第6話 いつなのかはお楽しみに
気づけば、わたしは夜の平原に立っていた。
足裏には草と土の感触があり、吹き抜ける風が焚き火の匂いを運んでくる。
あれ……どうして、こんなところにいるんだっけ?
さっきまで地下大神殿にいたはずなのに、どうやって地上まで来たのか覚えてない。
周りを見渡すと、少し離れたところに明かりが見えた。剣や盾を脇に置いた聖騎士たちが、焚き火と大鍋を囲んで楽しそうに笑い合っていた。
『はっはっは、聖女様。ぶかぶかではありませんか!』
えっ、この声……ガルドルフ!? 無事だったんだ!
その中に、ガルドルフを思わせる広い背中を見つけ、わたしは嬉しくなって声のしたほうへ駆け出した。
けれど、近づくにつれ、ガルドルフに似た見知らぬ聖騎士だとわかり、足取りはしだいに鈍って、やがて止まった。
周りの騎士たちも、ガルドルフと同じような鎧を身につけていたけれど、誰ひとり見覚えがなく、わたしは呆然と立ち尽くした。
『笑わないで! すぐに大きくなって、ちょうどよくなるって、大司教様も言ってたもん!』
えっ……今度はなに! 誰!?
声のしたほうを見ると、銀色の髪に緑の瞳をした小さな女の子が、丈の長すぎる服の裾をつまみ、騎士たちの前でくるりと回って、得意げにその裾を広げてみせた。
滑らかな白い布地に銀の刺繍を施した、儀式用らしいガウン風のワンピースで、丈こそ違うけれど、わたしが今着ている服とよく似た仕立てをしている。
騎士たちはそんな女の子を見て、目を細めながら笑っていたけれど、本人は笑われるより褒めてほしかったらしく、少し頬を膨らませていた。
『聖女様、あと十年もすれば、きっとよくお似合いになりますぞ!』
『もう! それじゃ今は似合ってないってことじゃない!』
その返事に、騎士たちがまた楽しそうに笑うなか、ひとりの少女が歩み寄り、小さな女の子を軽々と抱き上げた。
『ヨルカ様、聖騎士様に向かって、そのような口をきいてはいけませんよ』
エリナだ!? どうしてここにいるの!?
今のエリナより若く、顔にはまだ少女らしさが残り、体のどこも透けていない。
幽霊じゃない。生きていた頃のエリナだ。
ええっ!? ということは、あの子が昔のわたしなの!?
ここは、わたしの記憶の中なの? もしかして、これが走馬灯ってやつ?
『みんな笑ってばっかりで、全然ほめてくれないの!』
小さなヨルカはエリナの腕のなかで足をばたつかせ、騎士たちが少しもほめてくれないと訴えている。
『ヨルカ様、とてもよくお似合いでございますよ』
『ほんと? わたし、ちゃんと聖女様に見える?』
『はい。エリナには、誰よりも立派な聖女様に見えます。裾は明日にでも上げておきますから、今日はお姫様の長いドレスだと思って、堂々となさってくださいませ』
エリナに下ろしてもらうと、小さなヨルカは満面の笑みを浮かべ、両手で裾をつまんで騎士たちに広げてみせた。
騎士たちから感嘆の声が上がると、小さなヨルカは満足そうに胸を張った。
『おっと、鍋が煮えましたぞ』
『お夕飯! 今日のお鍋はなに!?』
さっきまでむくれていた小さなヨルカは、おめかしのことなど忘れ、長い裾を踏まないよう、ぱたぱたと騎士たちのあいだを抜けて鍋へ走っていく。
『はっはっは! ヨルカ様は、まだまだおめかしよりお鍋ですな』
『そんなことないもん! わたしだって、お年頃だもん!』
目の前で無邪気に笑っているのは、わたしの知らない、昔のわたしだった。
その姿を見ていると、なんだか胸が痛くなる。
自分の過去なのに、こんな幸せをわたしは何ひとつ覚えていない。それが少しだけ切なかった。
今着ているこの服は、聖女服だったんだ。エリナが裾上げしてくれたことまで忘れて、ずっと寝間着だと思い込んでいたなんて、わたしってほんと馬鹿。
騎士たちに囲まれて笑う小さなヨルカを見て、この幸せな景色をずっと眺めていたいと思った。
だけど、今のわたしに必要なのは、甘い思い出に浸るための記憶じゃない。
せっかく過去を見られるのなら、ガルドルフとエリナを助けるために、聖女として戦った記憶が必要なのだ!
そう強く願った瞬間、焚き火の匂いが薄れ、周囲の景色が大きく歪んだ。小さなヨルカも、騎士たちも、エリナも消え、あとには焚き火も人影もない広い平原だけが残った。
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『瘴気の魔物から聖女様をお守りしろッ!』
鋭い怒号が平原に響く。
さっき鍋を囲んでいた騎士たちは、今は大部隊に加わり、小さなヨルカの背後に並んでいた。
その視線の先では、丘も森も、街があったらしい場所さえ、夜とは別の黒さを帯びた霧に沈んでいた。
瘴気だ。
さっき腕を伝い、体の奥へ入り込んだあの冷たさを思い出し、わたしは腕を握りしめた。
地下大神殿で見た瘴気は濃く、生き物のようにうごめいていたけれど、平原の向こうに広がる瘴気は、まるで地平線を埋め尽くす黒い雲だった。
あれほど遠くにあるのに、端から端まで見渡せない。
こんなに広がった瘴気を、本当にどうにかできるの?
怒号がやむと、エリナも騎士たちも息を潜め、わたしも息を詰めて小さなヨルカを見守った。
小さなヨルカは胸の前で組んだ両手を、明けの明星が残る空へ掲げると、その指の隙間から、淡い光が立ちのぼる。
あれが、わたしの神聖力。
『太陽の蜜雨よ、天にあって照り輝け!』
『破邪の黄金』
小さなヨルカがそう唱えた瞬間、夜明け前の地平線に、もうひとつの太陽が生まれた。
眩しいっ! 目を開けていられない。
なに、この光。これが、わたしの神聖力だっていうの!?
黄金の光が平原を駆け抜け、瘴気をぐんぐん押し返していく。黒く沈んでいた丘が輪郭を取り戻し、街の瓦礫までもが光のなかに現れた。
光は渦を巻きながら地平の向こうまで広がり、瘴気に覆われた大地を黄金に染め上げていく。
まるで、世界そのものが黄金に包まれているようだった。
エリナの神聖力にも感動したけれど、これは比べものにならない。
エリナ1万人分。
いや、100万エリナはありそうだ。
なんだか変な単位になっちゃったけど、とにかく、それくらいとんでもない規模の神聖魔法だった。
光の勢いがわずかに収まると、聖騎士たちは雄叫びを上げて駆け出した。
浄化されきらなかった瘴気は、地を這う異形の群れへと変わったが、騎士たちは隊列を崩さず、襲いかかる怪物を一体ずつ斬り伏せていく。
『聖女様のご加護だッ!』
『行けるぞ! このまま押し込めッ!』
神聖魔法を唱え終えた小さなヨルカは、その場から一歩も動かず、騎士たちの戦いを見つめていた。
わたしは、堂々としたその小さな背中にすっかり見入ってしまった。
ガルドルフや骸骨騎士たちが、わたしを敬う理由も少しわかった気がする。これなら、大聖女ヨルカの名が後世に残っているのも納得できた。
いや、感心している場合じゃない。
ここは記憶のなかの世界で、現実ではガルドルフとエリナがわたしの助けを待っている。
今、小さなヨルカが使った魔法は『破邪の黄金』だった。
そう、これ!
わたしが求めていたのは、こういう記憶なのだ!
この魔法の名前さえ忘れなければ、目が覚めたとき、ガルドルフとエリナを助けられるかもしれない。
名残惜しいけれど、もう戻らなければならない。そう思った途端、目の前の戦場が白くかすみ、別の景色へと移り変わっていった。
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凱旋する聖騎士団や、地下大神殿へ向かう小さなヨルカが、次々と目の前を通り過ぎていく。
大聖堂の窓から差す光のなかで祈りを捧げる人々、わたしの髪を編んでいたエリナの指、静かに閉じられていく聖典。そのどれもが、現れてはすぐに消えていった。
最後に現れたのは、聖壇の上で眠りにつく小さなヨルカだった。
まだ少女だったエリナがそのそばに膝をつき、ヨルカの手を握りしめたまま泣き崩れていた。
そのあとは、ただ闇が続いた。
ああ、そうか。
わたしは「祈りの眠り」についたんだ。
瘴気を浄化するためだけに祈り続け、何百年もこんな闇の中にいたなんて。自分のことなのに、少しだけかわいそうに思えた。
もう、ここには何もない。
早くガルドルフとエリナを助けに戻らないと……でも、どうやってここから出ればいいんだろう。
『次は、あなたね』
え? 何もないはずの闇の中から、突然、小さなヨルカの声が聞こえた。
『あなたは女神様なのですか?』
気づけば、見知らぬ女の子がひとり、小さなヨルカの前にひざまずいていた。
どういうこと? これは、『祈りの眠り』のあいだに小さなヨルカが見ていた夢なの?
『そんなふうに見える? よく言われるのよね。どうしてかしら。でも違うわ。わたしは大聖女ヨルカ』
『大聖女様……ですか』
女の子は震える声で答え、両手を握りしめる。
『私、これからどうなってしまうんでしょうか?』
『わたしには決められないけれど、その時が来るまで、あなたを導くことならできるわ』
女の子は不安を抑えきれず、顔を上げた。
『では、私はいつまで待てばいいのでしょうか?』
『いつなのかは、待ってからのお楽しみよ』
震える女の子を見かねたのか、小さなヨルカは安心させるように微笑んだ。
『その代わり、ひとつだけヒントをあげる。この先で神様……いえ、神様っぽい人に会えたら、大聖女ヨルカに会ったことを伝えなさい』
『ええっ! 私、これから神様にお会いするんですか!?』
『それから、あなたの望みを聞かせてもらわないと。えーと……あなたたちの……で……だったかしら』
肝心なところだけ声が途切れ、聞き取れなかった。
えっ、今なんて言ったの!?
すごく大事なことだった気がする。聞き返そうとした瞬間、景色が大きく揺らぎ始めた。
『待って!』
伸ばした手が届く前に、目の前の景色は白くかすみ、そのまま崩れていった。




