第8章 — 文学と嘘
18番倉庫は、汚染された川沿いに、錆びついた死体のように横たわっていた。
埠頭に積み上げられたコンテナを雨が激しく叩き、真夜中の霧の下では貨物クレーンが巨大な亡霊のようにそびえ立っている。
イーサンは通りを挟んだ向かい側、廃墟となった税関の屋上から監視を続けていた。
双眼鏡は微動だにしない。
呼吸を整える。
まずはパターン。行動はその次だ。
その鉄則が、長年彼の命を繋いできた。
階下では、武装した男たちが二人一組で外周を巡回していた。
15分おきに黒のSUVが到着する。
警察の影はない。
通りに面した監視カメラもない。
プロによる徹底した隠蔽工作だ。
隣ではサイラス・クリードが、苛立つほど冷静な手つきで拳銃の手入れをしていた。
「なあ、」サイラスが何気なく言った。「普通の教師は金曜の夜、作文の採点をして過ごすもんだろ」
「採点は済ませた」
サイラスが横目で見た。
「銃撃戦の前か? それとも後か?」
イーサンは無視した。
屋上の反対側では、ギデオンがライフルスコープを覗きながら独り言を呟いていた。
「……作戦全体に違和感があるな」
「事態そのものが異常だからだ」イーサンが答えた。
「いや、」ギデオンが静かに言った。「戦略的な意味でだ」
その言葉にイーサンが反応した。
ギデオンが下の倉庫を指差した。
「目立ちすぎる。護衛も多すぎる」
「罠か」イーサンが言った。
「間違いなくな」
サイラスが微かに笑った。
「それでも俺たちは行くわけだがな」
中にレナがいるかもしれない。
その一点が、すべての計算を狂わせる。
イーサンは双眼鏡を下ろした。
「侵入口は?」
「積み込み口だ」ギデオンが答えた。「それと、埠頭の下にある管理用トンネルからの予備ルートがある」
サイラスが銃をホルスターに収めた。
「地下の方が静かだな」
「奴らの裏をかける」イーサンが同意した。
サイラスが面白そうに言った。
「ほら見ろ。先生も学習してるじゃないか」
イーサンは冷ややかな視線を返した。
「君をこの屋上から突き落としてやろうかと思っているところだ」
「また感情的になった。危ない癖だぞ」
だが、その後のサイラスの表情には、わずかな変化があった。
敬意。
小さく、
不本意なものだが、
確かにそこにあった。
埠頭の下の管理用トンネルには、海水とオイル、そして腐敗の臭いが充満していた。
懐中電灯の光が錆びついたパイプをなぞり、闇の向こうのどこかで水滴が絶え間なく滴り落ちている。
イーサンが先頭。
サイラスが後に続く。
ギデオンが殿を務める。
誰も口を開かない。
奥へ進むほど、イーサンの本能が鋭く警告を発した。
この場所全体が、あらかじめ「演出」されているような感覚。
やがて、彼らはその部屋を見つけた。
18番倉庫の真下に隠された、小さなコンクリート造りの事務室。
中には机、コンピューター、ファイルキャビネット。
そして、壁一面に貼られた写真。
生徒たちだ。
数十人に及ぶ、ルーズベルト高校の生徒。
現役の生徒もいれば、すでに卒業した者もいる。
それぞれの写真の横には、心理プロファイルが添えられていた。
素行記録。
家庭環境。
学業の長所。
トラウマの兆候。
イーサンは中央付近にピンで留められたレナのファイルを見つめ、沈黙した。
【対象:トレス、レナ】
【知能:高】
【従順性リスク:低】
【影響力の可能性:極めて高い】
その下に、
『推奨転送優先度:高』
猛毒のような怒りが、ゆっくりとイーサンの胸の内に沈殿していった。
これは誘拐の記録ではない。
「評価」の記録だ。
選別基準。
人間がただのデータポイントにまで貶められていた。
サイラスが壁に沿って歩き、ファイルを眺めた。
「……これは、本気で胸糞悪いな」彼が低く呟いた。
近くでギデオンがファイルキャビネットを開けた。
「イーサン」
中にはルーズベルト高校の事務用フォルダが入っていた。
公文書。
職員のアクセスログ。
鍵の管理記録。
イーサンは、ある一つの名前が繰り返し現れていることに即座に気づいた。
ハロルド・ウィットモア。
副校長。
以下の施設へのアクセス権限保持者:
管理用トンネル
生徒記録
地階施設
「ヤツが鍵を持っている」。
レナのメッセージ。
ウィットモア。
サイラスが小さく口笛を吹いた。
「あんたのところの副校長は、ずいぶんと忙しい年を過ごしているようだな」
イーサンはウィットモアのフォルダを掴み取った。
中には最近のセキュリティ報告書が入っていた。
一行だけ、赤いインクで丸がつけられている。
『生徒監視スケジュールの承認完了』
監視。
学校の内部でだ。
ギデオンが静かに毒づいた。
「奴らは作戦を学校のインフラそのものに組み込んでいたんだな」
その時、頭上でかすかな音が響いた。
足音。
話し声。
イーサンは即座に懐中電灯を消した。
サイラスはすでに武器を構えている。
足音はゆっくりと頭上を通り過ぎ、やがて消えていった。
静寂が戻る。
ギデオンが慎重に息を吐いた。
「すべてのコピーが必要だ」
「時間がない」イーサンが言った。
彼は素早く室内をスキャンした。
パターン。
繋がり。
彼の目は奥の壁際にある本棚に止まった。
ノート。生徒の作文。
レナの筆跡。
イーサンは即座に駆け寄り、一冊のノートを手に取った。
中には、赤いペンで激しく印がつけられた一節があった。
添削ではない。
暗号だ。
特定の文学的リファレンスが繰り返し丸で囲まれている。
ダンテの『神曲 地獄篇』
オデュッセイア
1984年
「旅」「囚われ」「監視」。
レナは何週間も、あるいは何ヶ月も前から、課題を通じてメッセージを送っていたのだ。
「あの子は、早くに気づいていたんだ」イーサンが囁いた。
サイラスが肩越しに覗き込んだ。
「賢い娘だ」
「怖かったはずだ」
「いや」サイラスが静かに言った。
「あの子は、手がかりを残せるほど長く生き延びていた。戦っていたんだよ」
その言葉が、イーサンの心に重く響いた。
その通りだ。
レナは救助を待っていたのではない。
彼女は、抗っていたのだ。
突然、頭上の照明が一斉に点灯した。
目を射るような白い光。
地下の事務室に、ゆっくりとした拍手の音が響き渡った。
「お見事だ」
全員が即座に振り返った。
入り口にハロルド・ウィットモアが立っていた。武装した護衛を引き連れて。
完璧なスーツ。
完璧な姿勢。
そして、完璧に死んだ目。
イーサンがわずかに前に出た。
「自分の生徒を売り飛ばしているのか」
ウィットモアは疲れ切った様子でため息をついた。
「ずいぶんと感情的な言い方をするのだな、ヴェイル先生」
「普通の人間は、それを『悪』と呼ぶんだ」
ウィットモアは微かに微笑んだ。
「普通の人間たちが、私よりもずっと前にこうしたシステムを作り上げたのだよ」
サイラスが首を傾けた。
「ああ、俺はもうこいつが大嫌いだ」
ウィットモアはサイラスを無視した。
「学校という場所が本当は何なのか、分かっているかね、ヴェイル先生?」
イーサンの顎に力がこもった。
「言葉に気をつけろ」
「選別システムだ」ウィットモアは冷静に続けた。「可能性を評価するセンターだ。誰が成功し、誰が使い捨てになるかを決定する場所だよ」
彼の視線が壁にあるレナのプロファイルに移った。
「君の生徒は、格別だった」
イーサンは、ウィットモアの眉間に弾丸をぶち込みたい衝動を必死に抑えた。
「彼女はどこだ?」
ウィットモアが笑った。
「安全だよ。今のところはな」
サイラスが大げさにため息をついた。
「ほらな。だから悪党ってのは撃たれるんだ」
ウィットモアの護衛たちが即座に武器を構えた。
室内に張り詰めた緊張が、極限まで達する。
その時、ウィットモアの視線がイーサンの背後へとわずかに動いた。
興味深げな、
だが、恐怖ではない。
「認識」の眼差し。
イーサンは即座に気づいた。
背後で誰かが動いた。
速い。
彼は鋭く振り返り――
――そして、凍りついた。
トンネルの入り口の階段を半ばまで降りたところに、マーカス・リードが立っていた。
肩で息を吐き、
目を見開き、
怯えきった表情で。
最悪だ。
この少年、イーサンを尾行してきていたのだ。
マーカスはイーサンを見て、
銃を見て、
サイラスを見て、
生徒たちのファイルで埋め尽くされた壁を見た。
そして最後にもう一度、イーサンを見た。
「あんたは……」マーカスが囁いた。
声が、かすかに震えている。
「あんた、一体、何者なんだ?」




