動していた。
三冬「戦いに持ち込むのは嫌いなんですよ」
刀の峰が、りかの腹部を打つ。
りか「うっ……」
りかの体が崩れ落ちる。
三冬が、その体を片腕で抱き止めた。
春馬「りか!」
三冬「安心してください。殺していません」
三冬は気を失ったりかの顔をのぞき込む。
三冬「やっぱり、この人は僕の好みだなあ」
春馬「触るな!」
三冬「怖い怖い」
三冬は笑いながら、りかを道路脇へ横たえた。
開いたままの車へ手を伸ばし、後部座席に置かれていた毛布を引き寄せる。
そして、りかの体へ静かにかけた。
ひろし「何なんだよ、お前……」
三冬「女性は大切にする主義なんです」
ひろし「さっき腹を殴っただろ!」
三冬「刃では斬っていません」
ひろし「そういう問題じゃねえ!」
三冬「でも、このまま起きていたら、自分から刀の前へ出そうでしょう?」
三冬は立ち上がり、春馬へ振り返る。
三冬「これで邪魔は入りません」
春馬は地面へ手をつき、立ち上がろうとする。
血が雪の上へ落ちた。
春馬「塚原……」
塚原「何じゃ」
春馬「体を貸す」
塚原「お主、意味がわかっておるのか」
春馬「わかってる」
塚原「今の体でワシを受け入れれば、意識を失うかもしれぬ」
春馬「りかを守れるなら、それでいい」
塚原「春馬」
春馬「早くしろ!」
三冬が楽しそうに刀を構える。
三冬「ようやくですねえ」
春馬の右手に刻まれた「一」の印が、紫色に輝く。
塚原の体が無数の粒子となり、春馬の背中へ吸い込まれていく。
塚原「力を抜け」
春馬「無理……体が熱い……!」
塚原「ワシを拒むな!」
春馬「入ってくるおっさんを、素直に受け入れられるか!」
塚原「言い方を考えろ!」
三冬「そこ、仲が悪いんですか?」
春馬・塚原「黙れ!」
春馬の髪が、根元から白く染まっていく。
右目が紫色に輝く。
右手に現れた刀へ、激しい紫炎がまとわりついた。
春馬が顔を上げる。
その表情には、十九歳の若者と、四百年前の剣鬼が同時に存在していた。
三冬の笑顔が、初めて消える。
三冬「その目……」
春馬・塚原「待たせたな」
三冬の口元が、再び持ち上がる。
先ほどまでの軽い笑顔ではない。
強敵を見つけた剣士の、獰猛な笑みだった。
三冬「そうでなくちゃ」
三冬は腰を落とし、刀を正眼に構える。
春馬も、紫色の刀を構えた。
三冬「三ノ火・沖田三冬」
春馬・塚原「一ノ火・塚原一」
夜明け前の県道。
二人の剣士が向かい合う。
三冬「一つ、聞いてもいいですか?」
春馬・塚原「何じゃ」
三冬「その古臭い話し方、春馬君にも移るんです?」
春馬・塚原「くだらぬことを聞くでない」
一瞬の沈黙。
春馬の目が大きく開いた。
春馬「今の『くだらぬ』って、俺が言ったの?」
塚原「知らぬ!」
三冬は腹を抱えて笑った。
三冬「あははは! 面白いなあ、あなたたち!」
次の瞬間。
三冬の姿が、三つに分かれた。
右。
左。
正面。
三方向から、同時に刀が迫る。
三冬「三ノ火――残影三段!」
春馬・塚原「一ノ火――紫電!」
紫色の一閃が、三つの残像を横断する。
刀と刀が激突した。
激しい衝撃が道路を走り、周囲の雪が一斉に舞い上がる。
その雪の中。
意識を失っていたりかの左手が、わずかに動いた。
「二」の印が紫色に光る。
りかの意識の奥で、紫乃の声が響いた。
紫乃「目を覚ませ、りか」
りか「紫乃……さん……?」
紫乃「春馬が死ぬぞ」
りかの瞼が、ゆっくりと開く。
その右目は、紫色に染まっていた。
――第六話・完――
三ノ火・沖田三冬の刃が、春馬たちへ襲いかかる。笑顔の奥に凶暴な剣士の顔を隠す三冬。その目的は、一ノ火の器である春馬を幻真層へ連れ去ることだった。りかを守るため、春馬は傷ついた体で塚原の完全憑依を受け入れる。




