第5話 黒いうねうねに捕まりました
瘴気の壁を前にして、わたしはその威圧感に身を縮めていた。
「ヨルカ様、本日はあくまで見学でございます。どうかご安心くださいませ」
わたしがよほど困った顔をしていたのか、エリナが気遣うように声をかけてくれた。
こういうときこそ頑張らなきゃいけないのに、いまさら怖気づいて、ふたりに心配をかけちゃだめだよね。
うん、気合を入れ直さなきゃ。
「でも、こんな瘴気、一体どうすればいいのか見当もつかないよ」
「瘴気は神聖力で浄化できますが、浄化する量に応じてこちらの神聖力も消耗しますので、結局のところは物量勝負となりますな」
つまり、これほどの瘴気を浄化するには膨大な神聖力が必要で、昔のわたしにはそれだけの力があったらしい。
……昔のわたし、いくらなんでも規格外すぎでは?
「神聖力って、エリナも使えるの?」
「ヨルカ様には遠く及びませんが、六合星教会の者、とくに騎士様方は、みな神聖力を持っております」
「それじゃあ、ガルドルフも使えるの!?」
「無論ですぞ! 吾輩とエリナ殿は、神聖力にかけては六合星教会の歴代でも指折りの使い手でありましたからな!」
生前のガルドルフは、剣より畑を優先して、何でも筋肉で解決するような騎士様だと思っていました。ごめんなさい。
「ヨルカ様、わたくしが瘴気を浄化するところをご覧になりますか? 何かを思い出すきっかけになるかもしれません」
「神聖力! 見たい! 絶対に見たい!」
記憶を取り戻せるなら、何でも試してみたい。それに、神聖力って、とってもかっこよさそう!
「それでは、瘴気に神聖力を流してみますね」
エリナはゆっくりと手を伸ばした。その指先からあふれた淡い光は結界を越え、黒い瘴気に触れた。
光を浴びた瘴気はみるみる薄れ、黒い壁の中央に細い道が開いていった。
「すごい。エリナ、すごいよ!」
あれほど恐ろしく見えた瘴気が、エリナの光には逆らえず、押されるまま浄化されていく。
その光を操るエリナの姿は、まるで聖女様のようだった。
頑張って、あと少し!
いつの間にかわたしは夢中になって、心の中で何度も声援を送っていた。
けれど、光が瘴気の奥へ進むにつれ、その輝きが大きく揺らいだ。
すると、両側へ押し退けられていた瘴気が一斉に流れ込み、開いた道を黒く塗り潰していった。
「ああっ、せっかくここまで開いたのに……!」
エリナは懸命に光を保とうとしたけれど、流れ込んでくる瘴気を押し返せず、指先に残っていた淡い光も消えていった。
「ふぅ……申し訳ございません、ヨルカ様。わたくしの力では、ここまででございます」
エリナは息を整えながら、ガルドルフの肩の上にいるわたしを見上げた。
「すごかった! 光がきらきらして、エリナ、本当に物語の聖女様みたいだった!」
エリナは少しだけ頬を赤くして、照れくさそうに微笑んだ。
「聖女様とお呼びすべきなのは、ヨルカ様のほうでございますよ。ところで、神聖力の流れをご覧になって、何か思い出されましたか?」
「ううん……なんにも思い出せない」
せっかくエリナが見せてくれたのに、何ひとつ思い出せない自分が悔しかった。
「ヨルカ様、どうかお気になさらないでくださいませ」
瘴気はまだ怖いけれど、エリナが実際に浄化する姿を見たおかげで、さっきよりは怖さが薄れた気がする。
よし、もう少しだけ頑張ろう。ふたりをがっかりさせたくないもんね!
「ガルドルフ、もう少しだけ近くで見てもいい? よく見てみたいの」
「うむ、任されよ!」
ガルドルフが慎重に結界へ歩み寄った。
わたしが目を凝らすと、さっきエリナの光が通ったあたりの瘴気が、不自然に盛り上がった。
「ヨルカ様、いけません! 結界から離れてください!」
エリナの鋭い声に、わたしはびくっと肩を震わせた。
えっ、何? わたし、何かやらかしちゃった?
あわてて辺りを見回すと、結界の向こうから伸びた瘴気が何本もの黒い触手となり、こちら側へ這い出していた。
すごくうねってる! 瘴気って、こんなにうねうねなの!?
「むっ、結界を食い破りおったか!」
ガルドルフはわたしを肩に乗せたまま素早く後ろへ跳ぶと、剣に淡い光をまとわせ、襲いかかってくる瘴気を次々とかき消していった。
ガルドルフ、本当に神聖力を使えるんだ。それに、戦っている姿はすごくかっこいい!
「ヨルカ様! しっかりおつかまりください! ここは撤退いたしますぞ!」
異議ありません!
今すぐ全力で撤退しましょう!
ガルドルフが迫る瘴気をひと薙ぎで払い、一歩退いたそのとき、剣の光をかいくぐった一本の黒い触手が軌道を変え、ガルドルフの背後へ回り込んだ。
「ガルドルフッ! そこ、危ない!」
叫んだときには、わたしはガルドルフの肩から身を乗り出し、迫る黒い触手を払いのけようと思いきり手を伸ばしていた。
ああっ、わたしの馬鹿! 瘴気に触れたら侵食されるって聞いてたのに、何やってるのよ!
手を引っ込めるより早く、黒い触手が腕に絡みついた。
「ヨルカ様っ!」
凍えるような冷たさが腕から肩へ這い上がり、肌の下へ潜り込んだ瘴気が喉に達した途端、息の通り道を内側からぎゅうっと塞いできた。
「く、苦しい……息が、できない」
首をかきむしっても瘴気には触れられず、ふたりの叫び声さえ遠ざかっていく。
エリナ、ガルドルフ、ごめん。瘴気が危ないってちゃんと聞いていたのに、わたし、失敗しちゃった。
なんとか息を吸い込もうとするけれど、少しずつ視界が白く染まり、そのまま意識が途切れていった。




