第八十八話 世界中の王様が、同じ薬を欲しがった
王都の大広間には、各国の使節が集まっていた。
北の国は、高齢の国王のために長寿薬を求めている。
南の国は、国民全体への公平な供給を望んでいる。
そして帝国は、以前と同じように独占契約を持ち出していた。
「研究資金も製造設備も、帝国が負担しよう」
帝国の使者が言った。
「その代わり、完成した薬の製造権と販売権は我が国が管理する。
品質を守るには、一つの強い管理者が必要だ」
ルーシェは首を振った。
「一つの国が独占すれば、ほかの国の人が使えなくなるかもしれません」
「理想論だ。
薬は善意だけでは作れない」
使者は机を指で叩いた。
「研究費がなければ、君たちの試験も続かないだろう」
ルーシェは返事を飲み込んだ。
それも、事実だった。
長寿薬はまだ研究段階にある。
試験のための器具も、長期的な観察も、莫大な費用がかかる。
議長が口を開いた。
「まず、研究責任者の説明を聞こう」
ルーシェは壇上へ上がった。
「最初に、お伝えしなければならないことがあります」
彼女は一枚の検査表を掲げた。
「長寿薬は、まだ完成していません」
会場がざわめいた。
「では、なぜ我々を呼んだ!」
「安全な研究を続けるためです」
ルーシェは声を張った。
「現在、限られた条件で老化に関係する変化を抑える可能性が見つかっています。
でも、人の寿命が何年延びるかは分かりません。
副作用が長い時間をかけて現れる可能性もあります」
北の国の使者が立ち上がった。
痩せた、疲れた顔の男性だった。
「我が国の王は、来年の春を迎えられないかもしれない」
会場が静まり返った。
「私は、薬を持ち帰ると約束してここへ来た。
手ぶらでは帰れない」
ルーシェは胸が痛んだ。
「……お気持ちは分かります」
「分かるものか!」
使者の声が震えた。
「王は私の父でもあるんだ!」
思わぬ言葉に、皆が息を呑んだ。
使者は拳を握りしめた。
「国王としてではなく、息子として頼む。
可能性があるなら、一度だけでも使わせてくれ」
ルーシェは目を伏せた。
患者を助けたい。
その願いは、彼女も同じだった。
けれど、今ここで未完成の薬を渡せば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
「申し訳ありません。
安全だと確認できない薬を、お渡しすることはできません」
使者は椅子に崩れるように座った。
「……それが答えか」
「はい」
ルーシェは続けた。
「でも、お父様の今の病気や苦痛について、私たちにできることがないか、医師と一緒に考えさせてください。
長寿薬だけが、助ける方法ではありません」
使者はゆっくり顔を上げた。
「……本当に、相談に乗ってくれるのか」
「もちろんです」
そのとき、南の国の使者が手を挙げた。
「我が国には、長寿薬の研究に参加できる医師が少ない。
共通の検査基準を作っても、設備がなければ守れない」
帝国の使者が笑った。
「だから、我が国が管理すべきだと言っている」
「管理されれば、薬を使う順番まで決められるのではないか」
南の使者は立ち上がった。
「我が国の貧しい村では、普通の薬すら不足している。
長寿薬だけを富裕層に売る仕組みは作りたくない」
議論は再び紛糾した。
ルーシェは会議室の窓から庭を見た。
かつて、帝国による薬の独占を拒んだときのことを思い出す。
あのときは、技術を公開すれば道が開けると思っていた。
だが、公開しただけでは設備も人材も増えない。
「師匠」
休憩中、ルーシェはリオンに尋ねた。
「私の言葉で、何か国もの方針が変わるかもしれないと思うと、怖いです」
「そうだね」
「でも、何も決めなければ研究が止まります」
リオンは少し考えた。
「全部を一度に決めなくてもいいんじゃないかな」
「え?」
「今決められることと、まだ決められないことを分けよう。
薬が完成していないなら、販売の順番は決められない。
でも、研究の進め方なら決められる」
ルーシェは顔を上げた。
「……そうですね」
会議が再開すると、彼女は黒板に二つの見出しを書いた。
『今、決められること』
『完成するまで決められないこと』
「まず、共通の検査方法と記録の書き方を決めます。
副作用や失敗は隠さず共有します。
研究参加者の意思を尊重し、危険が見つかれば試験を止めます」
各国の使者が頷いた。
「そして、設備が足りない国には、検査技術を教える仕組みを作りたいです」
南の国の使者が身を乗り出した。
「人材の派遣も?」
「はい。
できる国が、できない国を手伝うんです」
帝国の使者が腕を組んだ。
「費用は誰が負担する?」
「各国の拠出額は、財務担当者に試算してもらいます。
ただし、出した金額だけで患者の扱いを決めることはしません」
「それでは帝国の負担が大きいだけだ」
ルーシェは静かに答えた。
「研究費を出していただくことには感謝します。
でも、安全性が分からない段階で優先販売を約束することはできません」
使者は鋭い目で見つめた。
「資金が集まらなくなるぞ」
「それでも、条件は変えません」
沈黙が落ちた。
やがて、北の国の使者が立ち上がった。
「我が国は、研究協定に参加する」
ルーシェは驚いた。
「よろしいんですか?」
「父には間に合わないかもしれない。
だが、次の世代に同じ苦しみを残したくない」
使者は深く息を吐いた。
「それに、今の父の治療について相談に乗ると言ってくれた。
私はその言葉を信じたい」
続いて、南の国の使者が立ち上がった。
「我が国も参加する。
ただし、設備支援を協定に明記してほしい」
「もちろんです」
帝国の使者は最後まで渋い顔をしていた。
しかし、ほかの国々が共同研究への参加を表明すると、やがて口を開いた。
「帝国は、資金の拠出について協議を続ける。
だが、製造権の問題は保留だ」
「分かりました」
ルーシェは頷いた。
すべてが解決したわけではない。
それでも、研究を続けるための一歩は踏み出せた。
会議が終わると、ルーシェは廊下の椅子に座り込んだ。
「師匠、薬を百本作る方が楽です」
「でも、いい仕事だったよ」
「今日は師匠、ほとんど話してませんよね」
「研究責任者が頼もしいからね」
「帰ったら実験器具を全部洗ってください」
「それは厳しいなあ」
二人が笑った、そのときだった。
衛兵が駆け込んできた。
「王都の市場で、長寿薬を飲んだ人々が倒れています!」
ルーシェは立ち上がった。
「私たち、まだ薬を売っていません!」
「それなのに、市場では『世界一の薬師が認めた秘薬』と宣伝されています!」
リオンの表情が変わった。
「急ごう。
偽物だとしても、飲んだ人の症状は本物だ」
ルーシェは走り出した。
安全な薬を届ける仕組みを話し合っている、その同じ日に
まだ存在しないはずの長寿薬が、人々を傷つけていた。




