終わらせたはずの恋
「半年契約、終わりにしよう」
そう言った瞬間、悠真の顔から表情が消えた。
教室中が静かになった気がした。
でも本当は、誰かが笑っていて、誰かが小声で何かを言っていて、スマホの通知音も鳴っていた。
それなのに、私には悠真の息をのむ音だけが聞こえた。
「待って、紗良」
「待たない」
「写真は違う」
「何が違うの?」
私は笑った。
きっとひどい顔だったと思う。
「抱き合ってたのは本当でしょ」
悠真は言葉に詰まった。
その反応を見て、私はもう十分だと思った。
私は荷物を持って教室を出た。
廊下を歩く足が震えていた。
背中で悠真が私を呼ぶ声がしたけれど、振り返らなかった。
それから、私たちは話さなくなった。
毎朝一緒に行っていた駅。
隣に座っていたゼミの席。
帰り道に寄っていたコンビニ。
全部が、前より少し広くて、前よりずっと寒かった。
友達には「大丈夫?」と聞かれた。
私は「元々ふりだったし」と笑った。
でも、その言葉を口にするたび、自分で自分を傷つけていた。
ふりだった。
本物じゃなかった。
だから悲しくないはず。
なのに、悠真のいない毎日は、思っていたより苦しかった。
十月の終わり、ゼミの発表準備でどうしても悠真と二人になる時間ができた。
空き教室。
夕方の光。
机に並んだ資料。
気まずい沈黙の中、悠真が先に口を開いた。
「写真のこと、説明させて」
「もういい」
「よくない」
珍しく、強い声だった。
私は顔を上げた。
「美月が泣いてた。家のことで色々あって、俺に連絡してきた。抱きつかれたけど、俺から抱きしめたわけじゃない」
「でも拒まなかった」
「……うん」
正直すぎる答えが痛かった。
「そういうところだよ」
私は小さく言った。
「悠真は優しいから、誰かを突き放せない。だから私も勘違いした」
「勘違いじゃない」
「じゃあ何?」
悠真は私を見た。
逃げない目だった。
「紗良が好きだ」
一瞬、意味が分からなかった。
「……やめて」
「やめない」
「そういうこと言えば、私が戻ると思ってる?」
「思ってない。でも言わないと、また逃げるから」
私の胸が苦しくなった。
「いつから?」
「分からない。気づいたら、紗良に会うために朝早く起きてた。紗良が笑うと安心して、紗良が泣きそうだと怖くなった。美月のことを忘れたいんじゃなくて、紗良のことを考えてる時間が増えてた」
聞きたかった言葉だった。
でも、今さら聞くには遅すぎた。
「だったら、なんでちゃんと言ってくれなかったの?」
悠真は苦しそうに笑った。
「最初に半年だけって言ったの、俺だから」
その瞬間、私たちは同じものに縛られていたのだと気づいた。
半年だけ。
恋人のふり。
年が変わったら終わり。
その約束が、いつの間にか本当の気持ちを邪魔していた。
「紗良は?」
悠真が静かに聞いた。
「俺のこと、少しでも好きだった?」
答えたら、全部崩れてしまう。
そう思った。
でも、嘘はもうつきたくなかった。
「好きだったよ」
悠真の目が揺れた。
「だった、なの?」
私は答えられなかった。
その日から、悠真は私を無理に追いかけなくなった。
でも、前みたいに距離を詰めてくることもなかった。
ただ、私の好きなカフェラテを差し入れてくれたり、重い資料を黙って持ってくれたり、雨の日に傘を差し出してくれたりした。
優しさは相変わらずだった。
でも前と違って、その優しさには言葉がついてこなかった。
十二月が近づく頃、私は少しずつ気づき始めていた。
終わらせたはずなのに、まだ終われていない。
そして12月24日。
大学の帰り道、悠真からメッセージが来た。
> 12月31日、少しだけ会えない?
> 最後に渡したいものがある。
最後。
その言葉を見た瞬間、胸が痛んだ。
私は迷った末に、短く返信した。
> 分かった。
12月31日。
半年契約が本当に終わる日。
駅前のイルミネーションの下で、悠真は私を待っていた。
「来てくれてありがとう」
そう言って、悠真は小さな箱を差し出した。
「これ、半年分の報酬」
冗談みたいな言い方だった。
でも、彼の手は少し震えていた。
私は箱を受け取った。
開けると、中には指輪が入っていた。
息が止まった。
「……どういう意味?」
聞き返した瞬間、悠真の背後から声がした。
「それ、私が選んだ指輪だよ」
振り返ると、美月が立っていた。
そして彼女は、私を見て静かに笑った。
「ねえ。あなた、本当に彼女のつもりだったの?」




