第4話 野菜畑の向こうは瘴気でした
ガルドルフの肩に乗せられたわたしは、まだ見ぬ野菜畑に思いを馳せながら、地下四階層へ続く階段を上っていた。
「ヨルカ様、ご機嫌ですね」
「うん! みんなでお出かけするのって楽しいね!」
エリナが思わず口にするほど、わたしはすっかり浮かれていた。
これから向かうのは、採れたてのお野菜をその場で味わえる畑なのだ。どんなお野菜が育っているのか、想像するだけで楽しくなってくる。
「わたし、もう待ちきれない! 早く野菜畑を見たい!」
口にしてから、少しはしゃぎすぎたことに気づいた。こほん……淑女なら、もう少しおしとやかにしていたほうがいいのかもしれない。
けれど、ガルドルフだって浮かれている。階段を上る足取りが弾んでいることくらい、肩の上にいるわたしには伝わってくるんだから。
もちろん、瘴気を確かめるのは怖い。それでも、危なくなったら全力で逃げればいい。今のわたしは、お野菜のことで頭がいっぱいだった。
「さあ、ヨルカ様。まもなく到着でございますぞ!」
階段を上りきったところで視界が開け、目の前に大きな野菜畑が現れた。
「うわあ、こんなに広いんだ!」
大広間の中央には畑がどんっと広がり、何人もの骸骨騎士が忙しそうに働いていた。
「とくとご覧くだされ! これこそ我ら骸骨一同が丹精を込めて育て上げた、自慢の畑でございます!」
石畳を剥がした場所には、やわらかく耕された土が広がっていた。丸々と太った根菜が顔をのぞかせ、その上には青々とした葉が茂っていた。
壁際には水桶や農具がきちんと並べられ、畑が大切に手入れされているのが一目でわかった。
「ガルドルフって……本当に農夫だったのね!」
「がっはっはっ! 無論でありますぞ!」
いや、聖騎士でもあるんだろうけど、そんな言葉が出てしまうほど見事な畑だった。
「崩れた石畳を見つけたとき、これは畑にできるとピンときましてな。しかし、骸骨の指では土をつかみにくく、なかなか骨が折れましたぞ」
ガルドルフは満足そうに胸を張った。
すごい。本当にすごいよ、ガルドルフ!
畑のことを何も知らないわたしにも、これが簡単に作れるものではないとわかる。並んだお野菜を見れば、毎日きちんと世話をされてきたことまで伝わってくる。
「あのお野菜はなに? 葉っぱがくるくるしてるやつ!」
「あれは夏巻草ですな! この地下大神殿に自生していたものを株分けして育てておりまして、今がちょうど旬なのでございますぞ!」
「こほん、ガルドルフ様……」
「ただ、アク抜きに手間がかかりましてな。ヨルカ様にすぐ召し上がっていただけぬのが、なんとも残念で……」
ガルドルフの説明がだんだん熱を帯びてきたところで、エリナがとうとう声を強めた。
「ガルドルフ様!」
「な、何事でありますか……エリナ殿」
「ヨルカ様は瘴気の様子を見にいらしたのです。お野菜の説明は、そのあとになさってください」
「しかしエリナ殿、せめて大根の育ち具合だけでも」
「先に、瘴気でございます」
「……はい」
ガルドルフがすっかり勢いをなくしてしまった。
わたしはあきらめきれず、エリナの顔色をうかがってみたけど、返ってきたのは、それはもう圧の強い微笑みだった。
うん、だめそうだね、ガルドルフ。
今日はお野菜の日ではなく、瘴気の日なのだと、わたしは悟った。
「帰りにまた見せてね。わたしも収穫してみたい!」
「おおっ! では、たっぷりご案内せねば! 大根もカブも、ぜひ見ていただきたいですな。南瓜も色づきはじめておりまして、これがまた実に見事なのでありますぞ!」
元気を取り戻したガルドルフが勢いよく背筋を伸ばし、その拍子に肩の上にいたわたしまで少し持ち上がった。
「ガルドルフ様。わたくし、先ほど申し上げましたよね」
「う、うむ。瘴気でしたな」
また叱られたガルドルフがしょんぼりと肩を落とし、その上にいたわたしも一緒に沈んだ。あまりにわかりやすい動きがおかしくて、笑いそうになるのを必死でこらえた。
野菜畑を通り抜けると、その先には地下三階層へ続く大きな回廊があった。回廊は緩やかな上り坂になり、薄暗い奥へ向かって長く伸びていた。
「わあ、広くて立派だね!」
「地下大神殿は、上の階ほど広く造られているのでございます。地上に近い階には、多くの参拝者が訪れておりましたから」
そんな大切な場所の石畳を剥がして、本当に畑にしてよかったのだろうか。
そう心配した直後、回廊の奥から流れてきた空気が肌を刺した。野菜畑にいたときとはまるで違う、ぞっとするような冷たさだった。
「なに、この嫌な気配。これが瘴気なの?」
「はい。この回廊の先で、結界が瘴気を押し留めています」
瘴気は、こんなに近くまで迫っていたんだ。
「このような結界は、非常時に備えて、階層の境目ごとに設けられております」
エリナの説明を聞いて、ふと疑問が浮かんだ。階層の境目ごとに結界があるなら、どうして瘴気がここまで来ているんだろう。
「もしかして、ここより上の結界は、もう破られているってこと?」
「直接確かめることはできませんが、これほど深くまで瘴気が入り込んでいる以上、上層の結界はすでに機能していないのでしょう」
ええっ、つまり瘴気は野菜畑のすぐ隣じゃない!
ここの結界が突破されたら、残るのは地下五階層へ続く最後の結界だけじゃないの!
そんなの、もうぎりぎりもいいところだよ。
エリナが野菜の話を切り上げて、先に瘴気を見せようとしたのも当然だった。
急に怖くなって、わたしはガルドルフの鎧にしがみついた。
慎重に回廊を進むにつれて瘴気の気配は強まり、やがて行く手を塞ぐ巨大な黒い壁が見えてきた。
「あれ、行き止まり?」
これが、さっき言っていた結界なのかな?
扉も隙間もない。けれど、ただの壁にしては、見ているだけで胸が苦しくなる。
「まさか、この黒い壁って……」
「そうです、ヨルカ様。これが瘴気でございます」
「これ全部、瘴気なの!?」
「ここの瘴気はドロドロした黒い霧のようなものでしてな。地下大神殿の結界にせき止められ、壁のように見えているのですぞ」
この先はすべて、こんな瘴気に覆われているの!?
世界はもう滅んでいるかもしれないって、ガルドルフが言っていたのは、こういうことか。
あぁ、今すぐ帰りたい。
でも、この結界まで破られたら、地下大神殿にはほとんど逃げ場がなくなるよね。
つまり、ここが踏ん張りどころ!
野菜畑を守るためにも、覚悟を決めるしかないよね!
そう自分に言い聞かせて黒い壁を見上げたけれど、それはあまりにも大きく不気味で、わたしはガルドルフの肩の上で身を縮めた。




