嘘の彼氏が、優しすぎる
嘘の恋人なのに、悠真は本物より優しかった。
それが一番、ずるかった。
翌朝、駅前に行くと、悠真は改札の近くに立っていた。
白いTシャツに、少し眠そうな顔。
私に気づくと、片手を上げて笑った。
「おはよ、彼女」
「その呼び方やめて」
「じゃあ、紗良」
名前で呼ばれる方が、もっと困る。
電車に乗ると、悠真はさりげなく私を人混みから守るように立った。
揺れた拍子に肩が触れる。
近い。近すぎる。
「大丈夫?」
「うん」
本当は全然大丈夫じゃなかった。
大学に着くと、悠真は当たり前みたいに私の隣を歩いた。
友達に冷やかされても、少しも動揺しない。
「いつから好きだったの?」
誰かに聞かれて、私は固まった。
すると悠真が先に答えた。
「俺の方が先」
その場が一気に盛り上がる。
「え、そうなの?」
「紗良が気づいてなかっただけ」
嘘なのに。
全部、嘘なのに。
そんなふうに言われたら、本当だったらいいのにと思ってしまう。
私はその日から、少しずつ悠真のことを知っていった。
コーヒーは飲めるけど、実は甘いカフェラテの方が好きなこと。
寝不足の日は、いつも左目をこすること。
人前では明るいのに、二人になると急に静かになること。
そして、元カノの話になると、笑顔がほんの少しだけ硬くなること。
ある日、ゼミの飲み会の帰り道。
みんなと別れて二人きりになると、悠真はぽつりと言った。
「俺、けっこう情けないよな」
「何が?」
「忘れたいからって、紗良を巻き込んでる」
私はすぐには答えられなかった。
「別に、嫌なら断ってる」
「紗良って優しいよな」
「違うよ。流されやすいだけ」
そう言うと、悠真は小さく笑った。
「でも俺、その流されやすさに救われてる」
まただ。
この人は、平気で心に入ってくる。
夏が近づく頃、私たちは周りから完全にカップルとして扱われるようになっていた。
学食では隣に座る。
課題は一緒にやる。
帰り道は同じ電車に乗る。
嘘は、毎日繰り返すほど本物みたいな顔をする。
そして、夏祭りの日。
ゼミのみんなで行くはずだったのに、急な雨で来られない人が増え、結局私と悠真だけになった。
「二人だけだけど、行く?」
「今さら帰る方が変じゃない?」
「じゃあ、デートってことで」
軽く言われただけなのに、私は浴衣の袖をぎゅっと握った。
屋台の明かり。
金魚すくい。
焼きそばの匂い。
人混みの中で、悠真は私の歩幅に合わせてくれた。
「浴衣、似合ってる」
「そういうの、演技で言わなくていい」
「今のは本音」
私は何も返せなかった。
花火が始まる直前、人波が一気に動いた。
押されてバランスを崩した私の手を、悠真が強く握った。
「離れんなよ」
低い声だった。
冗談じゃなかった。
その瞬間、私の中で何かが崩れた。
恋人のふり。
元カノを忘れるため。
半年だけ。
何度も自分に言い聞かせていた言葉が、花火の音にかき消されていく。
帰り道、悠真はずっと手を離さなかった。
「もう駅着くよ」
「うん」
「手」
「あ、ごめん」
そう言って悠真が手を離した瞬間、少しだけ寂しいと思ってしまった。
家に帰ってからも、手の温度が残っていた。
その夜、悠真から写真が送られてきた。
花火を見上げる私の横顔だった。
> 今日、来てよかった。
私は返信に迷った。
「私も」と打って、消した。
「楽しかった」と打って、また消した。
その時、悠真から続けてメッセージが来た。
> 紗良といると、忘れられる。
画面を見た瞬間、胸が静かに沈んだ。
忘れられる。
つまり私は、誰かを忘れるための存在。
分かっていたはずなのに、どうしてこんなに痛いんだろう。
その夜、私は初めて泣いた。
悠真のことを好きになり始めている自分が、怖かった。
そして翌朝、大学で悠真を見つけた私は、さらに見てしまう。
悠真の隣に、元カノが立っていた。
彼女は悠真に向かって、泣きそうな顔で言った。
「ねえ、まだ私のこと好きでしょ?」




