X(九州)
@九州連邦共和国鹿児島県
2月2日九州標準時刻1520時
首都である鹿児島が陥落したことにより、南九州の交通はそのすべての輸送力を避難民の輸送に振り向けることとなった。
すべての鉄道はこの非常事態のなかで必死に保っていた通常通りの運行をやめ、輸送能力をフルに活用するために全線下りのみ・運賃無料での避難民輸送を開始した。
車両も、普段からその路線で走っている車両だけでなく、特急用車両や観光用列車、果ては貨車までもが投入された。
路線が非電化区間にはいると電車はディーゼル機関車に牽引され、走り続けた。
目的地に着いた車両は回送されることなく車両区に押し込められ、あるいは泣く泣く鉄道員がその場で処分され、再び輸送任務に戻ることはなかった。
道路も完全一方通行となり、避難民を満載した自動車がひたすら南、あるいは西を目指した。当初はガソリンスタンドや電池ステーションも辛うじて機能していたが、停電や在庫の払底により機能をストップし、ガス欠・バッテリー不足になった車両は路肩に打ち捨てられるようになった。
船舶もフェリー、観光船、貨物船、軍艦、漁船など種類を問わずに投入され、安全圏への必死の逃避行を行った。
しかし、その道のりは険しかった。
逃げ遅れてクラックゥの襲撃で命を落とすこともあれば、途中の事故で命を落とす者も多かった。
まだ辛うじて組織的な輸送を行えていた鉄道は比較的少なかったが、道路や船舶はひどかった。
道路では交差点での衝突事故が頻発したが、それはまだましな方だった。
混雑している道路を嫌って道なき道を進んだ結果、川や池に落ちての溺死。踏切の警報を無視して列車と衝突し、車両が大破。パニックに陥った結果、無茶な運転をして崖から転落。
即死した者もいれば、すぐには死ななかった者もいた。――しかし、すぐには死ななかった者の大半は誰の手当も受けられずに緩やかに死んでいった。
船舶は鹿児島湾口に集中した結果、衝突事故が多発し、避難民を満載した船がいくつも沈んだ。
だが、それでもある程度の避難民は多くのもの――家族、ふるさと、財産、友と別れ別れになり、失いながらもその命を守り、安全圏への避難を成功させた。
しかし、前線はさらに後退し、陸路で避難した者も結局追いつめられ、海路でさらに遠くに逃れることとなった。




