第3話:僕の異常な日常(後編)
シオリの言っていたことは正しかった。俺はもう、とっくに研究所に着いていなければならない時間だった。
俺はスマホを確認する。
「07:45」
「……あ。俺、急がないと……ふぁああ……」
痛む腰を押さえながら、俺は椅子から立ち上がった。
ギキッ……ギキッ……ギキッ……
関節の音は、朝の目覚ましよりも大きかった。そもそも、さっきまで目覚ましが鳴っていたことにすら気づいていなかったんだけどな。
「ふぁあ……」
薄暗い明かりの下、鏡に映った自分の姿が一瞬、目に入った。ボサボサの髪。目の下には濃いクマ。
そして、いつの間にか生えてきた白髪が何本か見える。
そうだな……シオリが俺のことを「おっさん」と呼ぶのも、あながち間違いじゃないのかもしれない。
俺はもう四十代だ。
なのに、不思議なことに、歳を重ねるほど興味を持てるものが少なくなっていった。仕事。地位。金。声。どうしてなのかは分からない。けれど、そのどれもが……なんというか、普通に感じる。ただ一つを除いて。
「タイムマシン……」
俺は人生のほぼ半分を、ほとんどの科学者が不可能だと考えている概念を追い続けてきた。計算して、分析して、理論を検証する。そして、結果が失敗すれば、また最初からやり直す。
何度も、何度も。
それを繰り返しているうちに、時々、自分でも分からなくなる。これがまだ「研究」と呼べるものなのか。それとも、もうただの「執念」や「執着」に変わってしまったのか。
俺には分からない。
「はぁ……」
鏡に映る自分を見つめながら、俺は小さく笑った。
「タイムトラベル……」
認めよう。名前だけでも、なんだかカッコいい。
それに……まあ……確かに、俺の部屋が少しばかり散らかっていることは認める。
部屋から出るだけでも大変なくらい、そこら中にゴミが散らばっているからな。
……いや。「少しばかり」は、さすがに違うか。他人がこの部屋を見たら、きっとゴミ捨て場だと思うだろう。
「ふぅぅ……」
それでも、この部屋にあるもの一つ一つには、俺にとってちゃんと意味がある。研究ノート。機械の部品。失敗した試作品。そして、何年もの間、ずっと俺と一緒にあった様々な物。
だけど、改めて考えてみれば……シオリの言っていたことも、全部が間違いってわけじゃないのかもしれない。
「チッ……」
俺はゆっくりと顔を手で擦った。
どちらにしても、あいつはただ俺のことを心配してくれていただけなんだ。それなのに、俺はあいつに怒鳴ってしまった。
「はぁ……まあ、いい。あとで考えよう。シオリが大学から帰ってきたら、ちゃんと謝るか……」
「……」
四十路のバキバキに凝り固まった体を軽く伸ばすと、あちこちの関節が悲鳴を上げた。俺はため息を一つ吐き、重い足取りで寝室のドアへと歩き出す。このまま浴室へ向かい、熱いシャワーで残った疲れを洗い流すつもりだ。
スリッ……スリッ……
「うぅ……」
カン……カンカンカン……
空き缶が床を転がり、部屋の中に乾いた音が響く。
「ふぁあ……」
眠そうに唸りながら、俺はボサボサの頭と体を掻いた。すると、足が空き缶に当たってしまった。
ギィィ……
「うっ……まぶしすぎる……あのガキ……なんで出ていくときに電気を消してないんだよ……」
俺はぶつぶつと文句を言いながら、眩しい光から目を庇った。
そう。
これが俺の日常だ。たぶん、俺のことを「無職の男」と呼んでも、あながち間違いじゃないだろう。
正直、こんな毎日の繰り返しには、俺自身もちょっと飽き始めている。
……まあ、さっきのシオリの小言を除けば、だけどな。けれど 今日は研究所で、ちょっとした朗報が待っている。その知らせが、俺の中で消えかけていた情熱の火を、再び燃え上がらせようとしていた。




