第十四話 コレットと商談
数日後、ベルク家へ一人の女が訪れた。
落ち着いた色合いの上質なドレスに、きっちりとまとめた髪。修道院で見る時とは雰囲気がまるで違い、王都の商会から訪れた外商にしか見えなかった。
今日は新しい装飾品を見せたいという商会からの申し出だった。話を聞いたコレットが興味を示し、自ら応対すること申し出た。コレットの前には、いくつもの箱が並べられている。
「まあ、綺麗」
蓋を開けるたび、コレットの顔が明るくなった。繊細な細工の髪飾り、石をあしらった首飾り、珍しい意匠の腕輪。どれも、最近の茶会で見かけたものより目を引く品ばかりだった。
「こちらなど、コレット様にはよくお似合いかと」
「わたくしも、これが一番好きだわ」
コレットは髪飾りを手に取った。鏡の前で合わせてから、値段を確認する。少しだけ表情が曇った。
「……思っていたよりするのね」
「申し訳ございません。こちらは職人も限られておりますので」
「もう少し安くはならないの?」
「こちらのお品については、難しいかと」
コレットは髪飾りを戻したものの、視線は離れなかった。
ヘルミーネはその様子を見てから、何気ない調子で別の書類を取り出した。
「でしたら、一つだけ別のお話がございます」
「何?」
「当商会で、現在新しい取引先を探しておりますの」
広げられた書類には、いくつかの商品と取引条件が記されていた。
「ベルク家にも十分な利益が見込める内容でございます。もちろん、通常のお取引としてご契約いただけます」
「それと、この髪飾りに何の関係があるの?」
ヘルミーネは微笑んだ。
「今回のお話をご紹介くださった方には、商会からお礼を差し上げることになっております」
「お礼?」
「本来、このようなご紹介のお礼は、別のお家とのご縁を繋いでくださった方へ差し上げるものです。同じお家の中で、ご当主様へお話を通していただくだけでは対象になりません」
「では、どうしてわたくしに?」
「コレット様は最近、ベルク家のご令嬢として随分とお顔が広いと伺っております」
「まあ……それほどでもないわ」
ヘルミーネは柔らかく微笑んだ。
「ご縁を持てること自体が、当商会にとっても利になります。ですから今回は特別に、私どもからコレット様へ、そしてコレット様からご当主様へお繋ぎいただく形でも、ご紹介として扱わせていただければと」
「つまり、わたくしが父にこの話を通せばいいのね?」
「はい。ベルク家とのお取引が成立しましたら、コレット様にはご紹介のお礼として、こちらをお渡しいたします」
先ほどの髪飾りを、もう一度コレットの前へ置く。
「それから、こちらも」
さらに小さな箱が開かれた。中には、髪飾りと同じ意匠で作られた耳飾りが入っていた。
「両方?」
「もちろんでございます」
手の届かなかったものが、一つどころか二つ並んでいる。
コレットはもう一度、契約書を見る。
「本当に、うちにも利益があるのね?」
「もちろんでございます。コレット様へのお品とは別のお話です。ベルク家には、契約内容に記載された通りの利益が入ります」
それなら、誰も損をしない。
「父に確認して、三日以内にはお返事できると思うわ」
「ありがとうございます。ただ……」
ヘルミーネは申し訳なさそうに眉を下げた。
「こちらのお話、ベルク家だけへお持ちしているものではございません」
「どういうこと?」
「他にも何家か、ご興味をお持ちの方がおりまして。明日には、そちらでご契約が決まる可能性がございます」
「明日?」
「はい。一家との契約が決まりましたら、今回の募集は終了となります」
コレットは髪飾りと耳飾りを見た。急な話だ。不安がないわけではなかった。母に相談すれば、話は早いだろう。けれど、この紹介のお礼についても話すことになる。髪飾りと耳飾りを見比べているうちに、それが嫌になった。母なら、分け前としてどちらかを欲しがるかもしれない。しかし、もはや目の前に並んだ二つのアクセサリーを、自分以外の誰かが手にすることなど考えられなかった。母であっても、ましてや他の令嬢であっても同じだった。そう思った途端、先ほどまで迷っていた気持ちなど、どうでもよくなった。
「今日なら間に合うの?」
「ご契約いただければ」
ヘルミーネはそこで、ふと困ったように周囲を見た。
「あ……ですが、申し訳ございません」
「何?」
「本日は、ご当主様がご不在と伺っておりましたね」
契約書の最後には、グレゴール・ベルクの署名欄があった。
「こちらはベルク家との正式なお取引になりますので、ご当主様のご署名が必要でございます」
「父は……その、さっきは不在だと言ったけれど、本当は今日は人に会えるような状態ではないの」
コレットは言いながら、もっともらしい理由を探した。
「少し体調を崩していて。ほんの軽い風邪のようなものなのだけれど」
本当は父はただ出かけているだけだった。
「でしたら、なおさらご無理をお願いするわけにはまいりませんね。本日は諦めて――」
「待って」
コレットは慌てて止めた。
「風邪をうつしてしまっても申し訳ないでしょう? わたくしが書類を預かるわ」
「ですが」
「父には、わたくしから話しておきます。署名をいただけばいいのでしょう?」
「よろしいのでございますか?」
「もちろん。この家のためになるお話なのでしょう?」
「それは間違いございません」
ヘルミーネは少し迷った後、契約書を差し出した。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。ただし、こちらは必ず当主様ご本人のご署名をお願いいたします」
「分かっているわ」
「夕刻にもう一度伺います。その時までに難しいようでしたら、どうぞ無理はなさらず」
「大丈夫よ」
女は丁寧に頭を下げ、髪飾りの入った箱を鞄へ戻した。その箱が閉じられるところを、コレットは最後まで見ていた。
***
女が帰ると、コレットはすぐに契約書を自分の部屋へ持っていった。取引自体には何も問題がない。ベルク家にも利益が出る。父が見れば、きっと承認するはずだった。問題があるとすれば、今日は家にいないことだけだ。
夕方まで待っている間に、あの女が別の家から連絡を受けたらどうなるか分からない。明日になれば、髪飾りもその家の誰かへ渡ってしまう。
コレットは契約書の末尾を見る。当主承認の署名欄。その横には、今回の取引を取りまとめた者の名を書く欄があった。コレット・ベルク。そこへ自分の名前を書くことには、何の迷いもなかった。その下だけが空いている。
「どうせ、お父様だって承認するわ」
小さく呟いた。正しい取引だった。家にも利益が出る。自分が余計なことをしているわけではない。ただ、父が帰ってくるのが少し遅いだけだ。
コレットは書斎へ向かった。父の古い書類なら何枚もある。署名を見ることも難しくない。以前にも、人の文字を真似したことはあった。ロザリーのものより父の署名には癖があったが、何度か書けば形は分かった。
一度書く。違う。もう一度。今度はよく似ている。コレットは古い書類と見比べ、もう一度だけ練習すると、契約書を自分の前へ置いた。
「これでいいわ」
グレゴール・ベルク。父の名前を最後まで書き終える。インクが乾くのを待ちながら、コレットはあの髪飾りを思い浮かべていた。
夕刻、商会の女は約束通り戻ってきた。
「お父様に確認していただきました」
コレットは契約書を差し出した。
「まあ。お加減の悪いところ、申し訳ございませんでした」
「大丈夫よ。父もいい話だと言っていたわ」
女は署名欄へ目を落とした。ほんの一瞬だった。すぐに、柔らかな商人の笑顔へ戻る。
「ありがとうございます。では、こちらで正式にお預かりいたします」
コレットは箱へ目を向けた。女はそれにも気づき、微笑んだ。
「もちろん、こちらも契約が成立しましたらコレット様へ」
「楽しみにしているわ」
「ええ。どうぞ、お楽しみに」
ヘルミーネはそう答え、グレゴール・ベルクの偽造署名が入った本物の契約書を鞄へ収めた。




