第八話 ロザリーの決意
ミレイユの話を聞いてから数日後、ロザリーは午後の仕事を終え、食堂でほつれた布巾を繕っていた。向かいではヴェロニカがいつものように刺繍をしている。テレーゼは帳面を開き、カミラは椅子の背へ凭れ、オデットは窓際で何かの紙を読んでいた。ミレイユだけが退屈そうに頬杖をついている。
「そういえば、あなたのお話をまだきちんと聞いていませんでしたわね」
ヴェロニカが刺繍から目を上げた。
「わたくしの?」
「ええ。どうしてここへ来ることになったのか」
「最初にお話ししましたが」
「ええ。でも、あなたのお気持ちはまだ聞いていませんでしたので」
「……お気持ち?」
ロザリーは針を持ったまま、少し考えた。隠すほどのことではない。自分が修道院へ送られた理由は、ここにいる全員が大まかには知っている。それでも改めて話すとなると、どこから始めればいいのか迷った。
「父が再婚したところからでしょうか」
「その辺りからお願いするわ」
ロザリーは、父グレゴールがドロテアと再婚したことから話した。母を亡くしてから長く父と二人で暮らしていたこと。新しい母と妹ができると聞いて、自分は素直に嬉しかったこと。ドロテアは家政を引き受け、コレットは自分を姉と慕ってくれたこと。
「それで、衣装も宝石も貸したのね」
カミラが言った。
「欲しがっていましたから」
「欲しがったものは全部?」
「全部ではありません」
「どのくらい?」
「覚えていません」
「随分貸したわね」
「使っていないものなら、別に構わないでしょう」
「あなた、餌付け上手ね」
「人の妹を動物みたいに言わないでください」
「でも、欲しがるたびにあげてたんでしょう?」
「全部ではありません」
「似たようなものよ」
ミレイユが口を挟む。
「その結果が今でしょう?」
「まだそこまで話していません」
ロザリーは少し眉を寄せたが、そのまま話を続けた。コレットを茶会へ連れていき、自分の知人を紹介した。婚約者のセドリックにも妹として紹介し、仲良くしてほしいと頼んだ。家族なのだから、自分が持っているものを分けるのは当然だと思っていた。
「セドリック様とコレットが親しくなることは気にならなかったの?」
カミラが尋ねた。
「妹ですよ」
「それは答えになってないわ」
「セドリックはわたくしの婚約者で、コレットは妹です。疑う理由がありません」
「そういうところよね」
「何ですか」
「続きをどうぞ」
カミラは笑っている。ロザリーは少し腹を立てながら、手元の布へ針を通した。やがて父の書斎へ呼ばれ、自分の署名が入った金の引き出し記録を見せられた。セドリックの手には、自分が別の男と暮らすつもりだと書かれた手紙があった。どちらも身に覚えがないと訴えた。調べてほしいとも言った。
「けれど、お父様は調べなかった」
ヴェロニカが言う。
「はい。家の恥をこれ以上広げるわけにはいかないと」
「セドリック様も?」
「証拠が揃っていると言われました」
「あなたは?」
「違うと言いました」
「それだけ?」
「調べてほしいとも言いました」
「そのあとですわ」
「そのあと?」
ヴェロニカは刺繍針を布へ通した。
「誰があなたを陥れたのか、考えなかったの?」
「考えました。でも、証拠もありませんでしたし、あの時はそんな余裕もありませんでした」
「では、今考えてみましょうか。あなたがいなくなって、一番得をするのはどなた?」
その瞬間、ロザリーの頭にコレットの顔が浮かんだ。けれど、すぐには口に出せなかった。
「ふふ、今、どなたのことをお考えになったの?」
「……コレットだと言いたいのですか」
「わたくしは、まだ何も言っていなくてよ」
ロザリーは黙った。コレットが自分の衣装や宝石を羨ましがっていたことは知っていた。セドリックと話している姿も何度も見ている。けれど、それだけで妹を疑うのは間違っていると思っていた。
「もうお一人、いらっしゃるでしょう?」
ヴェロニカに言われ、ロザリーはわずかに眉を寄せた。
「……お義母様のことを仰っていますか?」
「あら。すぐにお名前が出るのね」
「そんな、疑っていたわけでは……」
否定しかけて、ロザリーは口を閉じた。まったく思い当たることがないかと言われれば、そうでもなかった。父が再婚してから家の金の使い方は変わったし、ドロテアが自分の持ち物を値踏みするように眺めていたこともある。
「思い当たることは、あるのね?」
ロザリーは気まずそうに目を逸らした。
「後妻と連れ子が先妻の娘を追い出すなんて、よく聞く話じゃない」
カミラがさらりと言った。
「あなた、家族だからとか婚約者だからとか、そういう型にはずいぶん素直にはまるのに、そこだけは疑わないのね」
「でも、お二人がしたという証拠はありません」
「では、誰だと思っていますの?」
「……分かりません」
「分からないまま修道院へ来たのね」
「仕方がないでしょう。調べることもできなかったのですから」
少し強い言い方になった。ヴェロニカは気にした様子もなく、次の糸を選んでいる。
「では、少しずつ考えてみましょうか。あなたがいなくなって、コレットは何を手に入れると思います?」
「家の中での立場と、わたくしが使っていた物も……おそらく」
「ほかには?」
ロザリーは答えなかった。ヴェロニカは急かさず、少し待ってから続けた。
「あなたが修道院へ送られる朝、コレットは何と?」
「セドリック様のことも、自分たちで支えるからと……」
「その時、何も思わなかったの?」
「それどころではありませんでした」
「何も?」
静かに重ねられ、ロザリーは口を閉じた。
「……少し、変だとは思いました」
「何が?」
「どうしてコレットが、セドリック様のことまで心配するのだろうと」
「それで?」
「でも、妹なのだから、わたくしの代わりに気遣ってくれているのだと思いました」
「そう思った方が楽よね」
ロザリーはすぐには答えられなかった。
「……そうだったのかもしれません」
「では、もう一つ。その前から、コレットとセドリック様が親しく話しているところは?」
「何度も見ています」
「気にならなかった?」
「少しは……でも、妹ですから」
言ってから、ロザリーは眉を寄せた。
「また、そう言いましたね」
「……わたくし、何度もそうやって考えるのをやめていたのかもしれません」
コレットが欲しがった物。セドリックと親しく話していた姿。見送りの朝に言われた言葉。あの時には気づきながら、気にしないことにしたものを、ロザリーは頭の中で一つずつ紐解いていった。
「やっと少し考える顔になったわね」
ミレイユが言う。
「今考えているので、静かにしてください」
「まぁ、褒めて差し上げたのに」
ヴェロニカは二人のやり取りを眺めてから、刺繍を膝へ置いた。
「それで、ロザリー。あなたはどうしたいの?」
「どう、とは?」
「この先ですわ。無実を証明したい?」
「はい」
「では、証明できたらどうしたいの?」
ロザリーは少し考えた。
「……家に戻りたいです」
「それだけ?」
ミレイユが呆れた顔をした。
「何ですか」
「それで終わり?」
「他に何をすればいいのです」
「あなたを陥れた相手は?」
「本当にコレットやお義母様がしたのなら、罪を認めてもらいます」
「それだけ?」
「罪に応じた処分を受ければ、それでいいでしょう」
テレーゼまで帳面から顔を上げた。
「お父様は?」
ヴェロニカが尋ねる。
「……父は騙されただけかもしれません」
「あなたが調べてほしいと言ったのに?」
「証拠がありましたから。お父様にも立場がありますし、家の評判を守らなければなりません」
「では、婚約者は?」
「セドリック様も同じです。あれだけ証拠が揃っていれば、疑うのも仕方がなかったのかもしれません」
「仕方がない」
ミレイユが繰り返した。
「何ですか」
「あなた、その言葉がお好きですのね」
「好きで言っているわけではありません」
ロザリーは針を布へ刺した。父には父の立場があった。セドリックには証拠があった。ドロテアとコレットについても、まだ犯人だと決まったわけではない。そう考えれば、誰か一人を責めることはできない。これまではそう思っていた。
「では、無実が証明されて家へ戻ったとして、お父様は変わりますの?」
「……変わる?」
「今度また、あなたに不利な証拠が出てきたら?」
「今度は、きちんと調べてくださると思います」
「どうして?」
ロザリーは答えようとして、言葉に詰まった。
「今回、あなたは調べてほしいとお願いしたのでしょう?」
「はい」
「それでも、お父様は調べなかった」
「家の評判を守る必要があったからです」
「では、次も家の評判とあなたのどちらかを選ばなければならなくなったら?」
ロザリーは黙った。
「……父は、家を選ぶと思います」
「セドリック様は?」
「証拠があれば……また、そちらを信じるかもしれません」
「どうして?」
「自分が間違っているかもしれないと考えるより、その方が……」
そこまで言って、ロザリーは口を閉じた。父もセドリックも、自分を陥れたわけではない。けれど、確かめることよりも、自分たちの立場を守ることを選んだ。そして、それは無実が証明されたからといって、変わることではない。
「……わたくしが戻るだけでは、同じなのですね」
ヴェロニカは答えなかった。ただ、穏やかにロザリーを見ていた。
「こんなことを考えていたら、誰のことも信じられなくなりそうです」
「信じてはいけないなんて言っていなくてよ」
「では、どうしろと仰るのですか」
「考えるの」
ヴェロニカの声は穏やかだった。
「信じたいから信じるのではなく、信じるに値する相手なのか、目を背けずに考えるのです。その前提もない信頼に、価値などありませんわ。その上で信じるかどうかは、あなたがお決めになればいい」
「家族でも?」
「家族なら、考えなくてよろしいの?」
「そういうわけでは……」
「あなたは何度も家族だからと仰いますけれど、それは何も考えなくていい理由にはなりませんわ」
返す言葉が見つからなかった。
カミラが頬杖をついたまま口を開く。
「コレットは分かりやすいけどさ、ドロテア夫人は何が欲しかったの?」
「家族として暮らしたかったのだと思います」
「それはあなたの希望でしょう」
今度はテレーゼだった。
「本人が何を望んでいたのかを聞いています」
「では、お金でしょうか」
「どうして?」
「家政を任されてから、装飾品や家具を新しくすることが増えました。父が許していたので、気にしていませんでしたけれど」
そうして次々と言葉が出てくることに、ロザリーは自分でも驚いた。考えていなかったつもりでも、心のどこかではずっと引っかかっていたのだと気づいた。
ドロテアはよく父へ相談していた。これを買ってもいいか、この支出は必要か、自分では分からないから決めてほしいと頼んでいた。父はそのたびに機嫌よく答えていた。
「お父様は?」
ヴェロニカが続ける。
「何を望んで、何を嫌がる方?」
「家の評判が傷つくことを、とても嫌がります」
「そうね」
そこでヴェロニカは質問を止めた。ロザリーは手元の布を見つめた。父の言葉を思い返すほど、これまで自分が見ないようにしていたものが少しずつ形になっていく気がした。
「元婚約者様は?」
カミラが尋ねる。
「……まだ、よく分かりません」
「まだわんかんないの?」
容赦がない。
「皆様、楽しんでいませんか?」
「少し」
カミラが笑う。
「わたくしはかなり」
ミレイユも笑った。
「わたくしは別に」
テレーゼだけは真顔だった。
「この人が一番怖いです」
「何か言いました?」
「何も」
ヴェロニカが小さく笑った。
「すぐに答えを出す必要はなくてよ。これまで見てきたことを、もう一度考えてごらんなさい」
「答えが分かったら、何か変わるのですか」
「少なくとも、次にどうするかは決めやすくなるでしょうね」
ロザリーはしばらく黙っていた。
「ロザリー」
ヴェロニカに呼ばれ、顔を上げる。
「善良であることと、無防備であることは違うのよ」
責めるような言い方ではなかった。ロザリーは返事をせず、手元の布へ目を戻した。縫いかけの糸が途中で絡まっている。いつからそうなっていたのか分からない。ほどこうとして指先で糸を辿る。
「……コレットは、わたくしの持っているものをよく欲しがりました」
「ええ」
「お義母様は、お金を使うのが好きでした」
「そうね」
「父は、家の恥が外へ出ることを何より嫌がる」
ヴェロニカは何も言わなかった。
「セドリック様は……」
そこで言葉が止まった。
「コレットを気に入っていました」
それを聞いてカミラが笑った。
少しずつ考えを言葉にしていくうちに、ロザリーにも自分が何をしたいのかが見えてきた。
「わたくしを陥れたのが誰なのか、きちんと知りたいです。どうしてそんなことをしたのかも。その上で、したことには責任を取ってもらいます」
父もセドリックも、もう無関係ではない。何も確かめないまま自分を切り捨てたのだと思うと、腹が立った。
「父とセドリック様には、きちんと謝ってもらいます」
顔を上げると、ヴェロニカがわずかに口元を緩めている。その隣ではカミラも楽しそうに笑い、ミレイユに至っては隠す気もなくにやりとしていた。テレーゼまで帳面から目を上げ、オデットもこちらを見ている。
「では、始めましょうか」
「何をです?」
ヴェロニカは微笑んだ。
「皆さん、楽しい復讐の時間です」




