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【連載版】沈黙の修道院  作者: 巴
ロザリー編

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14/23

第十四話 コレットと商談

数日後、ベルク家へ一人の女が訪れた。


 落ち着いた色合いの上質なドレスに、きっちりとまとめた髪。修道院で見る時とは雰囲気がまるで違い、王都の商会から訪れた外商にしか見えなかった。

 今日は新しい装飾品を見せたいという商会からの申し出だった。話を聞いたコレットが興味を示し、自ら応対すること申し出た。コレットの前には、いくつもの箱が並べられている。

「まあ、綺麗」

 蓋を開けるたび、コレットの顔が明るくなった。繊細な細工の髪飾り、石をあしらった首飾り、珍しい意匠の腕輪。どれも、最近の茶会で見かけたものより目を引く品ばかりだった。

「こちらなど、コレット様にはよくお似合いかと」

「わたくしも、これが一番好きだわ」

 コレットは髪飾りを手に取った。鏡の前で合わせてから、値段を確認する。少しだけ表情が曇った。

「……思っていたよりするのね」

「申し訳ございません。こちらは職人も限られておりますので」

「もう少し安くはならないの?」

「こちらのお品については、難しいかと」

 コレットは髪飾りを戻したものの、視線は離れなかった。

 ヘルミーネはその様子を見てから、何気ない調子で別の書類を取り出した。

「でしたら、一つだけ別のお話がございます」

「何?」

「当商会で、現在新しい取引先を探しておりますの」

 広げられた書類には、いくつかの商品と取引条件が記されていた。

「ベルク家にも十分な利益が見込める内容でございます。もちろん、通常のお取引としてご契約いただけます」

「それと、この髪飾りに何の関係があるの?」

 ヘルミーネは微笑んだ。

「今回のお話をご紹介くださった方には、商会からお礼を差し上げることになっております」

「お礼?」

「本来、このようなご紹介のお礼は、別のお家とのご縁を繋いでくださった方へ差し上げるものです。同じお家の中で、ご当主様へお話を通していただくだけでは対象になりません」

「では、どうしてわたくしに?」

「コレット様は最近、ベルク家のご令嬢として随分とお顔が広いと伺っております」

「まあ……それほどでもないわ」

 ヘルミーネは柔らかく微笑んだ。

「ご縁を持てること自体が、当商会にとっても利になります。ですから今回は特別に、私どもからコレット様へ、そしてコレット様からご当主様へお繋ぎいただく形でも、ご紹介として扱わせていただければと」

「つまり、わたくしが父にこの話を通せばいいのね?」

「はい。ベルク家とのお取引が成立しましたら、コレット様にはご紹介のお礼として、こちらをお渡しいたします」

 先ほどの髪飾りを、もう一度コレットの前へ置く。

「それから、こちらも」

 さらに小さな箱が開かれた。中には、髪飾りと同じ意匠で作られた耳飾りが入っていた。

「両方?」

「もちろんでございます」

 手の届かなかったものが、一つどころか二つ並んでいる。

 コレットはもう一度、契約書を見る。

「本当に、うちにも利益があるのね?」

「もちろんでございます。コレット様へのお品とは別のお話です。ベルク家には、契約内容に記載された通りの利益が入ります」

 それなら、誰も損をしない。

「父に確認して、三日以内にはお返事できると思うわ」

「ありがとうございます。ただ……」

 ヘルミーネは申し訳なさそうに眉を下げた。

「こちらのお話、ベルク家だけへお持ちしているものではございません」

「どういうこと?」

「他にも何家か、ご興味をお持ちの方がおりまして。明日には、そちらでご契約が決まる可能性がございます」

「明日?」

「はい。一家との契約が決まりましたら、今回の募集は終了となります」

 コレットは髪飾りと耳飾りを見た。急な話だ。不安がないわけではなかった。母に相談すれば、話は早いだろう。けれど、この紹介のお礼についても話すことになる。髪飾りと耳飾りを見比べているうちに、それが嫌になった。母なら、分け前としてどちらかを欲しがるかもしれない。しかし、もはや目の前に並んだ二つのアクセサリーを、自分以外の誰かが手にすることなど考えられなかった。母であっても、ましてや他の令嬢であっても同じだった。そう思った途端、先ほどまで迷っていた気持ちなど、どうでもよくなった。

「今日なら間に合うの?」

「ご契約いただければ」

 ヘルミーネはそこで、ふと困ったように周囲を見た。

「あ……ですが、申し訳ございません」

「何?」

「本日は、ご当主様がご不在と伺っておりましたね」

 契約書の最後には、グレゴール・ベルクの署名欄があった。

「こちらはベルク家との正式なお取引になりますので、ご当主様のご署名が必要でございます」

「父は……その、さっきは不在だと言ったけれど、本当は今日は人に会えるような状態ではないの」

 コレットは言いながら、もっともらしい理由を探した。

「少し体調を崩していて。ほんの軽い風邪のようなものなのだけれど」

 本当は父はただ出かけているだけだった。

「でしたら、なおさらご無理をお願いするわけにはまいりませんね。本日は諦めて――」

「待って」

 コレットは慌てて止めた。

「風邪をうつしてしまっても申し訳ないでしょう? わたくしが書類を預かるわ」

「ですが」

「父には、わたくしから話しておきます。署名をいただけばいいのでしょう?」

「よろしいのでございますか?」

「もちろん。この家のためになるお話なのでしょう?」

「それは間違いございません」

 ヘルミーネは少し迷った後、契約書を差し出した。

「では、お言葉に甘えさせていただきます。ただし、こちらは必ず当主様ご本人のご署名をお願いいたします」

「分かっているわ」

「夕刻にもう一度伺います。その時までに難しいようでしたら、どうぞ無理はなさらず」

「大丈夫よ」

 女は丁寧に頭を下げ、髪飾りの入った箱を鞄へ戻した。その箱が閉じられるところを、コレットは最後まで見ていた。


***


 女が帰ると、コレットはすぐに契約書を自分の部屋へ持っていった。取引自体には何も問題がない。ベルク家にも利益が出る。父が見れば、きっと承認するはずだった。問題があるとすれば、今日は家にいないことだけだ。

 夕方まで待っている間に、あの女が別の家から連絡を受けたらどうなるか分からない。明日になれば、髪飾りもその家の誰かへ渡ってしまう。

 コレットは契約書の末尾を見る。当主承認の署名欄。その横には、今回の取引を取りまとめた者の名を書く欄があった。コレット・ベルク。そこへ自分の名前を書くことには、何の迷いもなかった。その下だけが空いている。

「どうせ、お父様だって承認するわ」

 小さく呟いた。正しい取引だった。家にも利益が出る。自分が余計なことをしているわけではない。ただ、父が帰ってくるのが少し遅いだけだ。

 コレットは書斎へ向かった。父の古い書類なら何枚もある。署名を見ることも難しくない。以前にも、人の文字を真似したことはあった。ロザリーのものより父の署名には癖があったが、何度か書けば形は分かった。

 一度書く。違う。もう一度。今度はよく似ている。コレットは古い書類と見比べ、もう一度だけ練習すると、契約書を自分の前へ置いた。

「これでいいわ」

 グレゴール・ベルク。父の名前を最後まで書き終える。インクが乾くのを待ちながら、コレットはあの髪飾りを思い浮かべていた。

 夕刻、商会の女は約束通り戻ってきた。

「お父様に確認していただきました」

 コレットは契約書を差し出した。

「まあ。お加減の悪いところ、申し訳ございませんでした」

「大丈夫よ。父もいい話だと言っていたわ」

 女は署名欄へ目を落とした。ほんの一瞬だった。すぐに、柔らかな商人の笑顔へ戻る。

「ありがとうございます。では、こちらで正式にお預かりいたします」

 コレットは箱へ目を向けた。女はそれにも気づき、微笑んだ。

「もちろん、こちらも契約が成立しましたらコレット様へ」

「楽しみにしているわ」

「ええ。どうぞ、お楽しみに」

 ヘルミーネはそう答え、グレゴール・ベルクの偽造署名が入った本物の契約書を鞄へ収めた。

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