第十八話 あなたは誰…
天元によって黒籠へ封じられたひろしは、現世から切り離された「極炎の淵」へと落とされていた。一方、ひろしの行方すら掴めない春馬たちは四宮の館へ戻り、残された記録から天元の正体を追い始める。しかし、手掛かりは意外なところから現れる。それは、りかにかかってきた一本の電話だった。
第十九話 あなたは誰…
一月一日、午前十時二十七分。
黒籠の底が消えた瞬間、ひろしの身体は赤黒い空間へ投げ出され、上下さえ分からない闇の中を落ち続けていた。六ノ火を取り込んだ肉体から紫色の妖気が噴き出し、落下を止めようとするように全身を包んでいるものの、この場所ではその力さえ炎に呑まれ、形を維持することができない。
やがて足の裏へ硬い感触が戻り、ひろしは片膝をついたまま顔を上げた。視界の先に広がっていたのは山でも街でもなく、地平線まで続く赤黒い大地と、空そのものを焼いているかのような炎だった。
「……どこだ、ここ」
自分の声が聞こえたことに、ひろし自身が僅かに反応した。
名前は分かる。森田ひろしという名前だけは、まだ自分の中に残っている。
しかし、その名前を誰から呼ばれていたのか、誰と一緒にいたのかを思い出そうとすると、頭の中へ黒い靄が広がって記憶を覆い隠してしまう。無理に探ろうとすればするほど、六ノ火によって喰われた空白だけが鮮明になっていった。
ひろしは立ち上がり、前方を見た。
遥か先に巨大な炎の壁がそびえている。
数十メートルなどという規模ではない。左右の果てが見えないほど巨大な炎が天まで立ち昇り、赤、黒、紫へと絶えず色を変えながら、まるで生き物のようにうねっていた。
ひろしは振り返ったが、そこには赤黒い荒野が続いているだけで、現世へ戻る道どころか黒籠すら消えている。
だったら前へ進むしかない。
そう考えて炎へ向き直った途端、壁の一部が大きく揺らぎ、その奥から何かがひろしを見たような感覚が走った。
「……なんだよ」
呼吸が勝手に浅くなる。
覚醒融合を果たし、天元の身体さえ一撃で引き裂いた力がある。それにもかかわらず、炎を前にした今のひろしには、そんな力が何の意味も持たないことだけが本能的に理解できた。
それでも一歩を踏み出した瞬間、炎の壁から細長い火柱が伸びてきた。
避ける暇はなかった。
「ぐっ……!」
火柱が胸へ触れた途端、皮膚ではなく身体の内側が焼けた。
ひろしは悲鳴を噛み殺しながら後ろへ飛ぼうとしたが、炎は右腕から肩、胸、背中へ一瞬で広がり、六ノ火の黒い筋さえ赤く焼き切っていく。
「ふざ……けんな……!」
膝が崩れた。
焼けた皮膚は六ノ火の力によって再生しようとするが、肉体が戻るより早く次の炎が襲いかかる。再生と焼失が何度も繰り返されるうちに、ひろしは自分が叫んでいるのかさえ分からなくなっていった。
最後に見えたのは、炎の壁だった。
余りの苦痛に抗う力も薄れひろしの意識は途切れた。
◇
同じ頃、四宮千景の洋館では、地下観測室に並ぶモニターが朝から一度も休むことなく稼働していた。
春馬はソファへ腰を下ろしていたものの、身体を休ませる気など最初からなく、正面の巨大な画面に映る大量の記録を睨み続けている。隣では塚原が腕を組み、四宮が天元の過去の行動記録を一つずつ洗い出す様子を見守っていた。
「何か出た?」
春馬が何度目か分からない質問をすると、四宮は手を止めることなく首を横へ振った。
「天元が意図的に残した情報ならいくつかあります。しかし、それを手掛かりと呼ぶべきかは疑問ですね。こちらが見つけることまで想定して残している可能性がありますから、素直に追えば彼の望んだ場所へ誘導されるだけかもしれません」
「面倒くせえ奴だな。住所くらい書いとけよ」
「書いてあったとして、あなたなら行くでしょう?」
「行くけど」
あまりにも即答だったため、四宮の指が一瞬止まり、塚原は呆れたように息を吐いた。
「じゃからお主は少し考えてから動けと、何度申せば分かるのじゃ」
「考えてるって。行ってからどうするかを」
「それを世間では考えておらぬと言う!」
二人のやり取りを少し離れた場所で聞いていたりかは、思わず口元を緩めた。
その瞬間、テーブルの上に置いていたスマートフォンが震えた。
画面には見慣れた名前が表示されている。
「叔母さんだ」
りかは周囲へ軽く目配せしてから電話に出た。
「もしもし?」
『あ、りか? やっと出た。お正月だから友達と遊んでるのかとは思ったんだけど連絡がなかったから心配になってね』
聞き慣れた声が耳へ入ってきたことで、りかの表情から少しだけ緊張が抜けた。
「ちょっと……友達のところにいる」
『そーなんだ。彼氏かな?』
「違うって!」
思わず声が大きくなり、春馬が反応して振り返った。
叔母の笑い声が電話越しに聞こえる。
『その反応、怪しいなぁ。そういう話なら聞くわよ?』
「だから違うってば。叔母さんこそ、何でこんな時間に電話してきたの?」
『何でって、新年の挨拶でしょう。昨日も連絡なかったし、ちゃんとご飯食べてるのかなと思って』
いつもの会話だった。
何かを探るような声音でもなく、特別な用事があるわけでもない。
りかも次第に肩の力が抜け、春馬たちから少し離れながら叔母との会話を続けた。
「食べてるよ。叔母さんは?」
『私はさっきお雑煮食べたところ。あなたのお母さんが好きだった味付けにしたんだけど、どうも同じにならないのよね』
りかの表情が少しだけ変わった。
母親の話を叔母から聞くことは珍しくない。それでも突然名前を出されると、事故で両親を失った日の記憶が胸の奥を掠める。
「今度、私も食べたい」
『もちろん。帰ってきたら作ってあげる』
「うん」
りかが静かに笑った、その時だった。
観測室の反対側で四宮が突然顔を上げた。
天元の記録を追っていたモニターの一つに、別のデータが割り込んできている。
「……これは」
四宮は表示された情報を拡大した。
九ノ火に関連する古い記録。人物照合、写真データ…
画面の中央へ、一人の女性の顔写真が現れた。
四宮はその写真を見たまま、電話中のりかへ視線を移した。そして、もう一度写真を見る。
似ているという程度ではない。何度照合しても同じ結果が返ってくる。
「りかさん」
呼ばれたりかが電話を耳へ当てたまま振り返った。
「何ですか?」
「確認したいことがあります。叔母さんのお名前を教えてもらえますか?」
りかは怪訝そうな顔をしたものの、叔母に聞こえないようスマートフォンを少し耳から離し、小声で名前を伝えた。
四宮はすぐに検索へ入力する。
画面上の複数のデータが一本へ繋がった。
その中に表示された写真を見た瞬間、りかの内側で紫乃の気配が大きく揺れた。
『待て』りかの表情が変わる。
「紫乃?その女の顔を、妾にも見せよ」
りかは電話を切らないままモニターへ近づいた。
そこに映っていたのは、間違いなく自分の叔母だった。
少し若い頃の写真なのだろう。髪型や服装は今とは違うものの、何度も会っているりかが見間違えるはずがない。
「これ……叔母さんです。何で四宮さんのデータに?」
「私のデータではありません」
四宮は画面を拡大しながら、写真に付随している記録を表示した。
「これは九ノ火・九条翡翠の意識領域から過去に取得された断片です。正確には画像そのものではなく、彼女が記憶として保持している人物情報を視覚化したものですが……どうして九条翡翠の記憶に、あなたの叔母さんがいるのでしょう」
りかは答えられなかった。
電話の向こうでは、叔母がまだ話している。
『りか? どうしたの?』
「……何でもない」
声を出した途端、自分でも分かるほど不自然になった。
『本当に? 何かあった?』
「大丈夫。ちょっと友達に呼ばれただけだから」
『そう。じゃあ、また夜にでも電話するから』
「うん。またね」通話が切れた。
スマートフォンを下ろしたりかは、すぐには画面から目を離せなかった。
そこには確かに叔母がいる。
しかし写真の背後には、りかが一度も見たことのないものが写っていた。
紫色の鳥居。
そのさらに奥に立つ、白い装束の女性。
九条翡翠だった。
「これ、いつの写真なんですか?」
「通常の写真ではありませんから、撮影日時というものは存在しません。ただ、記憶に付随する時間情報を解析できれば、いつの出来事なのかは絞れるかもしれません」
四宮はそこで操作を止め、りかを見た。
「問題は、そのためには九条翡翠の意識領域へもう一度接続する必要があることです」
春馬がソファから立ち上がった。
りかはモニターに映る叔母の顔を見つめた。
両親が亡くなったあとも、自分を気に掛けてくれていた人。正月だからと電話をかけてきて、食事の心配をしてくれる叔母。
その人が、なぜ九条翡翠の記憶の中にいる。
「やってください」四宮がりかを見る。
「危険性を理解していますか?」
「分かっています。でも、叔母さんが関係しているなら知らないままにはできません。それに……」
りかは写真の端を指さした。九条翡翠の手首から伸びる紫色の鎖。その一本が、叔母の影へ繋がっている。
「これ、偶然じゃないですよね」紫乃も今回は止めなかった。
『妾も確かめたい。九条翡翠が何を知り、何を隠されておるのか。それに、あの娘の記憶を縛っておるものが十一ノ火ならば、外から眺めておるだけでは何も分からぬ』
四宮はしばらく考えたあと、観測室中央にある装置を起動した。
円形に配置された機械が低く唸り始め、床へ紫色の光が走っていく。
「分かりました。ただし、今回は記録を見るだけではありません」
複数のモニターへ九条翡翠の脳波に似た波形が表示されると、そのほとんどが黒いノイズによって覆われていた。
「九条翡翠の意識そのものへ侵入します」
春馬が眉を寄せた。
「侵入って……本人の頭の中に入るってこと?」
「近いですが、正確には精神情報へこちらの意識を同期させます。成功すれば、彼女が見たものを直接確認できる。ただし、十一ノ火が彼女の意識を支配しているなら、こちらの存在に気づかれる可能性があります」
そんな二人を見ながら四宮が装置を調整し、最後に一枚の写真を中央モニターへ固定した。
「接続します」
紫色の光が部屋いっぱいに広がった。
りかは反射的に目を閉じたが、次に瞼を開いた時、足元に洋館の床はなかった。
雨が降っている。目の前には、事故で大破した一台の車があった。それを見たりかの呼吸が一瞬止まる。
忘れられるはずがない。
「……お父さん?」声が震えた。車のそばに、一人の女性が立っていた。
傘も差さず、雨に濡れながら事故車を見つめている。叔母だった。しかし、その背後にはもう一人
白装束ノ女性…黒く長い髪に顔の前に浮かぶ九つの紫色の紋。
九条翡翠。
そして翡翠の口が、ゆっくりと動いた。
「思い出してはいけません」りかは息を呑んだ。
その言葉が叔母へ向けられたものだと思った直後、九条翡翠の顔がこちらへ向いた。
視線が合う。
記憶の中にいるはずの翡翠が、明らかにりかを見ていた。
「二階堂紫乃…」紫乃の気配が一気に緊張した。
『……妾が見えておるのか』
九条翡翠の九つの紋が紫色に輝き、雨に濡れた景色へ無数の亀裂が走り始める。
「りか…その人達が友達なんだね…」りかの叔母が、ゆっくりと振り返った。
「叔母さん?…いや、あなた誰。」
――第十八話・完――
いつも読んで頂きありがとうございます。天元の力の前に抗う事ができず黒籠に閉じ込められてしまうひろし。
極炎の淵に立つひろしを炎が呑み込んで行く。
その頃春馬達は四宮の館で天元についての手がかりを調べていた。そんな時りかの叔母から着信があり何気ない会話の途中四宮が叔母の写真をみつけ更に追求する為
九ノ火の意識に入り込む。
そこに立っていたのはりかの知っている祖母ではない何か…
家族にまで手が及んでいた…この先どうなってしまうのか。




