表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憑依戦々  作者: N
3/20

背負いし罪

第四話をお読みいただきありがとうございます。今回は、紫乃が塚原を憎み続ける原因となった四百年前の惨劇が描かれます。千人を斬った剣鬼として歴史に名を残した塚原。しかし、その罪の裏には、最愛の弟子・宇加井睦との約束がありました。真実を隠し、憎しみさえ背負って紫乃と腹の子を守ろうとした塚原。その選択が正しかったのか、ぜひ見届けてください。

挿絵(By みてみん)

第四話「背負いし罪」


一月一日、午前二時四十二分。


山頂に建つ古びた社。


閉ざされていた扉が、ひとりでにゆっくりと開いた。


ギィィィ――。


暗闇の奥から、りかが姿を現す。


コートも着ず、薄いニット姿のまま裸足で立っていた。


白い足には泥と血が付着している。


春馬「りか……?」


呼びかけても返事はない。


長い髪が風に揺れ、その隙間から紫色に染まった右目がのぞく。


ひろし「おい……あれ、本当にりかちゃんか?」


春馬「見た目は、りかなんだけど……」


塚原「下がれ、春馬」


春馬の前に立った塚原が、腰の刀へ手を添えた。


先ほどまでとは明らかに様子が違う。


その手が、わずかに震えていた。


春馬「塚原……?」


りか「久しいな、塚原一」


声はりかのものだった。


だが、口調も表情も、春馬の知るりかではない。


塚原「……紫乃」


りか「その名を、お前の口から聞く日をどれほど待ったことか」


春馬「本当に知り合いなの?」


りかの右手に紫色の光が集まり、細身の刀へと形を変えていく。


塚原「二ノ火……」


春馬「ニノヒ?」


塚原「十一ある火の一つ。紫乃は二ノ火を宿す者じゃ」


塚原「二ノ火は、記憶と憎しみを糧に形を成す。特に新月の夜、その力は強くなる」


春馬「でも、今日は新月じゃないだろ?」


塚原「今宵は一月一日。そして時刻は、二時を越えた」


社の奥に置かれた古い灯籠に、紫色の火がともった。


塚原「日付と刻が二ノ火の数字に近づいたことで、紫乃が現世に召喚できる力が増しておる」


紫乃「相変わらず、よく口が回る男だ」


紫乃は光の刀を塚原へ向けた。


紫乃「だが、どれほど言葉を並べても、あの夜の罪は消えぬ」


春馬「罪って……」


紫乃「この男は千人を超える同門を殺し、私の夫を斬った」


春馬「……は?」


ひろし「千人……?」


紫乃「玄信流の指導者、塚原一。その名はかつて、剣を志す者なら誰もが知っていた」


塚原は否定しなかった。


ただ静かに、紫乃を見つめている。


紫乃「忘れたとは言わせぬ」


紫色の炎が、社を包む。


春馬の視界が大きく揺れた。



今から、およそ四百年前。


月のない夜だった。


二階堂紫乃は自室で書物を読んでいた。


行灯の淡い光が、紙面を静かに照らしている。


紫乃「睦様、遅いな……」


夫の宇加井睦は、玄信流一番弟子。


千人を超える門弟の中でも、塚原が最も信頼を寄せる剣士だった。


真面目で、不器用で、何事にも一生懸命な男。


その夜も稽古が長引いているのだと、紫乃は思っていた。


キィン――。


遠くから、刀同士がぶつかる音が聞こえた。


紫乃が顔を上げる。


少し間を置いて、再び金属音が鳴った。


キィン。


ガキィン――。


紫乃「こんな夜更けに稽古……?」


胸騒ぎがした。


普段の稽古で聞く、乾いた音とは違う。


一振りごとに、相手の命を奪おうとする重さがあった。


紫乃は書物を置き、廊下へ出た。


紫乃「睦様?」


返事はない。


道場へ続く廊下は暗く、いつも灯されているはずの明かりも消えている。


裸足のまま庭へ降りる。


冷たい土の感触が足裏に伝わった。


庭の中央に、二つの人影が向かい合っている。


一人は夫の宇加井。


もう一人は、師である塚原だった。


紫乃「先生……?」


二人とも刀を抜いている。


宇加井の着物は血に染まり、呼吸は荒い。


塚原も肩から血を流していた。


稽古ではない。


その場を満たす空気は、明らかな殺し合いのものだった。


紫乃「睦様!」


紫乃は夫のもとへ駆け出した。


その足に、何かが触れる。


紫乃「きゃっ……!」


地面へ倒れ、手をついた。


ぬるりとした生温かい感触。


暗くて、よく見えない。


それでも鼻を刺す鉄の臭いで、それが血だとわかった。


紫乃の指が、何かに触れる。


それは人の手だった。


紫乃「……え?」


雲がゆっくりと流れていく。


隠れていた細い月明かりが、庭を照らした。


紫乃の息が止まる。


庭一面に、玄信流の門弟たちが倒れていた。


数十人ではない。


廊下にも、道場にも、蔵の前にも。


どこまで続いているのかわからないほどの死体が、屋敷中を埋め尽くしていた。


紫乃「いや……」


見知った顔があった。


毎朝、誰よりも早く庭を掃いていた少年。


結婚を祝ってくれた老剣士。


宇加井を兄のように慕っていた若者。


誰も動かない。


紫乃「いやああああ!」


紫乃は絶叫の後気を失う


宇加井の目は血走り、額から黒い血管が浮かび上がっていた。


皮膚の内側を、赤黒い光が虫のように走っている。


宇加井が頭を抱える。


宇加井「熱い……血が……体の中で燃えている……!」


塚原「睦。まだワシの声が聞こえるか」


宇加井「先生……」


塚原「刀を捨てよ。今なら、まだ――」


宇加井「無理なんです!」


宇加井が絶叫した。


宇加井「止められない! 体が勝手に……人を斬るたびに、もっと斬れと言ってくる!」


塚原「何をした」


宇加井「蔵の中にあった秘伝書を……読みました」


塚原の表情が変わる。


塚原「まさか、火継ぎの禁書を……」


宇加井「強くなりたかった」


宇加井の目から涙がこぼれた。


宇加井「先生の一番弟子として、誰にも負けたくなかった。いつか先生を超えて、紫乃を守れる男になりたかった……」


宇加井が紫乃を見る。


一瞬、その顔がいつもの優しい夫へ戻った。


宇加井「……帰りたいな」


宇加井「お前が作った粥を、もう一度食べたい」


宇加井の足が、一歩だけ紫乃へ向かう。


しかし次の瞬間、全身の血管が赤黒く輝いた。


宇加井「来るな!」


宇加井の刀が紫乃へ振り下ろされる。


塚原が間へ入り、その刃を受け止めた。


激しい金属音が響く。


宇加井「禁書には、大切な者の血と自らの血を混ぜ、巻物へ染み込ませろと書かれていた」


塚原「誰の血を使った」


宇加井の唇が震える。


宇加井「宗吾です」


塚原「……何?」


宇加井「俺のたった一人の友を……この手で斬りました」


塚原は目を見開いた。


宇加井「巻物に血を染み込ませ、千年灯籠の火で焼いた。そうすれば、人の限界を超えられると……」


宇加井は自分の胸を押さえた。


宇加井「確かに力は手に入った。でも、俺はもう……俺ではありません」


宇加井「これ以上、お前を見ていたら……次はお前を斬ってしまう」


宇加井「先生」


宇加井は血に濡れた刀を構えた。


宇加井「最後に一つだけ、お願いがあります」


塚原「申してみよ」


宇加井「紫乃には、俺が何をしたか伝えないでください」


宇加井「そうだったな……昔から、間の悪い女だ」


宇加井「紫乃。すまない」


宇加井「お前を守るために強くなりたかったのに、一番お前を傷つけた」


宇加井「先生を恨むな」


宇加井「頼む」


宇加井が塚原を見る。


宇加井「俺は先生の一番弟子になれましたか」


塚原は刀を構えたまま、唇を強くかんだ。


塚原「……なれた」


宇加井「本当に?」


塚原「お主ほど筋のよい弟子はおらなんだ」


宇加井「よかった……」


宇加井は泣きながら笑った。


宇加井「その言葉を、ずっと聞きたかった」


塚原の目にも涙が浮かぶ。


塚原「かわいい弟子の最期を、ワシが斬ることになろうとはな」


宇加井「すみません、先生」


塚原「謝るな」


宇加井「俺は……もっと強くなりたかっただけなんです」


宇加井が地面を蹴った。


その顔から、正気が消える。


宇加井「アアアアアッ!」


塚原「睦――!」


二人の刀が交差する。


ジャキィィン――!


金属音が、夜空へ響き渡った。


生温かい血しぶきが、紫乃の顔を真っ赤に染める。


宇加井の刀が地面へ落ちた。


胸元から血を噴き出しながら、宇加井は塚原へ倒れ込む。


塚原は刀を捨て、その体を抱き止めた。


宇加井「せん……せい……」


塚原「ここにおる」


宇加井「紫乃を……」


塚原「必ず守る」


宇加井「ありがとう……ございます……」


宇加井は紫乃の方を見た。


もう声は出なかった。


それでも唇だけが、ゆっくりと動いた。


――愛している。


宇加井の腕が、力なく落ちる。



どれほど時間が過ぎたのか。


紫乃が目を覚ますと、屋敷から離れた林の中に寝かされていた。


体には、白い羽織がかけられている。


見覚えがあった。


塚原がいつも身につけていたものだった。


紫乃「睦様……」


起き上がろうとした紫乃を、負傷した門弟が止めた。


門弟「動いてはいけません」


周囲には、辛うじて息のあった者たちが横たわっている。


塚原が、全員をここまで運んだのだ。


紫乃「先生は……?」


門弟が震える指で、屋敷を指した。


紫乃が振り返る。


塚原は一人、千年灯籠の前に立っていた。


その腕には、宇加井の亡骸が抱かれている。


千年灯籠には紫色の火がともっていた。


宇加井の体から、赤黒い煙が立ち上る。


それは地面をはい、近くに倒れた門弟の傷口へ入ろうとしていた。


塚原は宇加井の亡骸を床へ寝かせ、目を閉じさせる。


塚原「……妖魔の血は、傷を介して人から人へ移る」


門弟「先生……」


塚原「広がり始めれば、この里だけでは済まぬ」


門弟「どうすれば……」


塚原「千年灯籠の火で、すべて焼き払う」


紫乃はふらつきながら立ち上がった。


塚原「睦の体には、すでに妖魔の血が回っておる。亡骸であろうと外へ出すことはできぬ」


紫乃「そんな……」


塚原は庭を見渡した。


千人を超える門弟。


自らの人生を懸けて育てた者たちが、血の海に倒れている。


かわいがっていた一番弟子も、もう二度と目を開けない。


塚原は拳を握りしめた。


塚原「今宵のことが外へ知れれば、玄信流の名は地へ落ちる」


門弟「ですが、事実を伝えなければ……」


塚原「禁書に手を出した睦は、死後も大罪人として晒される。妻である紫乃も、妖魔の一族として追われるであろう」


塚原「睦が嬉しそうに話しておったな…子ができたと」


塚原「その子まで、罪人の血として追われることになる」


塚原は長い沈黙のあと、宇加井の刀を拾った。


塚原「ワシが殺したことにする」


塚原「門弟を斬ったのも、睦を斬ったのも、道場を焼いたのも、すべてワシ一人の仕業とする」


門弟「そんなことをすれば、先生が……!」


塚原「今宵より、玄信流の塚原一は、力に溺れて千人を斬った鬼となる」


塚原「生き残った者は、ワシに襲われたと話せ」


門弟「できません!」


塚原「これは師命である!」


塚原の声が、炎の前で響いた。


誰も言葉を返せない。


塚原は紫乃へ歩み寄り、自らの羽織をかけ直す


紫乃はその手を払いのける。


紫乃「あなたが睦様を殺した!」


塚原「……そうじゃ」


紫乃「仲間たちも、あなたが?」


塚原「すべてワシが斬った」


紫乃「嘘です!」


塚原「ならば、その嘘を真にせよ」


紫乃「できるわけがない!」


塚原「できずとも、生きよ」


紫乃の目から、涙がこぼれ落ちる。


塚原は紫乃の腹部へ一度だけ視線を向けた。


塚原「睦が命を懸けて残したものを守れ」


紫乃「睦様は……最後に何と?」


塚原の脳裏に、宇加井の最期の言葉がよみがえる。


――先生を恨むな。


――紫乃を頼みます。


しかし塚原は、それを伝えなかった。


真実を知れば、紫乃は自分とともに罪を背負おうとする。


夫の名誉を守るためなら、腹の子の命さえ顧みないかもしれない。


だから塚原は、最も残酷な言葉を選んだ。


塚原「何も言わなんだ」


紫乃「……嘘」


塚原「お主の名すら呼ばず、化け物として死んだ」


紫乃は塚原の頬を叩いた。


乾いた音が響く。


紫乃「人殺し……!」


塚原は顔を背けなかった。


紫乃「あなたを許さない」


塚原「それでよい」


紫乃「必ず見つけ出す。何年かかっても、どこへ逃げても……必ず、この手で殺す」


塚原「……それで、お主が生きられるのならば」


塚原は紫乃に背を向け、屋敷へ戻っていく。


宇加井を含む門弟たちの亡骸が眠る屋敷。


師として築き上げたすべてが、そこにあった。


塚原は千年灯籠から紫色の火を取り、道場の床へ落とした。


火は生き物のように走り、瞬く間に屋敷を包み込む。


紫乃「睦様――!」


燃え上がる炎の中。


塚原はただ一人、宇加井の隣へ座った。


塚原「すまぬな、睦」


動かない弟子の頭を、優しくなでる。


塚原「お主の過ちも、罪も、すべてワシが持っていく」


炎が白い羽織の背中を照らす。


塚原「ゆえに、もう苦しまなくてよい」


屋根が崩れ落ちる。


轟音と炎が、塚原の姿を覆い隠した。


その夜。


玄信流の道場は、千人を超える門弟とともに消滅した。


そして塚原一は、弟子を皆殺しにした史上最悪の剣鬼として、その名を後世に残すこととなった。



現代。


燃え上がる幻が消え、春馬の意識が社へ戻る。


春馬は、その場に膝をついた。


春馬「今のは……」


塚原「紫乃が見た記憶じゃ」


春馬「違うだろ」


塚原「何がじゃ」


春馬「途中から、あんたの記憶だった」


塚原は答えない。


紫乃を宿したりかの頬には、涙が流れていた。


紫乃「お前は睦様を斬った」


塚原「そうじゃ」


紫乃「私から、すべてを奪った」


塚原「そうじゃ」


春馬「なんで否定しないんだよ!」


塚原「否定する必要がない」


春馬「あるだろ! 宇加井を止めなかったら、もっと大勢が死んでた!」


紫乃「黙れ!」


紫乃が刀を振るう。


紫色の斬撃が地面を走り、春馬の頬をかすめた。


塚原「紫乃! 狙うならばワシを狙え! 春馬には関わりのないことじゃ!」


紫乃「関わりならある」


紫乃が、りか自身の胸へ刀の切っ先を向ける。


春馬「おい……何してんだよ」


紫乃「二ノ火は、血に宿る。私がこの娘の体を捨てれば、二ノ火は次の血族へ移る」


春馬「やめろ」


紫乃「お前が塚原を差し出さぬなら、この娘を道連れにする」


春馬「やめろって!」


春馬の両目が紫色に光る。


右手に光が集まり、刀の形を作った。


塚原「春馬、よせ!」


春馬「りかの体から出ろ」


紫乃「できぬと言ったら?」


春馬は刀を構えながら、一歩ずつ近づく。


足は震えていた。


紫乃「私を斬れば、この娘も死ぬぞ」


春馬「だったら斬らない」


紫乃「では、何をしに来る」


春馬「りかを連れて帰る」


紫乃「近づくな!」


刀の先端が、りかの胸へ触れる。


春馬の足が止まった。


春馬「紫乃さん。あんた、ずっと勘違いしてる」


紫乃「何?」


春馬「あんたが苦しいのは、塚原を憎んでるからじゃない」


紫乃「黙れ」


春馬「本当は、旦那を助けられなかった自分を責めてるんだろ」


紫乃「黙れ!」


春馬「だから何百年も、塚原のせいにして生きてきた!」


紫乃「お前に何がわかる!」


春馬「わかんねーよ!」


春馬の声が社に響く。


春馬「四百年前に好きな人を亡くした気持ちなんて、俺にはわかんねー! でも、りかを巻き込んでいい理由にならないことくらいはわかる!」


右目から流れる紫乃の涙と、左目から流れるりかの涙。


一つの顔を、二人分の涙が伝っていく。


りか「……春馬」


かすかな声だった。


春馬「りか?」


りか「来ないでって……言ったのに……」


春馬「呼んだのお前じゃん」


りか「私じゃ……ない……」


春馬「知ってる」


りか「怖い……」


りか「助けて……」


春馬「そのために来た」


春馬は光の刀を手放した。


刀は紫色の粒子となって消える。


塚原「春馬!」


無防備のまま、りかへ歩いていく。


紫乃「止まれ。この娘を殺すぞ」


春馬「殺せないよ」


紫乃「なぜ、そう言い切れる」


春馬「りかは、あんたの子孫なんだろ」


紫乃の目が揺れる。


春馬「旦那さんが最後に守ろうとした命の、その先にいるのがりかなんだろ!」


紫乃「……」


春馬「だったら、あんたが殺せるわけない」


りかの胸に向けられていた刀が震える。


紫乃「私は……」


春馬「もういいだろ」


春馬「四百年も一人で憎み続けたんだ。もう十分だろ」


春馬が、りかの目の前までたどり着く。


紫乃「来るな……」


春馬「りかを返して」


紫乃「来るな!」


紫乃の刀が振り上げられた。


塚原「春馬――!」


春馬は逃げなかった。


紫色の刃が振り下ろされる。


その瞬間。


りかの左手が、刃を握り締めた。


りか「私の体で……勝手なことしないで」


掌から血が流れる。


紫乃「なぜ逆らえる……」


りか「知らない」


りかの左目にも紫色の光がともる。


りか「でも、春馬を傷つけるのだけは絶対に嫌」


春馬「りか……」


紫乃「この男は、いずれお前を不幸にするぞ」


りか「私が誰を好きになるかも、誰を嫌いになるかも、私が決める」


右目の紫色が揺らぐ。


りか「だから私の中では、私の言うことを聞いて!」


紫乃「……本当に、私によく似ている」


光の刀が砕け散る。


りかの体から力が抜け、春馬の胸へ倒れ込んだ。


春馬「りか!」


春馬はその体を抱き止める。


呼吸はある。


だが次の瞬間、その意識は再び遠のいた。


春馬「りか?」


りかの右目が開く。


再び紫乃の声が響いた。


紫乃「塚原」


塚原「なんじゃ」


紫乃「今宵は退く」


塚原「……そうか」


紫乃「だが、許したわけではない」


塚原「承知しておる」


紫乃「次に二ノ火が満ちる時、私は必ず真実を確かめる」


塚原「真実など、どこにもない」


紫乃「ならば、なぜ泣いている」


春馬が振り返る。


塚原の頬を、一筋の涙が流れていた。


塚原は乱暴に袖で拭う。


塚原「煙が目に染みただけじゃ」


紫乃「変わらぬな、お前は。嘘をつく時だけ、少し声が大きくなる」


塚原の目が見開かれる。


ほんの一瞬。


紫乃の表情から憎しみが消えた。


それはかつて、師を慕っていた頃の穏やかな顔だった。


紫乃「先生」


塚原「……紫乃」


紫乃「睦様は、本当に最期まで私の名を呼ばなかったのですか」


塚原は答えられなかった。


長い沈黙が流れる。


紫乃「次に会う時は、答えてください」


りかの右目から紫色の光が消える。


その場に残されたのは、気を失ったりかと、うつむく塚原だった。


春馬「塚原」


塚原「何も聞くな」


春馬「あの人、最後に紫乃さんを頼むって言ったんだろ」


塚原「……」


春馬「なんで伝えなかった」


塚原「憎しみでも、生きる支えになることがある」


春馬「だから自分を憎ませた?」


塚原「睦を愛したままでは、紫乃は後を追っていた」


塚原は燃えてなどいない社を見つめていた。


その目には、四百年前の炎が映っている。


塚原「ワシを殺すまでは死ねぬ。そう思わせる必要があった」


春馬「それで四百年も恨まれ続けたの?」


塚原「安いものであろう」


塚原は春馬に背を向けた。


塚原「弟子の命に比べれば、師の名など安い」


山の向こうから、夜明け前の薄い光が差し始める。


その時。


社の奥に置かれた千年灯籠の炎が、大きく揺れた。


二つだった紫色の火が、一瞬だけ九つに分かれる。


その中央に、白い装束をまとった謎の女が浮かび上がった。


女「二ノ火と一ノ火が接触した」


春馬「誰だ……?」


塚原「ワシにも見覚えがない」


女は春馬たちを見ていない。


その姿は、まるで遠く離れた場所から投影されているように揺らいでいた。


女「現世に残された時間は、あと十刻」


女の背後に、現実とは異なる世界が広がる。


上下の感覚すら存在しない暗闇。


無数の鳥居が宙に浮かび、その中心を九つの鎖に縛られた巨大な門が塞いでいる。


女「十一の火が目覚める前に、私を見つけて」


春馬「何の話だよ!」


女が初めて、春馬を見る。


その両目には、九つの紫色の輪が浮かんでいた。


女「私は九ノ火」


塚原「九ノ火……」


女「幻真層に囚われた、最後の神官」


その姿が薄れていく。


女「急いで。一月十一日、十一時十一分――」


千年灯籠に亀裂が走る。


女「十一ノ火が、世界を喰らう」


灯籠が砕け、紫色の火が消滅した。


静寂が戻る。


春馬「……今の人、重要そうなことだけ言って消えたんだけど」


ひろし「どうすんだよ」


春馬「どうするって言われても……」


春馬は腕の中で眠るりかを見る。


その左手の甲には、これまで存在しなかった印が浮かんでいた。


漢数字の「二」。


そして春馬の右手にも、紫色の光で描かれた「一」の印が現れる。


塚原「始まってしまったか……」


春馬「何が?」


塚原は夜明けの空を見上げた。


塚原「十一の火を巡る、憑依戦が」


遠く離れた街のどこかで。


三つ目の紫色の火が、静かにともった。


――第四話・完――

第四話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。塚原が四百年間背負い続けた罪と、紫乃が憎しみの中で守ってきた愛が、ようやく交わり始めました。しかし物語はここから本格的に動き出します。春馬に一ノ火、りかに二ノ火の印が現れ、謎の九ノ火から告げられた一月十一日の期限。残る火を宿す者たちは誰なのか。次回、十一の火を巡る「憑依戦」が始まります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ