第八十七話 弟子が、師匠の薬の欠点を見つけた
「今日から、この研究の責任者は私です」
ルーシェが宣言すると、ノエルは拍手した。
「よろしくお願いします、先生」
「先生って呼ばれると緊張するので、いつもどおりで!」
リオンは笑いをこらえていた。
「責任者らしい挨拶だったよ」
「師匠までからかわないでください!」
調合台には三つの薬瓶が並んでいた。
一つ目は、損傷の蓄積を抑える試作品。
二つ目は、修復の兆候を読み取る検査液。
三つ目は、薬の働きを弱める調整液。
「修復が必要なときだけ、抑制薬を弱めます」
ルーシェは設計図を広げた。
「体の状態に応じて作用を切り替える。
そうすれば、傷の修復を妨げずに済むかもしれません」
バルドが眉をひそめた。
「切り替えに失敗したら?」
「薬が働かない方向に倒れるようにします。
危険な作用が強くなるより、安全です」
老薬師は小さく頷いた。
「よく考えたな」
しかし最初の試作品は、見事に失敗した。
修復が起きていないのに、検査液が反応したのだ。
「誤判定です」
ノエルが記録した。
「感度が高すぎるのかもしれません」
リオンが提案する。
「検査液をもっと精密にできないかな」
ルーシェは首を振った。
「精密にする前に、何を間違えたのか調べます」
試験結果を見直すと、薬が検出していたのは修復そのものではなく、修復に似た別の反応だった。
二度目の試作品では、その違いを区別できるようにした。
ところが今度は、薬液が不安定になった。
瓶の中で色が何度も変わり、最後には濁ってしまう。
「これも駄目です」
ルーシェは自分で失敗印を押した。
「責任者になってから、失敗ばかりですね」
リオンは隣の椅子に座った。
「私が初めて作った薬なんて、もっとひどかったよ」
「本当ですか?」
「瓶を開けたら、部屋中が薬草の匂いになって三日取れなかった」
「それはただの失敗作です!」
「そうだね。
でも、そこから始まった」
夜、ルーシェは一人で研究帳を開いた。
最初に弟子入りした日の自分なら、師匠に褒められることだけを考えていたかもしれない。
今は違う。
褒められるより、患者を傷つけない答えを選びたい。
彼女は完成した試作品の欄に、静かに書き加えた。
『有望。
ただし、人への効果と長期安全性は未確認』
その一文こそ、今の自分にできる最も誠実な報告だった。
ルーシェは笑ったあと、真剣な顔で記録帳を見た。
「私、師匠の考え方をそのまま真似していたかもしれません」
「どういうこと?」
「反応が弱いなら強くする。
見えないなら感度を上げる。
でも、それだと余計なものまで拾ってしまう」
ルーシェは検査石を手に取った。
「必要な変化だけ分かればいいんです。
全部を見つける必要はない」
三度目の試作品では、検査の条件を絞った。
明確な修復の兆候がない限り、薬は働かないようにした。
試験用の植物に小さな傷をつけ、医師と薬師組合の立ち会いのもとで経過を観察する。
一日目、目立った変化はなかった。
試験結果を確認したあと、ルーシェはノエルに尋ねた。
「私の設計、どこが一番危なかったと思う?」
「最初の案は、反応を細かく拾いすぎていました。
ほんの小さな変化でも薬が動いてしまう」
「そうだね。
師匠に言われるまで、私も気づかなかった」
ノエルは首を振った。
「でも、感度を下げると決めたのはルーシェさんです」
ルーシェは研究帳の失敗欄を指でなぞった。
試験結果を確認したあと、ルーシェはノエルに尋ねた。
「私の設計、どこが一番危なかったと思う?」
「最初の案は、反応を細かく拾いすぎていました。
ほんの小さな変化でも薬が動いてしまう」
「そうだね。
師匠に言われるまで、私も気づかなかった」
ノエルは首を振った。
「でも、感度を下げると決めたのはルーシェさんです」
ルーシェは研究帳の失敗欄を指でなぞった。
「一人では無理だったよ。
師匠も、バルドさんも、ノエルもいたから」
「それでも、最後に選んだのはあなたです」
ノエルの言葉に、ルーシェは静かに頷いた。
師匠を超えるというのは、師匠を置き去りにすることではない。
教わった知識を使い、仲間と確かめ、今までなかった答えを作ることなのだ。
「一人では無理だったよ。
師匠も、バルドさんも、ノエルもいたから」
「それでも、最後に選んだのはあなたです」
ノエルの言葉に、ルーシェは静かに頷いた。
師匠を超えるというのは、師匠を置き去りにすることではない。
教わった知識を使い、仲間と確かめ、今までなかった答えを作ることなのだ。
二日目、対照群と同じように修復が始まった。
三日目、薬を与えた植物でも新芽が伸びていた。
「……できた?」
ルーシェはまだ喜ばなかった。
「もう少し観察します」
数週間の比較試験で、以前見られた修復の遅れは確認されなかった。
一方、葉の傷みが遅くなる傾向は残っていた。
「少なくとも、前の欠点は改善した可能性があります」
ノエルが報告すると、ルーシェは椅子に座り込んだ。
「良かった……」
リオンは試験記録を最後まで読み、ゆっくり顔を上げた。
「私には、この設計は思いつかなかった」
「そんな。
師匠が作った個人適応型ポーションが元になっています」
「元になる知識を持っていることと、新しい答えを見つけることは別だよ」
ルーシェは黙った。
「君はもう、私の助手じゃない。
一人の薬師として、私にないものを見つけた」
彼女の目に涙が浮かんだ。
「……ずるいです」
「何が?」
「そんなこと言われたら、嬉しくて次の作業ができなくなります」
リオンは笑った。
「だったら今日は休憩にしよう」
「いえ、まだです」
ルーシェは涙を拭いた。
「長期間の安全性は、これから確かめないといけません」
バルドが満足そうに頷いた。
「その慎重さがあれば、研究を任せられる」
翌朝、王宮から十通を超える書簡が届いた。
差出人は、各国の王や医療担当官だった。
『長寿薬の研究成果について、国際協議を求める』
ルーシェは書簡の山を見て、思わず天井を仰いだ。
「師匠。
今度は研究より会議の方が大変そうです」
「研究責任者だからね」
「こういうときだけ責任者扱いしないでください!」




