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第32話 血の記憶

 初めて見た血の記憶は、両親のものだった。


 大きな腕で頭を飛ばされ、首の断面から赤黒い血が噴出し、フィーネの顔を濡らした。

 突然村を襲ってきたのは、ブラックトロルという巨大な魔物の群れだった。

 見上げてもなお顔が見えぬほどの巨体は黒々としており、一歩進むたびに地面が大きく揺れる。


 ブラックトロルが群れで行進すると、地震が発生したようだった。

 屋根が吹き飛ばされ、一瞬で両親の頭が吹き飛ばされ。


(……なに、これ……?)


 声も出なかった。あまりにも現実味のない光景に、悪い夢でも見ているのかと思ってしまったから。


「……おかあ、さん?」


 もちろん返事はない。

 立ち上がろうとしても身体が震えて動かない。外からは村人達の悲鳴が聞こえてくる。


 ついさっきまで、家族で笑いながら昼食を食べていた。

 今日は奮発してシチューに牛肉を入れたの、とお母さんが言っていた。

 だけど、両親の皿には牛肉なんて一つも入っていなくて、フィーネの皿にだけ、たっぷりと肉が入っていた。


 裕福ではないけれど、穏やかで幸せな暮らし。

 物心ついた時から、家族に不満を持ったことなんて一度もない。

 ずっとこの暮らしが続くのだと無条件に信じていた。


 なのに、突然、呆気なく壊れた。

 再び地面が揺れる。眼前に迫るのはブラックトロルの巨大な足。


(あ、私、踏まれて死ぬんだ)


 不思議と恐怖はなかった。

 夢の中にいるようで、なにが起こるかもよく分からなくて。


 目を閉じる。

 母も父も殺されてしまった。だとすれば、自分も潰されるのが当たり前のように思えた。


 ――なのに、次の瞬間、フィーネは強く突き飛ばされた。


「ぼーっとするな‼ 怪我もしてないだろうがっ!」


 ガンッ、と強く地面に背中をぶつける。

 聞き覚えのない男の声に顔を上げると、鎧を着た男が魔法陣を空中に描いていた。


「死ね‼」


 物騒な言葉を彼が口にした瞬間、炎がブラックトロルを包む。

 鼓膜が破れそうなほど大きい悲鳴を上げながら、ブラックトロルは消し炭になった。


「おい」


 近寄ってきた男は、フィーネを荷物のように小脇に抱えた。


「魔法軍が到着した。心配するな。こいつらは図体はでかいが、知能は低い。すぐに殲滅する」


 心配するな、なんて言われても、はい、と頷けるような状況ではない。


「……今さら、何の心配をするの?」


 これが悪い夢じゃなくて、現実だと言うのなら。

 目の前で両親が殺されて、家が壊されて、これ以上何を心配するのだろう。


「お前……」


 男は透き通った翡翠色の瞳をしていた。

 その目に映るフィーネの顔からは感情が抜け落ちてしまっている。


「邪魔でしょ。置いていっていいよ」


 ――これが、フィーネ・フェルナーとその養父であるブルクハルト・フォン・アッヘンバッハとの出会いだった。


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