第3話 トマトを食べたら、上の階を探検です!
地下大神殿で目覚めてから、3日目の朝を迎えていた。
骸骨だらけの地下暮らしにも慣れはじめ、朝はエリナに髪をとかしてもらうのが日課になっていた。
「ヨルカ様、髪を整えさせていただきますね」
「ふぁぁ……よろしく、エリナぁ」
ひんやりした指で髪をとかされ、その心地よさに身を任せながら、この3日間のことを思い返していた。
本当に、いろいろあった。
目覚めて早々、自分が死霊の国の王様だと勘違いしたことは、思い出すだけで恥ずかしい。
聖典書記エリナが記した『聖ヨルカの書』によれば、わたしは六合星教会の大聖女だったらしい。
何百年も前、大陸を覆う瘴気を浄化するため、地下大神殿の最下層で『祈りの眠り』に就いていたという。
地下大神殿は五階層に分かれ、奇跡を願う者たちが祈りを捧げる聖地だったが、いつしか聖人を葬る墓所となった。
つまり、ここにいる骸骨たちは復活をとげた聖人なのだ。
彼らは3年ほど前に骸骨の姿で蘇り、わたしの目覚めを待つあいだに地上への道を探したものの、瘴気に行く手を阻まれて断念したそうだ。
『もしかすると、世界はもう滅んでおるかもしれませぬな』
ガルドルフはそんなことを言っていた。
「ヨルカ様。眉間にしわが寄っていますよ?」
エリナの冷たい指先が、わたしの眉間をそっと押した。
……ふぁ。だめだ、ちょっと眠い。
「少しお休みになっても構いませんよ。ヨルカ様の髪は細くてやわらかく、とても整えやすいですから」
「エリナはわたしの聖典書記だから、そんなことも知ってるの?」
「ええ、そうですよ。ヨルカ様のことなら誰よりも、いえ、ヨルカ様ご本人よりも存じております」
そう言って胸を張るエリナは、どこか誇らしげだった。
そっか、エリナがいてくれて本当によかった……
そのまま頭を撫でられると、まぶたがとろんとなっていく。
はっ……あぶない。ほんの一瞬だけ意識が飛んでた。
あやうくよだれを垂らすところだった。
「せめて櫛があれば、もっときれいに整えて差し上げられるのですが」
「わたしはエリナの指のほうが好きだから、櫛がなくても大丈夫だよ」
「あらあら」
エリナは目を細め、わたしの知らない昔を思い出したように微笑んだ。
「はい、できました。今日もたいへん愛らしくていらっしゃいます」
「えへへ、ありがとう」
「鏡があれば、お見せできるのですが……あら?」
エリナがふいに、わたしの髪にそっと鼻先を寄せた。
「ヨルカ様、よい香りがしますね」
「えっ、うそ。わたし、臭う?」
「そうではありません。おひさまみたいな、ぽかぽかした匂いなんです」
おひさまの匂いって、日に干した洗濯物みたいなものかな?
「まあ、いい匂いならいっか。でも、いつかお風呂には入りたいなぁ」
寒さで赤くなった足先をぱたぱた揺らしながら、温かい足湯につかるところを思い浮かべた。
「お風呂もそうですが、靴もご用意できれば、どんなによいことでしょう」
たしかに、地下大神殿は瘴気に閉ざされているから、生活用品がなくて困る。
でも、そのぶんエリナに甘えられるのだから、これはこれで嬉しかった。
「決めました! いつかきっと、櫛も靴も鏡も、ぜんぶご用意して差し上げますからね!」
「じゃあ、それまではエリナに甘えちゃおっと」
「まぁ、ヨルカ様ったら」
そのとき、通路の奥から、ずしん、ずしんと重い足音が近づいてきた。
ガルドルフだ。初めは心臓が止まりそうだった足音も、今ではごはんの時間を知らせてくれる音にしか聞こえない。
「おはようございます、ヨルカ様! 我ら一同、本日はトマトを持ってまいりましたぞ!」
骸骨たちを連れたガルドルフは、今日もにぎやかに広間へ入ってくると、籠からトマトを1つ取り出し、誇らしげに差し出した。
「うわ、ずっしり! すごく大きい!」
真っ赤に熟れた実を受け取ると、青い茎と土の匂いが鼻先に届いた。
ああ、おいしそう! 今すぐかぶりつきたい!
そう思ったとたん、わたしのお腹が元気よく返事をしてしまった。
ぐぅうう。
トマトを持ったまま、慌ててお腹を押さえたけれど、もう遅かった。
「がっはっはっ! 我らのトマトで、そこまで腹を鳴らしてくださるとは、農夫冥利に尽きますな!」
「ガルドルフ様。ヨルカ様への配慮が足りませんよ?」
「おっと、これは失敬!」
恥ずかしすぎて顔が熱くなるけど、育ち盛りなんだから、しかたがないんだもん。
ぐぅぅぅうう。
やだ、もう知らない!
「いっ、いただきます!」
恥ずかしさをごまかすようにトマトにかぶりつくと、薄い皮が弾け、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。
「なにこれ、おいひぃ! すごくおいしいよ、ガルドルフ!」
「ヨルカ様のそのお言葉で、我らの3年間の試行錯誤も報われましたぞ!」
ガルドルフと骸骨たちは握手を交わし、肩を叩き合い、中には感極まって顎をカタカタ鳴らす者までいた。
まあ、このやりとりも毎朝見ているんだけどね。
「このトマトって、地下四階層の畑で育てたんだよね?」
「そのとおりでありますぞ! ヨルカ様も野菜にご興味がおありですかな?」
「3年前、ガルドルフ様が本気で畑を耕し始めた時には、わたくし、唖然としてしまいました」
エリナが少し呆れたように笑った。
「晩年は、剣よりも鍬のほうが手に馴染んでおりましてな」
ガルドルフは荷袋に手を入れると、大きなシャベルを1本、ずるりと引き抜いてみせた。
「わぁ! それって魔法の袋?」
「左様! 見た目以上にたくさん入るのですぞ。愛用の農具一式を、妻が副葬してくれましてな。吾輩が何をいちばん喜ぶか、よくわかってくれておりました」
ガルドルフはシャベルを剣のように胸の前に掲げ、妻との日々を思い返すように遠くを見つめた。
「えっ、ガルドルフって奥さんがいたの?」
「いましたとも! 無骨な吾輩には、もったいないほどの良き妻でした。ここで育てている野菜の種も、妻が入れてくれたものですぞ!」
ガルドルフは嬉しそうに、魔法の袋から次々と小袋を取り出していく。
「青瓜に白菜、甘瓜、それに黄金芋。こちらが、先ほどお召し上がりになったトマトの種ですな。畑のトマトは、ちょうど今が食べ頃ですぞ!」
「ガルドルフ様、そのあたりでお止めくださいませ」
エリナが横から穏やかに口を挟んだ。
「ヨルカ様。ガルドルフ様は、お野菜のお話になりますと、とても長くなってしまうのです」
「おっと、申し訳ありませぬ。好きなこととなると、つい夢中になってしまいますな!」
ふたりのおしゃべりを聞きながら、わたしは残りのトマトをぺろりと平らげ、種を入れてくれたガルドルフの奥さんに、心の中でありがとうと伝えた。
よし、ほかにどんなお野菜が育っているのかも気になるし、今日は畑のある上の階を探検させてもらおう。
「ねえ、今日は上の階を探検したいんだけど!」
「ヨルカ様、とうとう地上へ向かわれますか!」
ガルドルフがぐいっと身を乗り出してきた。
地上? 上の階へ進めば、いつかは地上に出るんだろうけど、今日は野菜畑を見たいだけなんだよね。
ガルドルフの声を聞くなり、骸骨たちは何かを訴えるように一斉に騒ぎ出した。
「カタカタ……カタ」
「ふむふむ。なるほど、ヨルカ様をお守りしたい気持ちはわかるが……」
どうやらガルドルフには、骸骨たちが何を言っているのかわかるらしい。これが骸骨同士の絆というものなのだろうか。
「カタカタ! カタ、カタ!」
「気持ちはありがたいが、瘴気は触れた者を侵食する。お前たちが自我を失えば、ヨルカ様を危険にさらすことになるぞ」
あれ? なにそれ、いつの間にそんな怖い話になってるの?
「案ずるな。ヨルカ様のことは、吾輩とエリナ殿が必ずお守りするゆえ、お前たちはここで待つのだ」
「カタカタカタ、カタッ!」
もしかしてこの流れ、瘴気を見に行く感じになってない?
「カタッ! カタッ!」
「うむ、それがよかろう!」
骸骨たちは納得できない様子だったけれど、最後はしぶしぶ頷いた。
「ねえ、わたしは野菜畑を見たいだけなんだけどなぁ……」
「問題ありませんぞ! 地下四階層を抜けた先に瘴気がありますからな。野菜畑も存分にお楽しみください!」
嫌な予感どおり、野菜畑の見学には瘴気を見るコースまでしっかり組み込まれていた。
「危なくなったら、瘴気から逃げてもいいんだよね?」
「無論ですとも。『名将は退く時を誤らぬ』と申しますからな。すでに将たる者の心得をお持ちとは、さすがヨルカ様!」
違うよ。ただ危なくなったら逃げたいだけだよ。
「では、死霊王陛下。吾輩の肩にお乗りください!」
「だから、わたしは死霊王じゃないってば!」
うぅ、恥ずかしい。もうその黒歴史を掘り返さないでよ……
「がっはっはっ! これは失敬。では改めまして、ヨルカ様、どうぞ吾輩の肩へ!」
「うわっ、うわわ……! 高い!」
ガルドルフの勢いに流された気もするけれど、わたしが大聖女だというのなら、瘴気のことは知っておいたほうがいいもんね。
もちろん、野菜畑も諦めない。
「ちゃんと畑にも寄ってくれるよね?」
「もちろんですぞ。それでは、遠征と参りましょう! 皆の者、ヨルカ様のご出立である!」
それなら、まあいいか。
まずは野菜畑を楽しんで、そのついでに瘴気も見てこよう。
ガルドルフがのっしのっしと階段を上りはじめ、わたしはその肩の上で揺られながら、地下四階層へ向かった。




