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ポーション作りの錬金薬師  作者: レモンティー


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第九十三話 師匠が倒れた日

倒れたのは、雨の朝だった。

屋根を打つ雨音の中で、ルーシェは薬草の乾燥具合を確かめていた。

隣の部屋から、何かが落ちる音がした。

「師匠?」

返事はなかった。

駆け込むと、リオンが床に倒れていた。

椅子は横倒しになり、机の上の水差しが割れている。

「師匠!」

ルーシェは膝をつき、呼吸と意識を確認した。

呼吸はある。

脈も触れる。

だが、呼びかけへの反応が鈍かった。

「ニナ! 診療所へ走って! テオは馬車を呼んで!」

庭で作業していた二人が飛び込んできた。

ルーシェの声を聞くと、すぐに動いた。

彼女はリオンの体を無理に動かさず、医師が来るまで状態を観察した。

額には冷たい汗が浮かんでいる。

右手の黒い筋は、手首を越えていた。

「どうして……」

ルーシェは唇を噛んだ。

「昨日まで、話していたのに」

リオンの目がわずかに開いた。

「……ルーシェ」

「喋らなくていいです。

先生が来ます」

「帳簿……」

「今はそんなこと、どうでもいいです!」

声が震えた。

リオンは何か言おうとしたが、再び目を閉じた。

診療所の医師が到着すると、緊急搬送が決まった。

村から王都までは馬車で半日。

雨で道はぬかるみ、車輪が何度も泥にはまった。

「もっと速く走れませんか!」

ルーシェが叫ぶと、御者は歯を食いしばった。

「これ以上は馬車が横転する!」

ルーシェは返事を飲み込んだ。

焦って事故を起こせば、師匠を危険にさらす。

分かっている。

分かっているのに、時間だけが怖かった。

中央病院に着くと、院長が玄関で待っていた。

「こちらへ!」

リオンはすぐに診察室へ運ばれた。

ルーシェは廊下で立ち尽くした。

医師たちが次々に入っていく。

扉が閉まる。

いつもなら、その中に自分もいるはずだった。

だが今は、師匠の名前が呼ばれるのを待つことしかできない。

しばらくして、院長が出てきた。

「意識は戻った。

急性の危険はひとまず落ち着いている」

ルーシェは壁に手をついた。

「……良かった」

「だが、安心はできん。

黒い筋の進行と、筋力の低下が関係している可能性がある」

「原因は?」

「まだ分からない」

その言葉は、ルーシェの胸に重く落ちた。

ルーシェは病室の扉の前で、一度だけ立ち止まった。

子どもの頃、熱を出した自分をリオンが看病してくれた夜を思い出した。

水を替え、額を冷やし、眠れない彼女に何度も声をかけてくれた。

『怖いときは、怖いって言っていいんだよ』

あのときは、その言葉が嬉しかった。

今は、自分が怖い。

でも、泣いているだけでは何も変わらない。

ルーシェは涙を拭い、院長の前へ進んだ。

廊下の向こうでは、搬送を手伝った御者が濡れた外套を絞っていた。

「先生はどうなりました?」

「意識は戻りました。

助けてくれて、ありがとうございます」

御者はほっとした顔になった。

「途中、もっと急げなくてすまなかった」

「いいえ。

あの道で転ばず運んでくれたから、ここまで来られました」

御者は帽子を握り直した。

「また必要なら呼んでくれ」

ルーシェは深く頭を下げた。

診察室では、看護師がリオンの体温と脈を記録していた。

いつも患者の記録を取る側だった師匠が、今日はその欄に名前を書かれている。

ルーシェはその光景を見て、ようやく事態を受け入れた。

リオンは世界一の薬師でも、特別な体を持っているわけではない。

助けが必要な、一人の患者なのだ。

だからこそ、ほかの患者と同じように、慎重に、丁寧に守らなければならない。

彼女は病室に入った。

リオンは白い枕に頭を預けていた。

「ごめんね」

最初に言ったのは、それだった。

ルーシェは椅子を引き寄せた。

「何がですか」

「心配をかけた」

「心配だけじゃありません。

怒っています」

リオンは目を閉じた。

「うん」

「患者さんには早く相談しろって言うのに、自分は黙っていた。

検査を受けても、昔の記録を見せなかった」

「……そうだね」

「どうしてですか!」

ルーシェの声が病室に響いた。

リオンはしばらく黙っていた。

「昔、私は、自分で作った薬を飲んだことがある」

ルーシェは息を止めた。

「まだ弟子を取る前の話だよ。

安全性を確かめるつもりだった。

でも、長期的な影響を調べきれていなかった」

「それが今の症状と関係しているんですか?」

「分からない。

ただ、最近になって、あの時の記録と似た変化を見つけた」

「だったら、すぐ教えてください!」

「……怖かったんだ」

ルーシェは言葉を失った。

リオンが、そんな言葉を口にするとは思わなかった。

「世界中の人に、安全性を確かめるよう教えてきたのに。

自分が一番大きな見落としをしていたかもしれない。

それを認めるのが、怖かった」

ルーシェは師匠の手を握った。

「怖いなら、私に言ってください」

涙が頬を伝った。

「私、弟子ですよ。

失敗したときに、一緒に考えるためにいるんじゃないですか」

リオンの目にも、涙が浮かんだ。

「……ごめん」

「謝るのは、治ってからにしてください」

ルーシェは立ち上がった。

「私が調べます。

師匠の最初の失敗も、全部」

病室を出ると、彼女は院長に頭を下げた。

「昔の研究記録を持ってきます。

調査に協力してください」

「もちろんだ」

ルーシェは雨の窓を見つめた。

かつて師匠は、彼女に言った。

失敗は隠すな。

記録を残せ。

困っている人の話を聞け。

今度は、その教えを師匠自身に返す番だった。

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