第62話 フィーネへの依頼
店の玄関に設置してあるベルが鳴ったのは、時計がちょうど正午を指した時だった。
入ってきた人物の顔を確認するよりも先に身体が固まる。
逃げることも、目を逸らすこともできなかった。
「……ブルクハルトさん」
手紙が届くのだから、彼がフィーネの住所を知っているのは分かっていた。
それでも、今まで彼がフィーネの元を訪ねることはなかった。
だから、彼がここへくるのは予想外で、フィーネは身動きがとれなくなってしまう。
「フィーネ」
ユーリアがさっと動いて店を閉める。
フィーネはゆっくりと息を吸ってから、ブルクハルトに頭を下げた。
「……おっ、お久しぶり、です」
「ああ」
とりあえず、ブルクハルトをソファーへ案内する。
来客用の紅茶を運んできたユーリアを見て、ブルクハルトはなんとも言えない表情を浮かべた。
気まずい沈黙が部屋を満たす。沈黙を破ったのはブルクハルトだった。
「……今日は、フィーネに頼みたいことがあってきたんだ」
「わ、私に……ですか?」
「ああ。魔法人形屋にではなく、フィーネ・フェルナー個人への依頼だ」
ブルクハルトは懐から革袋を取り出し、テーブルの上に置いた。中には金貨がびっしりと詰まっている。
もし彼以外の人物なら、フィーネはすぐに断っただろう。
(でも……)
本当は分かっている。
いつまでも、彼から逃げ続けるべきではないことも、自分自身がそれを望んでいないことも。
読めていない手紙だって、本当はもらうたびに嬉しいのだ。
「……どっ、どんな、ことを……?」
彼の前からも姿を消したのは、情けない姿を見せられないと思ったから。
でも、恩返しがしたい気持ちがなくなったわけじゃない。
「最近、モンドで魔物の目撃情報が増えているんだ。だが、モンドの調査を我が国が大々的に行うことは難しい。理由は分かるな?」
「……リヨン王国との間にある場所だから、ですよね?」
「ああ、その通りだ」
我が国・ローゼリア王国の北西部にリヨン王国がある。
二つの国を区切る大きな山や川はない。
代わりに、二国の境目にある独立都市モンドが武力を持たぬ中立の立場をとることで、両国の平和が保たれている。
魔物の調査の為とはいえ、ローゼリア王国の魔法軍を大量に派遣すればリヨン王国との争いに発展しかねない。
「そこで、リヨン王国と協力して調査団を結成し、モンドの調査を行うことになった」
「調査団、ですか」
「ああ。と言っても、大規模なものじゃない。うちから二名、向こうから二名。合計四名の調査団だ」
「……代わりに精鋭を派遣する、って感じですよね……?」
要するに、大事にせず、リヨン王国と協力してモンドの魔物を討伐したい、ということだろう。
大規模な軍を派遣するには政治的な意義を持ち過ぎる場所である。
「そうだ。今回の件に関しては俺に全権がある。使者としてリヨン王国へ行ったことがあるから、その縁で任された任務だ」
ブルクハルトは魔法の実力があるだけでなく、貴族としての礼儀やマナーもしっかりと身につけている。
その為、魔法軍において他国と関わるような仕事を任せられることも多いのだ。
「我が国の代表としての仕事だ。信頼できる仲間を連れていく必要がある」
「……はい」
「だからお前にきてほしいんだ、フィーネ」
「わ、私なんか……戦場から離れて久しいですし、その、上手く隣国の人とコミュニケーションだってとれないと思いますけど……」
「それでも、俺はお前に任せたいと思っている」
力強く断言されると、これ以上逃げる為の言葉を重ねることはできなかった。
(ブルクハルトさんなら、色んな人に声をかけることもできたはず。それでもブルクハルトさんは私を選んでくれたんだよね……)
もう二度と、魔法軍と関わることはないだろうと思っていた。
けれど、ブルクハルトの信頼には応えたい。
「頼む」
ブルクハルトが右手を差し出す。
もしこの手を掴まなければ、こんな機会はもう二度と訪れないかもしれない。
「……分かりました」
勇気を出して彼の右手を掴む。フィーネの手は微かに震えていた。
(国の為とか、世の中の為とか、そういう大それた話じゃない。私はただ、ブルクハルトさんの信頼に応えたいだけ)
ありがとう、とブルクハルトが微笑む。
柔らかい彼の笑顔に、なんだか少しだけ泣きたくなってしまった。
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