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憑依戦々  作者: N
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第十五話 受け継がれる一ノ火

六ノ火に呑み込まれたひろしは人間の姿を失い、黒い巨狼となって山道へ逃れました。その前へ現れた「最初の一ノ火」は六ノ火を仕留めようとしますが、覚醒融合の完成を急ぐ六ノ火は戦いを打ち切り、深い山中へ姿を隠します。


第十五話「受け継がれる一ノ火」


一月一日、午後六時二十八分。


雪の降る山道で、白い刀を持つ銀髪の男と、黒紫色の炎をまとう巨狼が向かい合っていた。六ノ火の肩や胸には白い刃によって刻まれた傷が残り、毛並みの間から流れた黒い血が雪へ落ちるたび、周囲に漂う感情を吸い取るように煙を上げている。


「その器を残して消えろ。今ならば、魂まで焼かずに済ませてやる」


銀髪の男が静かに告げると、六ノ火は牙をむきながら身を低くした。ひろしの肉体を得たことで以前より強い力を扱えるはずだったが、内側から続く抵抗によって動きが乱れ、本来の力を十分に引き出せずにいる。


「この体は、すでに我のものじゃ。名も記憶も失った人間を器と呼び、今さら取り戻せると思うておるのか」


「完全に奪えたのならば、先ほど我の刀を避ける必要はなかったはずだ。その者は今もお主の内側で抗い、自らの体と命を守ろうとしておる」


男の指摘に六ノ火は答えず、黒紫色の炎を膨らませて襲いかかった。白い刀と巨大な爪が正面からぶつかると、衝撃によって山道の雪が大きく舞い上がり、二つの炎が互いを押し潰そうと激しく揺れる。


銀髪の男は六ノ火の爪を受け流し、その肩へ白い刀を振り下ろした。しかし刃が深く入る寸前、狼の右前脚が不自然に動いて体を横へ押し出したため、致命傷となるはずだった一撃は毛並みを浅く裂くだけに終わった。


「また器に救われたな。お主が支配したはずの体は、我よりもお主を敵と認めているらしい」


「黙れ。この者の抵抗など、覚醒融合が完成すれば跡形もなく消える」


六ノ火が怒りをあらわにすると、銀髪の男の表情が初めて変わった。単なる憑依や魂の同化ではなく、六ノ火がひろしとの覚醒融合を目指していると知り、白い刀を握る指へ力を込める。


「覚醒融合だと。その者の意思を奪ったまま、二つの魂を一つにするつもりか」


「奪うのではない。我とこの者は、互いの境界を失って新たな存在となるのじゃ。今はまだ器の心が抵抗しておるが、十分な感情を食らい、時間をかけて肉体を作り替えれば、どちらが六ノ火でどちらが人間であったかなど意味を失う」


六ノ火は自らの胸元へ爪を当て、そこに浮かびかけている新しい紋章を隠すように炎を集めた。額の「六」と、ひろしの魂から現れた円形の印はまだ別々に脈打っていたが、二つを囲むように黒い線が伸び始めている。


銀髪の男は覚醒融合を完成させる前に決着をつけようと踏み込み、白い刀を六ノ火の胸へ向けた。六ノ火も正面から爪を振るったものの、刃が胸元へ触れかけた瞬間、黒紫色の炎を周囲へ爆発させる。


「逃がすと思うか!」


男は炎を切り裂いて六ノ火へ迫ったが、黒煙の中には巨狼の姿が残っていなかった。雪の上へ落ちた黒い血も途中で途切れ、感情を追う気配さえ意図的に消されている。


――覚醒融合には時間が必要じゃ。それまで我を見つけられぬ場所で、この者の全てを我へ変えてやろう。


六ノ火の声だけが山中へ響き、やがて吹雪の音へ紛れて消えていった。銀髪の男は白い刀を振るって黒煙を払ったが、すでに六ノ火の行き先を捉えることはできず、仕留め切れなかった事実を受け入れるように刀を下ろす。



午後六時三十四分。


山道の下から車のエンジン音が近づき、四宮の運転する車が雪をかき分けながら停車した。助手席から三冬が降り、続いて車椅子へ移った春馬と、命環の反動が残るりかが姿を見せると、塚原は紫炎の刀を手にしながら銀髪の男を見据えた。


「六ノ火はどこへ行った。ひろしをどうした!」


春馬が問い詰めると、銀髪の男は黒い血の残る雪へ視線を落とした。仕留める直前まで追い詰めたものの、六ノ火が覚醒融合を完成させるために姿を消したことを伝える。


「六ノ火はあの青年との覚醒融合を始めておる。今はまだ二つの意思が争っているが、完成すれば森田ひろしという人間を六ノ火から分けることはできなくなる」


「だったら、完成する前に見つければいい。どこへ隠れたのかわからないなら、全員で探すだけだ」


春馬が迷わず答える一方、りかは左手の「二」へ意識を集中させた。紫乃を通してひろしの魂を探ろうとしたものの、六ノ火が周囲の感情と同化して気配を隠しているため、方角さえ判別できない。


「今は何も感じ取れないけど、ひろし君が消えたとは思わない。六ノ火がわざわざ隠れたのは、まだひろし君の抵抗を恐れているからだよね」


「その考えは間違っておらぬ。じゃが、覚醒融合が完成するまでに残された時間はわからぬ」


銀髪の男が厳しい現実を告げると、春馬は車椅子の肘掛けを強く握った。今すぐにでも山へ入りたかったが、手掛かりもなく動けば六ノ火の思うまま時間を失うことになる。


塚原は春馬たちの会話へ加わらず、銀髪の男だけを見つめ続けていた。透明な炎の気配へ触れるたび、失った記憶の奥から血に濡れた村と白い刀の断片が浮かび、理由のわからない怒りが胸を満たしていく。


「貴様とは、四百年前にも会っておるな。千人が死んだあの夜、ワシが最後に刀を向けた相手は貴様であろう」


塚原が刀を向けると、銀髪の男も静かに白い刀を構えた。春馬は二人の間へ割って入ろうとしたが、塚原は憑依を求めず、自分の体だけで決着をつけると告げて前へ出る。


「今ここで戦ってる場合かよ。先にひろしを捜さなきゃいけないだろ!」


「わかっておるからこそ、今終わらせるのじゃ。この男が敵か味方かもわからぬまま背中を預ければ、ひろしを救う前に同じ過ちを繰り返すことになる」


塚原の決意を聞いた春馬は、それ以上止められなかった。りかも不安そうに見守ったが、紫乃から伝わってくる感情には、戦いを避けるべきだという恐れと同時に、四百年前から残された因縁を解かなければ先へ進めないという覚悟が含まれている。


「貴様が千人を殺したのか。答えぬのであれば、刀で聞き出すまでじゃ」


「言葉だけで真実を受け入れられるお主ではないことは、昔から知っている。確かめたいのであれば、あの夜と同じように我を斬ってみせよ」


銀髪の男が応じると、塚原は紫炎をまとって踏み込んだ。二人の刀は雪の上で何度も交わったが、互いの技を確かめるような戦いであり、六ノ火との戦闘ほど激しい破壊を伴うものではなかった。


「貴様の剣には覚えがある。ワシへ刀を教えたのも、貴様だったのか」


「幼いお主を拾い、刀を持たせたのは我だ。守るものを失った子供が、同じ思いをする者を増やさぬよう強くなりたいと言ったため、我はその願いを受け入れた」


塚原は動揺しながらも刀を止めず、銀髪の男の肩へ紫炎の刃を走らせた。男は避け切れずに白い着物を裂かれたが、反撃の刀は塚原の急所を外れ、頬へ浅い傷を残すだけに終わる。


「ならば、なぜワシの村を襲った。あの夜、千人の死体の中に立っていた貴様を、ワシは確かに見たはずじゃ」


「我が村を襲ったのではない。千人を殺し始めたのは十一ノ火・霜月士郎であり、奴が操っていた九ノ火の幻惑によって、村人たちは家族や友を化け物だと思い込み、互いに刃を向けた」


男の言葉を聞いた三冬は、普段の笑みを消して顔を上げた。士郎から聞かされていた話では、最初の一ノ火が暴走して村を滅ぼし、塚原だけが生き残ったことになっていたため、自分が長く信じてきた過去と完全に食い違っている。


「士郎様が九ノ火を使い、村人同士を殺し合わせたというのですか。あなたの言葉を証明できる者は、もう残っていないはずですよ」


「証人を残さぬために千人が選ばれたのだ。あの村の地下には異界へ通じる裂け目があり、士郎は死者の魂を使って封印を奪い、奥にある力を自分のものにしようとしていた」


銀髪の男は三冬へ答えながら塚原の刀を受け止めた。刀身が触れた瞬間、塚原の脳裏へ燃える村と逃げ惑う人々の姿が戻り、自分も幻惑された仲間へ刀を向けかけていた記憶がよみがえる。


「では、最後に残った者たちはどうして死んだ。貴様が白い刀を振るった直後、生きていた者まで倒れたはずじゃ」


塚原が声を震わせると、男は否定せずに刃を押し返した。士郎によって封印へ組み込まれた魂を止めるため、裂け目の中心にある紫の石を斬った結果、すでに術式とつながっていた生存者の命まで逆流へ巻き込まれたと明かす。


「我が石を斬らなければ裂け目は開き、千人では済まぬ犠牲が出ていた。じゃが、我が選択によって最後まで生きていた者たちが死んだことも事実であり、その責から逃げるつもりはない」


「それを見たワシは、貴様が全員を殺したと思い込んだのか。話を聞くこともせず、血に濡れた貴様へ刀を向けたというのじゃな」


「我も真実を話そうとはしなかった。守れなかった者たちの死を背負うべきだと思い、お主から憎まれることで償おうとしたため、師として最後まで誤った選択をした」


塚原の刀がわずかに下がったものの、銀髪の男は戦いを終わらせなかった。白い刀を正面へ構え、四百年前に果たせなかった決着を今ここでつけろと促す。


「真実を知ったからといって、迷う必要はない。お主が我を越えられなければ、六ノ火の覚醒融合を止めることもできぬ」


「何を企んでおる。先ほどから貴様の刀には、ワシを殺す意思が感じられぬぞ」


「敵を前にして余計なことを考えるな。お主が守りたいものを思い、そのために我を倒せばよい」


銀髪の男は初めて強い一撃を放ち、塚原の紫炎を押し返した。塚原は雪の上を後退しながらも踏みとどまり、春馬やりか、そして六ノ火へ連れ去られたひろしの姿を思い浮かべる。


四百年前の自分は、守れなかった千人への後悔から怒りへ逃げ、目の前の男を敵と決めつけた。しかし今は、失敗を恐れて誰かを見捨てることこそ、同じ過ちを繰り返すことだと理解している。


「ワシはもう、憎しみだけで刀を振るわぬ。過去を背負ったまま、今度こそ目の前の命を守るために貴様を越える!」


塚原は白い刀を受け流すと、紫炎の刃を銀髪の男の胸元へ突きつけた。男の刀も塚原の首へ届く位置にあったが、刃先はわずかに遅れており、勝敗は誰の目にも明らかだった。


「ワシの勝ちじゃ。これ以上戦う理由がないのなら、刀を収めよ」


塚原が告げると、銀髪の男は白い刀を手放した。刀は雪へ落ちる前に透明な炎へ変わり、男の体を包んでいた力も少しずつ薄れていく。


「ようやく我を越えたか。これで、四百年待った意味もあった」


「待っていたとは、どういうことじゃ。まさか貴様は、最初から負けるつもりでワシと戦っておったのか」


塚原が問い詰めると、男は疲れたように微笑んだ。四百年前から自分の力を塚原へ託すつもりだったものの、怒りに囚われたままでは最初の一ノ火を受け継げないため、あえて真実を隠して敵を演じ続けていたと明かす。


「力を渡すだけなら、あの夜にもできた。じゃが、憎しみだけで振るわれる一ノ火は、士郎や六ノ火と変わらぬ災いを生むため、お主が自ら怒りを越え、我を倒す日まで待つ必要があった」


「そのために四百年間、ワシへ恨まれ続けたというのか。師であるなら、もっとましな方法を選べなかったのか」


「我は剣を教えることしか知らぬ不器用な男だ。最後まで敵として立つ以外に、お主の覚悟を確かめる方法を思いつけなかった」


男の返事へ塚原は怒鳴り返そうとしたが、その体に起きた異変を見て言葉を止めた。指先から紫色の光があふれ、皮膚や着物が無数の粒子へ変わり始めている。


「待て。力を渡せば、貴様はどうなる」


「我が保っていた最初の火は、お主へ移る。我はすでに四百年前の夜に死んだ存在であり、この姿も残された力によって形を保っていただけだ」


紫色の粒子は銀髪の男の腕から塚原の刀へ流れ込み、紫炎の中へ透明な輝きを加えていった。塚原の胸には失われていた記憶と剣技が戻り始めたが、男が消えていくことを止める方法はない。


春馬は車椅子から身を乗り出し、六ノ火を止める方法を尋ねた。男は消えかけた顔を春馬へ向け、覚醒融合だけは何があっても完成させてはならないと告げる。


「六ノ火と森田ひろしの覚醒融合が完成すれば奴を止めることはよういではない」


「だったら、どうやって融合を止めるんだ。居場所もわからないままじゃ、何もできないだろ」


「ひろしの意思を呼び続けよ。融合には二つの魂が互いを受け入れる必要があるため、あの者が六ノ火を拒み続ける限り完成は遅れる。その間に塚原の一ノ火で六ノ火を押さえ、二ノ火の力で魂を分けるのだ」


りかは左手を見つめながら、自分と紫乃の力ならひろしを救えるのかと尋ねた。男は成功を約束しなかったものの、一ノ火が六ノ火を弱らせ、ひろし自身が戻ることを選べば、二ノ火によって切り離せる可能性があると答える。


「ただし、融合が完成した後では遅い。どれほど犠牲を払うことになろうと、六ノ火の覚醒融合だけは必ず防げ」


男の声には、これまで見せなかった切実さがにじんでいた。塚原は紫色の粒子へ変わっていく師を見つめながら、その言葉を必ず守ると約束する。


「貴様の力も、守れなかった千人の思いも、ワシが受け継ぐ。今度こそ誰かを犠牲にして終わらせるのではなく、ひろしを連れて全員で戻ってみせる」


「それでよい。お主が選んだ一ノ火ならば、我が教えることはもう何もない」


男は満足したように目を閉じると、全身を紫色の粒子へ変えた。無数の光は雪の中から夜空へ舞い上がり、その一部が塚原の刀へ吸い込まれる一方、残りは星へ帰るように高く昇って消えていく。


塚原は刀を握ったまま空を見上げ、四百年間敵だと思い続けた師へ深く頭を下げた。謝罪も感謝も本人へ届かないかもしれなかったが、最後まで言葉を与えなければ、再び後悔だけを残すことになっただろう。


「長い間、貴様を憎み続けてすまなかった。師匠から受け継いだこの火で、必ず六ノ火を止めてみせる」


紫色の最後の粒子が消えると、山道へ静かな雪だけが残った。塚原の刀には透明な光を帯びた紫炎が宿り、春馬の右手にある「一」の印も呼応するように熱を持っている。


四宮は周囲へ紙を広げ、一ノ火から移された力と六ノ火の痕跡を測定した。先ほどまで消えていた黒い血の反応がわずかに戻り、北西の山中へ細い線となって続いている。


「最初の一ノ火が残した力によって、六ノ火の隠蔽を一部解除できました。距離と正確な場所は確認できませんが、進行方向は追跡できます」


「それだけわかれば十分だ。ひろしが中で抵抗してる間に見つけて、絶対に連れ戻す」


春馬が答えると、りかも強くうなずいた。三冬は士郎に教えられてきた歴史が偽りだったことへ戸惑いを残していたが、今は真実を確かめるためにも六ノ火を止めると決め、傷ついた右腕を押さえながら車へ戻る。


塚原は紫炎の刀を収め、消えた師の代わりに先頭へ立った。四百年前の因縁は終わったものの、千人を利用した霜月士郎との戦いも、六ノ火に奪われたひろしを救う戦いも、これから始まるのだと理解している。



午後七時二分。


人里から離れた洞窟の奥で、黒い巨狼が透明な膜に包まれていた。六ノ火の傷は黒紫色の炎によって塞がりつつあり、胸元では額の「六」と円形の紋章をつなぐ新たな印が、ゆっくり形を整えている。


膜の内側には、狼の姿と人間の姿が交互に浮かんでいた。ひろしは自分の名前も春馬たちの顔も思い出せなかったが、誰かが必死に呼んでいる感覚だけは胸の奥へ残り、六ノ火へ身を委ねることを拒み続けている。


――抗うな。融合が完成すれば、お主の苦しみも我の飢えも消え、二度と誰かに劣ることはなくなる。


六ノ火が甘く囁いても、ひろしの唇は受け入れる言葉を作らなかった。理由を失っても誰かを傷つけたくないという思いだけが残り、新しい印の完成をわずかに遅らせている。


「俺は……お前には、ならない」


ひろしの声が膜の中へ響くと、六ノ火は苛立ちをあらわにして炎を強めた。二つの姿は再び一つへ重なり始めたものの、洞窟の入口から届いた透明な紫炎の気配に反応し、狼の右目だけが人間の茶色へ戻る。


遠く離れた山道から、春馬が自分の名前を呼んでいる。言葉として聞き取ることはできなくても、その声を失いたくないという感情が、六ノ火にも食らえない最後の境界となって残っていた。


――第十五話・完――


第十五話をお読みいただきありがとうございます。六ノ火は覚醒融合を完成させる時間を得るために姿を消し、最初の一ノ火は仕留め切ることができませんでした。塚原との決着では、一ノ火が自らの力を授けるために敵を演じていたことが明らかとなり、敗北した彼は六ノ火の覚醒融合を必ず防ぐよう告げたあと、紫色の粒子となって夜空へ消えました。

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