半年だけ、彼女になった日
「半年だけでいいから、俺の彼女になってくれない?」
そう言われたのは、6月30日。
一年のちょうど半分が終わる、ハーフタイム・デーだった。
大学のカフェテリアは、昼休みのざわめきでいっぱいだった。
笑い声、食器の音、スマホで動画を見ている誰かの声。
その中で、私だけが時間を止められたみたいに、目の前の男の子を見つめていた。
「……え、何?」
聞き返すと、悠真は少し困ったように笑った。
「だから、半年だけ。恋人のふり」
悠真は同じゼミの人気者だった。
顔がいい。人当たりがいい。誰とでもすぐ仲良くなる。
私みたいに、教室の端でひっそり過ごすタイプとは、そもそもいる世界が違う人。
そんな悠真が、どうして私に。
「理由、聞いていい?」
「元カノを忘れたい」
その言葉に、胸の奥が少しだけ冷えた。
悠真には、長く付き合っていた彼女がいた。
学内でも有名な美人で、二人は誰が見てもお似合いだった。
でも数週間前に別れたらしい、という噂だけは聞いていた。
「私じゃなくてもいいじゃん」
「紗良がいい」
名前を呼ばれただけなのに、心臓が跳ねた。
「なんで?」
「変に期待しなさそうだから」
その一言は、少し失礼だった。
でも、妙に納得してしまった。
私は恋愛の中心に立つような人間じゃない。
誰かの本命になるより、友達の相談を聞いている方が似合っている。
そう思って生きてきた。
「期間は?」
「今日から12月31日まで。半年。年が変わったら終わり」
「終わったら?」
「普通のゼミ仲間に戻る」
簡単に言うな、と思った。
でもその時の私は、なぜか断れなかった。
たぶん、悠真の目が少しだけ寂しそうだったから。
たぶん、私の中にも、誰かの特別になってみたい気持ちがあったから。
「条件がある」
「何?」
「本気にさせるようなことはしないで」
悠真は一瞬だけ黙ったあと、笑った。
「分かった」
その笑顔が、今思えば一番危なかった。
その日の夕方、悠真は私の隣を歩きながら、自然に手を差し出した。
「練習」
「何の?」
「恋人の」
冗談みたいに言われて、私は笑うしかなかった。
でも、差し出された手を見つめるだけで、指先が熱くなる。
「無理ならいいけど」
そう言われた瞬間、私は反射的にその手を握っていた。
悠真の手は、思っていたより温かかった。
人混みの中で、私たちは初めて恋人みたいに歩いた。
翌日には、噂はもう広まっていた。
「え、紗良と悠真って付き合ってるの?」
友達に聞かれ、私は曖昧に笑った。
何も言えずにいると、後ろから悠真が来て、私の肩に軽く腕を回した。
「そう。俺の彼女」
その瞬間、周りが小さく騒いだ。
嘘なのに。
演技なのに。
胸の奥が、どうしようもなく甘く痛んだ。
放課後、悠真は私に言った。
「意外と似合うな、彼女役」
「褒めてる?」
「かなり」
私は顔が熱くなるのをごまかすように、視線をそらした。
始まったばかりの半年。
これはただの契約。
私は彼の本命じゃない。
そう何度も自分に言い聞かせた。
けれど夜、スマホに悠真からメッセージが届いた。
> 今日ありがと。
> 紗良がいてくれて助かった。
たったそれだけの文字を、私は何度も読み返してしまった。
そして気づいた。
この半年は、思っていたよりずっと危険かもしれない。
その直後、もう一通メッセージが届いた。
> 明日から、毎朝一緒に行かない?
> 彼女っぽく。
私は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
半年だけ。
そう分かっているのに。
私はもう、次の朝を少し楽しみにしていた。




